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歴史に残るには

芸術言語が偉業として歴史に残るには、大作を通じて未来人に継承するしかない。
英語にしても日本語のままでもどうせ100年経ったら情報は古いわ言葉遣いは古いわで、ロクに読めたものではない。

エスペラントのように作者の死亡後も誰かが後を継いでくれないと歴史に残らない。なかったことにされてしまう。
だが国際補助語はともかく、芸術言語は作者の理想の世界を体現したものだから、作者の死亡後はそうそう残るとは思えない。
芸術言語は国際補助語のような分かりやすい価値観がない。個人の趣向に対する共感者はそうは多くない。

トールキンのように作品自体が人気になり作品を通して言語が残るしか、芸術言語には後世に残す方法がない。
しかし現代はトールキンの時代と違ってコンテンツの供給過剰が起きている。この状況で未来に注目を集めるような作品を残すのは至難の業である。
作品作りが重要なのは分かるが、現代では未来まで残るコンテンツを残すのは難しい。

また、情報が消失するリスクもある。
意外なことに紙の本は100年後にも残っているが、電子データは残っていない可能性がある。
というのも、公式サイトや幻日辞典が依拠しているドメインやサーバが100年間作者の死後自動で残るはずがなく、いずれ消えてしまうためである。誰かが保存しておかなければ一瞬にしてゼロになってしまう。
一見電子データは複製がしやすいので保存しやすいように見えるがそうでない。堅牢な国会図書館の紙媒体のほうが100年後のことを考えるとよっぽどデータが残っている可能性が高い。

紙の本はいずれ懐中時計のようなアンティーク品になる。それは間違いない。
だが100年後の未来で考えると案外保存性の良い実用的な記録媒体と言えるかもしれない。

そういうわけで2011年の12月ごろ、自分のやるべきことは「いつ落ち目になったり古くなったりするか分からない英語への翻訳作業」ではなく、「指輪物語のような大作の制作」なのだということに気付いた。
その作品がカルディアのすべての歴史を描いた神の夢『アルディア』であることは容易に決定された。
トールキンでさえ作品を全編人工言語で記していない。全編人工言語で綴った人工世界の物語を訳付きで残しておく。これは快挙だ。
訳の日本語は100年もすれば古くなるが、それが最も後世に作品を残す確率を高める方法であろう。

もしくはアルカのネイティブが子供を産んで人力で一子相伝していくとか、ユーザーがユーザーにバトンタッチしていくという手法もあろう。
まず前者に関しては、人工言語という閉鎖的な環境で育てることに倫理的な問題があるので少なくとも私は望んでいない。
後者に関しては、その手法だとエスペラントのように作者の意向や本懐がきちんと継承されずに不純化してしまうリスクがあるため、好ましくない。
芸術言語は作者の死亡が純粋な言語と世界の死亡を意味する。そしてそのことは国際補助語より芸術言語において問題となる。
よってこれらは2案とも推奨されない。

やはり大作を残しておいて未来に繋ぐという手法しか現実的にはないだろう。
それとて未来人が私の意図した内容をきちんと継承することはないだろうから、不完全でしかない。
しかし私は永遠には生きないので、それは仕方がないことなのだろう。継承には限界があるということだ。純度を保ったまま継承するのは物理的に不可能である。

いずれにせよ、芸術言語が歴史に残すためにやるべきことは大作の制作とその流布と保存である。

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