リアルファンタジー小説『アルディア』

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1991年8月12日午前

「今のところ、イーゼル派に不穏な動きはありません」
 石造りの薄暗い部屋で30代の男が恭しく報告した。
 窓から差し込む光が逆光になり、相手の顔がよく見えない。
「ご苦労様、アムル。大臣の動向は経過観察を続けてちょうだい」
「はっ、リーザ姫」

 リーザはすっと席を立つ。
「リュシオン王とミルダ王妃には謁見されてゆかないのですか」
「その必要はないわ。あまり目立ちたくないしね。今のところはお父様たちがこの国をうまく治めてくださっているから安心だわ」
 テーブルに手を置くリーザ。
「ただ……それもあと何年持つかという話ね。彼らもいずれは老いる身。かといって、私たち第四期三代アルシェがテームスの封印強化に奔走している間は国の統治なんてやってられないわ」
 アムルは顎に手を当て、深刻な顔をする。
「その混乱に乗じてイーゼル大臣が虎視眈々とリーザ姫の王位継承を邪魔立てしようとしている」
 くるっと振り向きざまにスカートの端を押さえながら、リーザはくすっと笑う。
「――という可能性があるだけの話だわ。叔父様が裏切るだなんて、できれば考えたくないもの」
「ですな……」

「……そういえばコメルト先生はお元気?」
「気になりますか」
「ナルシェさんに私を紹介してくれた人だしね」
「えぇ、お元気ですよ」
「そう」リーザは頬を少し赤らめた。「よかった……」

 少し小柄で痩せたアムルは、窓の外を見つめる。森の木々が安らかにそよいでいる。この平和をなんとしても守らねばと彼は思った。
「私もアルシェ第十使徒の端くれ。何かあればイーゼル殿と刺し違えてでもこの国の平和を守りましょうぞ」
「頼もしいけど」ふふと笑う。「貴方は生きてちょうだい。リディアのためにも」
 その名を聞いてアムルはやや困った顔をする。
「彼女は……貴女の娘は元気ですか」
「今は貴方の娘でしょう?」
「私とナルムがリディア姫を預かって6年……。早いものですな」
「貴方たち夫妻には感謝してる」
「いえ、私など。こうしていつもルティアにへばりついており、アルバザードのサプリでまともに子育ても致しておりません。すべてナルムに任せきりで」
 リーザはうーんと腕を伸ばす。
「いいのよ、そんな。ナルムなら安心だわ。なにせ私の従姉妹だもの。一番の親友でもあるしね」
「彼女も喜びます」アムルは嬉しそうに微笑んだ。

「それにしても、もうお帰りに?」
「あまりサプリを離れるわけにはいかないもの。ソーンの残党に狙われる危険性があるわけだし。そうなったら武力であそこを守れるのは私くらいのものだわ」
「それで教師兼医者をなさっているわけですからな、姫は」
「……教師といえば、最近面白い子を拾ったわよ。セレン君っていう、アトラスの言葉を一切話せない子なんだけれど」
 その言葉にアムルはピクッと耳を立てた。
「もしや……」
「そう」くすくす笑う。「第四期四代ルシーラ・エ・アルシェの最有力候補。育て上げるわよ、それに見合う男に」
「ようやく見つかったのですか」
「見つけてきた……といったほうが正確かしらね」
 アムルは首を傾げる。それを見てリーザは謎めいた笑みを浮かべた。


2011年8月30日午後

「おかえり、ラマン」
「ただいま、ミーナ。アリスはまだ起きてるかい?」
 ネクタイを解きながら、青年はうきうきした顔で妻に尋ねた。
「残念」口に手を当ててくすくす笑うミーナ。「もう眠ってしまったわ」
「あちゃあ」本当に残念そうな顔で椅子に座り込む。「会社から帰ってアリスを見るのが生きがいなのになぁ」
「あら」頬を膨らませる。「私じゃ不満?」
「そんなことはないさ。でも、父親というのは愛娘の顔を何よりも見たいと思うものなんだよ」
「ふふ。心配しなくてもどうせすぐ起きるわ。赤ん坊なんてそんなに長く寝ないものだもの。すぐ夜泣きで叩き起こされるから」
「アリスの夜泣きは僕にとっては歌も同然さ」
「はいはい」と言いながら妻はつまみと酒をテーブルに置いた。

 くいっと一口ウイスキーをあおると、ラマンはミーナを見て呟いた。
「6月の24日だったよなぁ」
「産まれたのがね。早いものね」
「もう2ヶ月かぁ」
「可愛い?」
「とても」
「幸せ?」
「とても」
「平凡な家庭で平凡な子供と平凡な奥さんでも?」
 ラマンはこれ以上ないくらい穏やかな表情で、「あぁ、幸せだよ」と肯った。

 とそのとき、隣室から赤ん坊の鳴き声がした。
 ラマンはむしろ嬉しそうな顔を浮かべて部屋に入った。
 ベビーベッドの中では赤いリボンを付けられた女の子がほえほえと泣いていた。
「あぁ、僕の姫君。どうしたんだい? お腹が空いたのかな?」
 ラマンがほわほわの髪の毛を撫でると、不思議なことに娘は泣くのを止めた。
「そうか。パパに来てほしかったんだね、お姫様。あぁ、君はなんて可愛いんだ」
 そう言うと、ラマンはアリスの額に軽くキスをした。


 原文

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