リアルファンタジー小説『アルディア』

Contents Menu


もどる

1年目案内

ラルドゥラの月

ザナの月

パールの月

ミルフの月

ファーヴァの月

ルージュの月

ミルフの月

2011年9月20日

「ねえさん、来てたんだ」
 風花院の一室に足を踏み入れたセレンは嬉しそうな顔で茶色い髪の女性に声をかけた。
「久しぶりね、セレン。研究は順調?」
 このミーファという女性もまたメル同様、数少ない現代魔法学の理解者だった。
 もともとリーザと一緒に孤児院の手伝いをしており、セレンより4つ年上だ。出会ったときはまだ14歳という若さだった。
 セレンはミーファを姉として慕うようになった。メルがセレンを兄として慕うように。しかし不思議なことにメルはミーファのことをねえさんとは呼ばず、ミーファ先生としか呼ばない。
「リディアちゃんはもうここに慣れたかい?」
 セレンはリーザには丁寧語で話すが、ミーファには姉相手のように話す。彼女はリーザよりも活発でハキハキしている。
 ミーファは緑の右目と青の左目でセレンを見つめると、「リディアちゃんか……まるで眠り姫のようね」と首を振った。「一日中ぼーっとしてる。話しかけても心ここにあらずって感じよ」
「池で初めて会ったときと同じか……心に傷でも負ってるのかな、やっぱそこは親に捨てられたわけだし」
「捨てられたとは限らないわ」
「え?」
 セレンは首を傾げる。
「……なんでもない。リーザ先生がそんな風に謎めいた言葉を言っていただけ」
「そっか……」
「あと、私の印象としては傷ついているというよりも……」
「――?」
「傷つくための心さえ失ってしまっているように見えるのよね」
「つまり感情の受容体がないってこと? まるで人形のように」
「人形とは少し違う。命は宿っているもの。でも精神が眠ってしまっているように見える」
「それで眠り姫か……」
 セレンは腕を組んだ。

「他の子たちも話しかけてみたんだけど、反応がないから最近はそっとしておいているみたい」
「皆とうまくいってないってことか」
「まぁ悪い関係ってほどではないわ」
 ミーファはセレンに近寄った。肩を寄せる。
「セレンだって最初の頃は暗い子だったよ。それどころか自己中で我慢知らずで手の付けられない子だった」
「ねえさんと先生のおかげで変われたんだ。特にねえさんが……」
 ねえさんが僕を厳しく優しく包み込んでくれたから歪まないで済んだんだ――そう言おうと思ったが、恥ずかしくて言えなかった。
 と同時に、今度は自分がリディアにそう接してやらなければなと思った。

「ねぇ、セレンってこんなに背高かったっけ?」
「ん?」
「ほら、昔は私より小っちゃくて」
「ねえさん、いつの話だよ」セレンは苦笑した。「ねえさんなんか簡単に抱っこできる」
「うそ」
「嘘なもんか」
 セレンはふっと笑うとミーファの脇と膕に手を当て、軽々とお姫様抱っこした。ミーファの柔らかで甘い香りがする。
「わぉ! 細身の学者のくせにずいぶんな腕力じゃない」
 ミーファを床に降ろすと、「僕だって男なんだぜ」と囁いた。しかしミーファはあははと笑うと、「なっまいきー!」と返した。セレンはそんな彼女を愛おしそうに見つめた。


 その夜、自宅に帰ったセレンは机からノートを取り出すと、ペンで日記を書いた。時代遅れも甚だしいアナログ作業だ。
「9月20日。久々にねえさんに会えた。
 相変わらず綺麗だった。良い匂いがした。優しい声だった。
 でも俺のことはまだまだ小さい弟みたいに思っているようだ。
 ……うん、それでいい。それに、そうでなければならない。
 ねえさんが我慢知らずで根性なしで自己中なクズの俺を変えてくれた。生来クズだからまだマシなクズにしかなれなかったけど、それでも大きく道を踏み外さなかったのはねえさんのおかげだ。
 ねえさんは感謝の対象だ。それ以外であってはならないし、俺なんか見てもくれないだろう。
 ねえさんは綺麗だ。
 ねえさんは優しい。そして厳しい。
 ねえさん、ねえさん……俺はねえさんのことが……」


1991年9月22日

「おいセレン」
 体の大きな少年がリーザの寺子屋で声を上げた。
 少年はセレンの机の前に立つと、じろっと彼を見下ろした。
 呼ばれたセレンはふっと目を上げる。
「お前、なんで喋んねーんだよ。どこの言葉も喋れねーって、ありえねーだろ」
 セレンは相手の言葉が分からず戸惑った顔をする。
「なんか言えよ、おい」
 少年はセレンの胸ぐらを掴むと、無理に立たせる。

「ちょっと止めなよ、オヴィ君!」
 騒ぎを聞きつけたリディアが間に割って入る。
「お前は黙ってろ、リディア。こいつ、正体魔物なんじゃねえ?」
「そんなわけないでしょ! セレン君は記憶を失っちゃってるだけだよ!」
「なんでお前にそんなことが分かるんだよ」
「わ……」不安げな表情。「分からないけど……。でも魔物なわけないもん」
「どうだか。この村を襲うためにスパイしてるかもしれねーだろ。なぁ?」
 ドンと胸を押すと、セレンはよろめいて後ろに下がる。

「ふん。ちょっかい出されてもシカトかよ。ビビリだな」
 オヴィは嘲るような笑いを浮かべた。
 その顔を見た瞬間、セレンが突如雄叫びを上げた。
 言葉は分からずとも馬鹿にされたことは伝わったようだ。そしてそれは彼のプライドを著しく傷つけたようだ。

「がああああぁ!」
 今まで大人しかったのに突如殺気立った目で怒鳴り声を上げるセレンにクラスの全員が息を飲んだ。
 自分より体の小さな少年の怒号にビクっとした瞬間、オヴィは「な……なんだよ」と一歩下がった。
 だがその瞬間、セレンがオヴィ目掛けて跳びかかり、掴みかかって地面に打ち倒し、頬を殴った。
 純粋な腕力ではオヴィが勝るものの、セレンの気迫は凄まじかった。
「お、おい! 止めろよ! 分かった! 俺が悪かったから!」
 しかしセレンは攻撃の手を止めない。

 その刹那、リーザが教室に戻ってきた。
「こら二人とも、何やってるの!」
 リーザは大人の力であっさりと二人を引き剥がした。
「リディアさん、何があったの?」
「オヴィ君がセレン君をからかったら、セレン君が怒ったの」
 セレンの気迫に圧倒されてか、リディアは怯えた表情をしている。
「じゃあ自業自得ね。オヴィ君、あまりセレン君をからかわないように」
「……へっ」

 リーザが一旦その場を去ると、オヴィはセレンの前に再び立ちはだかった。
「オヴィ君、もう止めなよ!」
 止めようとするリディア。しかしオヴィは首を振る。
「ちげぇよ。このクラスで俺を負かした奴ぁ初めてだったからな。こいつのことを認めてやってもいいって思ったんだ」
 そう言うとオヴィはセレンに手を差し出す。
「俺はオヴィだ。それくらいもう分かるだろ、転校生?」
 オヴィが笑顔を見せると、セレンはニッとしてその手を取った。


 原文

Tweet