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無いはずのものが無いというリアリティ

無いものを作るという考え方がある。それは一見人には見えない。見えないから存在しないようにも見える。しかし無いという定義に意味があり、無という存在がある。
などと哲学的な話をされてもわかりにくいだろうから例を挙げる。一番わかりやすいのは語源だろう。

fvまでは語源がよく分かっている。arもよく分かっている。ところがその中間に位置するlsやszについては語源不祥が多い。
例えばsavanやsanの語源はわからない。一方、evaのように推定できるものもある。また、yunditeのように明らかになっているものもある。
これは記録が残っているかどうかの違いである。紙自体はrtで発明されているが、人類には普及していない。羊皮紙なども非常に高価であった。
その上この時代は戦争ばかりしていたため、焼けてしまったものも多い。

各言語のオリジナリティが確立したのはzgからkkの間だったが、上記のような事情により、語源を遡れないことがある。
逆にそれより古いfvは神の言語なので記録も存在し、人智を超えた寿命と記憶力で覚えられている場合もあり、語源がわかる。

地球ではこういうことが起らないが、アトラスの環境を突き詰めると、このように無いものが無いことでリアリティを獲得できることがある。
つまり、意図的に語源不詳を作ることで、歴史の闇を演出するというわけだ。
アルカは常に説明過剰で読者に想像の余地のないことが多いので、こういう余白には何かと想像を掻き立てさせられる。

地球でも日本語は語源を遡れないことが多く、せいぜい語源説を列挙するだけに留まるものが多い。
娘はうまく説明できるし、あまり異論もないようだ。しかし猫には異論がある。恐らく鳴き声に接尾辞が付いたものだろう。寝る子とは思えない。日本語の場合、語源というより語源説といったほうが適切な場合が多い。(もっとも、英語にだってgirlのように衣服というあやふやな推定しかできないものもあるのは事実)
大学時代にどうして英語語源辞典のようなしっかりした語源辞典がないのだろうと思ったことがある。いくつか大判のものがあるがどうにも情報量が少なく、語源説に留まっているものも多い。だが実際は日本の出版社が甘いのではなく、英語ほど記録が残っていないのが原因である。

fvは遡れるので英語に近い。szなどは分かっていないことが多いので日本語に近い。
いずれにせよ、無いはずのものが無いとリアリティは増す。白い紙に何も書かないのは手抜きだが、白い鉛筆で書き込む分には意味がある。

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