Sitemap

人工言語アルカ公式サイト
STUDY:はじめてのアルカや概説等

Contents Menu


もどる

アルディアこぼれ話


●原案では日刊だった

実は原案では日刊でしたが、批判を受けて月刊に変わりました。月刊になった理由は下記のとおりです。

歴史には内容の濃い日と薄い日があります。特に何もない日は書くことがありませんし、大事件が起こった日の記述は長くなります。
日刊にすると文量が日によってまちまちになってしまいます。これだと全体を通して書く量は同じでも、読み手に負担がかかってしまいます。
当初の案は日刊でしたが、「一日分の文量が不安定」、「一気に読みたいのに細切れにされると読みづらい」などの批判を受けて廃案となりました。
代わって週刊と隔週と月刊が候補に上がりました。月刊だとある程度まとまった文量を読めるし、起承転結も分かりやすい。加えて日刊と異なり、内容の濃い日と薄い日の文量の格差を平均化することができる。これらのフィードバックを受け、月刊案が採用されました。

●対訳の書式について

・左がアルカで右が日本語という左右対訳形式の是非

こう思われた方もいるのではないでしょうか。
「画面を左右に区切って、左にアルカ、右に日本語を書けばいい。対訳されていて見やすいはずだ」

おっしゃるとおりです。そして最初はそのように企画していました。
実は最初の段階ではこういうページになっていました。

ところがこれには欠点がありました。
左右の文量が異なるので、左右で徐々に文の始まる高さがずれていくのです。
章ごとにズレを修正したのが実は上記のページです。でも、お使いのマシンによっては章ごとの頭がずれている可能性があります。
その原因はwebブラウザや画面の解像度です。スマホで見るかPCで見るかなどによっても変わってきます。
上記のページは作者のPCで見たときに章の頭が揃うように空白行をアルカ文に入れたものです。ですが環境によってそれも崩れてしまいます。
環境は読者ごとに異なるので、章ごとに文の頭を揃えるのは不可能です。

・ではpdfにすればどうか

そこでワードで書いてpdfにして掲載という方法が考えられました。
ところが中にはpdfというだけで面倒くさいとか取っ付きにくいとして読まない人がいるのですね。
そうでなくとも確かにpdfじゃhtmlに比べて開くのに一手間余計にかかるので面倒くさいのは分かります。

また、仮にpdfにしたところで、結局ソノヒノキのような形になるわけです。
あれは幻日間の各段落の開始する高さを揃えるために、幻文に無駄な改行を極めてたくさん加えています。
このせいで、幻文だけ読もうと思ったときに、非常に見苦しい。
加えて行間は段落ごとの意味上の区切りも示します。文頭の高さを揃えるための文意と関係ない空白行が入るせいで、段落ごとの意味上の区切りが分からなくなります。文章としてこれは非常に見苦しい。
そして何より、ソノヒノキの対訳を自分で全く便利と思えないのです。

・左右対訳は一見使いやすいようで実はそうでもない

書籍で左右が日英に分かれているものがよくあります。一見便利そうに見えます。でも思い出してみるとああいう書籍で勉強して身になった記憶があまりありません。
そもそも日本語が書いてあるとそっちに頼ってしまう傾向にあります。

それよりも最大の問題は、左右に書いてあれば見やすいだろうと思いきや、案外そうでもないということです。
左右に書いてあっても幻文を読んで対訳を探すのには手間がかかります。そして和訳を見つけて幻文に目を戻すときも、「あれ、どこだっけ?」となることがしばしばです。というよりほぼ毎回です。

これは英語の教材でも同じです。どうりで対訳物で身になった経験が少ないはずです。
結局ああいう本を使おうとすると、一度英文を指で押さえておいて和訳を探し、目を戻したときには指の位置で元の英文の場所を確認するという使い方になりますが、非常に面倒です。効率が悪いので、案外便利そうに見えて対訳形式は便利でありません。

今回実際に対訳形式で上記のように作ってみて、やはり英語教材と同じ欠陥に行き着きました。これでは駄目だろうということで、対訳形式は止めて、日本語版は日本語版で別途作るという方法に切り替えました。
作業量は変わらないので楽にも苦にもなりませんが、同時に使いやすくなったわけでも使いにくくなったわけでもないので、なんだか釈然としない感じです。上記の対訳形式のフォーマットを作るのも手間がかかっているので、なんだか損をした気分でした。

・一行ごとに訳を挿入するという方法

なお他にも案としては、一行ごとに幻日を交互に混ぜていくというやり方も考えられました。ですが幻文だけ或いは日本語だけ読もうと思う人にとっては邪魔臭くて仕方がないということで、廃案になりました。
また、この方式だと一行ごとに訳が入って言語が変わるので文全体のテンポも悪くなります。
加えて、訳を見ずに読解練習をしようと思っている人にとっては否が応にも訳が見えてしまうので練習にならないという問題があります。

・テキストの上にマウスを持っていくとホバーで訳が表示されるという方法

これも検討しましたが、それだと読者が訳文を自由にコピーしたり、日本語版を通して読んだりすることができなくなります。
それに、スマホなどのマウスを使わないもので読む場合はどうするのでしょう。

・結論

結局色々小細工を練った挙句、日本語版を別途作るという最もベタな案に軟着陸しました。

思うに、上記のホバー作戦+日本語版作成という二刀流がベストな気がしますが、一文あるいは一段落ごとにダミーのa hrefを貼って訳文をホバーさせるには非常に労力がかかります。そんなことをしている時間があったら執筆活動に宛てるべきだという結論に達し、廃案となりました。

・それでも対訳形式で読みたいという方へ

ブラウザで幻文と和訳をそれぞれ別のページで表示し、横幅を縮めて左右に並べるか縦幅を縮めて上下に並べるかというやり方で、実質同じ効果が得られます。後者のほうがやりやすいと思います。
ただ、読みにくいから廃案になっただけあって、多分読みにくいと思います。

●序文の仕掛け

序文は一見何気ない文書に見えますが、実は物語の根幹となる重要な部分です。
序文には数多くの仕掛けがあり、ちょっとした構成にもそれぞれ意味があります。

例えば「かみさまの懺悔」には男性が空を見上げ、女性が俯くというシーンが出てきます。
これは文学的アトリビュートで、男性を天の神エルト、女性を地の神サールに準えています。エルトとサールとは、この世界の最初の男女のことです。
空を見上げだり俯いたりといった二人の何気ない所作が、この二人が物語の原初となる人物であるということを象徴しています。

また、「時詠みの少女」の中の段落は常に4行を中心とする偶数行になっています。そしてこんな細かい部分にもきちんとした意味があります。
このように、序文には多くの仕掛けがあります。仕掛けの真相は徐々に明らかになっていきます。
文学的アトリビュートは序文のみならずアルディアの随所に散りばめられており、アルディアの攻略をより難解なものにしています。

●序文の天気

序文は春に既に書いていたのですが、晴れを想定していました。7/19にあの公園で雨が降ったのは20年で小雨が一度程度だからです。
正確には僕が覚えているのはここ15年ほどですが、ともあれ小雨一回でした。

今回台風が来たので念のため差し替え用に雨用のシナリオを用意して、8時に公園に現地入りしました。
7:40に駅に着いたときはどしゃぶりでしたが、この日の雨は間欠泉のように断続的でした。
8時前に止み、そこから15分間は全くの晴れ。公園を出て駅に行っても晴れ。電車が来る30分まで晴れ。家に着いても晴れで、結局9時頃まで晴れでした。その後9時台にまた降っていましたが。

というわけでアルディアは奇跡的に台風接近にもかかわらず、序文を修正せずに済みました。
現地調査までした甲斐がありました。なお、未来用の証拠として、ビデオもスマホで撮ってあります。

●発足日について

アルディアは(4)02年ラルドゥラの月パールの日から始まります。
よって1年目に関しては、左のタグはラルドゥラの月から始まることになります。2年目以降はリディアの月から開始します。

アルディアは毎月リディアの日に前月の分が掲載されますので、最初のラルドゥラの月の分はザナの月リディアの日に公開されることになります。
これは西暦でいうと、2011年7月13日水曜日に当たります。この日に6月24日から7月12日までの記事が初回分として掲載されます。

ところで、アルディアはもともと日刊の予定だったので、7月19日に新サイト設立の告知をするとともに最初の記事を掲載する予定になっていました。
ところが月刊になったことで問題が生じました。7月19日はザナの月ラルドゥラの日なので、7月19日の内容はパールの月リディアの日に掲載されることになります。つまり、7月19日に告知しても本編に何も記事がない状態がしばらく続いてしまうということです。
そこで設立日の6月24日から記事を作ることになりました。これだと7月13日に前月分が掲載され、7月19日に公開したときに本編が空になりません。

ちなみに6月24日に設立した理由ですが、作者の恩師が初めて作者にアプローチをかけたのが1991年6月24日だそうで、験を担ぎました。
もはや記憶にありませんが、作者が子供の頃から通っているスーパーとその近くのコンビニの間にある道で彼女の落し物を拾ってあげたのだそうです。

●アルディアができた経緯

本作の構想は1991-2011年までの間に徐々に形成されたものですが、いくつか屋台骨となったものがあります。
ひとつ目は95年8月10日に始まった小説版アンクノットという物語で、ordin時代の原型となる話です。
ふたつ目は00年代に段階的に形成された歴史書イルムスです。
みっつ目は異世界の現代社会を形成した「ミロク革命」という出来事です。
そして最後が2011年4月6日に着想した「異世界が終わる最後の20年間をリアルタイムに書く」という案です。
これらが組み合わさって最終的に本作になりました。

リアルタイムに歴史を書くという案は「アルバザードの新聞のヘッドラインを作ったらもっとファンタジーに現実味を出せるだろうか」というアイディアから派生しています。なお、この新聞の案は00年代後半に着想したものです。

2011年に活動20周年という節目を迎え、アルカを続けるのか辞めるのかだいぶ迷いました。
09-10年頃は、本作に近い作品をアルカと関係ないところで進めていました。この頃はアルカを切ろうという思いの方が優勢でした。
結局、今までのようなアルカ制作中心のやり方に終止符を打ち、今度は人工言語学やアルディアを創っていこうということになりました。アルカはその中で用いられるひとつのツールという位置付けになります。

●なぜ20年かけて創ろうと思ったか

ひとつには、それがアルカを作ってきたのと同じ期間だからです。作ってきた分だけ今度は使ってみようと思いました。使ってこその道具だと思います。

ふたつ目は、この手の作品が人類史上初のものだからです。リアルタイムで進む物語、アプリオリな自然主義人工言語と人工世界。これらの要素を持った極めてリアリティの高いファンタジーはまだ人類が着手していないもので、そこに意義を感じました。使命感を持ってライフワークにできればと考えています。

みっつ目は子供のためです。ふだん一緒に居ることができないので、何か自分でなければできないものを贈りたいと考えました。将来ありがたいと思うか的外れでどうでもいいと思うかは彼ら次第ですが、物語を読むことの中に父親の存在を見出してくれれば幸いです。

そして最後のひとつは好きな人のためです。ふたりの世界を創ろう、そしてそこでもう一度恋をしようと約束しました。

Tweet