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STUDY:はじめてのアルカや概説等

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綺麗な言語

2001年に制アルカを作り始めた際、密かな個人的目標があった。
それは「恋人のリディアが喋ったときに可愛く聞こえ、自分がリディアに話しかけたときに優しくカッコよく聞こえる言語を設計しよう」という内容だった。
制アルカは受注制作だったので、これは完全に個人的な趣向だ。

しかし現代言語学では、ある言語の聞こえが綺麗だとか可愛いだとか優しいだとかいった判断をすることができない。
そのことは90年代から知識として知っていたが、本当にそうだろうかと訝ってもいた。そんなに言語学のことを信用してはいなかった。どうせいつもの似非博愛主義だろうと考えていた。
人類にはある程度共通する音感というものがあるのではないかというのが私の考えだった。

例えば多くの言語で花が咲いたり芽が吹いたりといった「何かが破裂する音」にはp音が使われる傾向がある。
これはp音の持つ音声的な閉鎖音(破裂音)という性質によるものだ。
調音音声学を上手く使えば、ある程度人類共通のアプリオリな音感を得ることができるのではないかと考えた――少なくとも最大公約数的に。


思えば古アルカの時代、98年にPC-9801を使って、入力された単語の綺麗度や可愛い度を計るプログラムを設計したことがある。
つまり個人的には、この頃から既に世の中には綺麗に聞こえる言語があると信じていたわけだ。むろん言語学がそれを認めないことを知っての上である。

それで99年に木通隆行の『音相』という本を読み、著者と何度かメールでやり取りした。
しかしその本は日本語の音感を基礎にした理論であり、調音音声学的に見てあまねく言語に通ずる音感を与えてくれるものではなかった。

私は色々な語学に触れてきたので、どんな音を綺麗と感じるかは母語や文化によって異なるという事実を知っていた。
例えば日本人は濁音より清音を綺麗だと思うし、チュなどの音は子供っぽいと感じる。ドイチュラントがドイツと音訳されたのも、チュという音が幼稚に聞こえて忌避されたためである。
さらに日本人は文化的に欧米人に憧れているので、日本語には無いか少ないヴァ行やラ行の入った音に憧れがちである。
仮にここに100人の日本人を集め、「ペッポンギュチャップとヴァンガルディのどちらがカッコよく聞こえる?」と聞いたら、ほとんどの人が後者を選ぶだろう。なんとなくタイ語か何かに聞こえる前者より、何となく西洋語っぽく聞こえる後者のほうがカッコよく聞こえるように刷り込まれているのだ。
このように、母語や文化によって綺麗に聞こえる音はある程度決まっているのだ。だから国によってはこの比率は変わるだろう。もしかしたら前者のほうがカッコイイと思う国もあるかもしれない。

それでも調音音声学を利用して、多少はニュートラルな立場で普遍的な音感を定義できないものかと考えた。
そこで2001年に制アルカに着手した際、その定義をしてみようと考えたのである。

・音声レベル

まず音声レベルで調音音声学的にある音声が普遍的に持つ性質を定義できないか考えた。
p音が芽が吹く音などに関与しており、しばしば春という単語が語源的に「芽吹く」と関連付けられているため、少なくない言語で春にp音が入ることなどに着目した。
日本語はもとがパルと発音していたので当てはまる。韓国語、英語、フランス語などにも当てはまる。春という単語にpが入っている場合、原義に「芽吹く」が関わっている確率が高い。
どうもp音は破裂や膨らみ、または丸っこい感じやコロコロした感じを想起させるらしい。

同じ閉鎖音でもtやkでは破裂の印象が薄い。
kは奥で調音するので奥まった感じがあり、これらに比べてtは中性的である。

一方s音は摩擦音の中でもシューという強い雑音成分が強い音で、特に英語のニュースなどでは耳につく。
摩擦音の中でもs音とsh音は雑音が大きい。耳障りなノイズのような音なので、多用すると綺麗に聞こえなくなる。
同じ摩擦音でもf音などのほうが雑音が小さい。これはfのソノリティがsより低いことからも分かる。

余談だが、なぜ「静かに!」と言うときに、日本でも韓国でもアメリカでも「しーっ!」とやるのだろう。あの「しーっ」という音自体がうるさくてイラつくのだが。若い頃、「おめぇのそのシーッのほうがうるせぇんだよ!」とキレた覚えがある。恐らく一旦あのうるさい音で注目を集めてから静かにさせる意図を伝えているのではなかろうか。
また、sはpなどと違って持続できる子音だというのも関与しているかもしれない。もし「静かに」を意味するのが「ぷ」だとしたら、"p"と発音しただけで終わってしまい、目立たない。相手に伝わらない。それでは意味がない。そこで持続できるf, s, shなどの中から音が大きくて目立つsやshを選んだのだろう。

さて、他方、鼻音はmやnがあるが、mはモコモコした丸い感じの、モゴモゴした印象がある。鼻音の中で最ももっさりとした感じのする音である。
というのもmを調音する場合一旦口を閉じるので、肺臓気流が一度口腔内に全部溜まる。気流が抜ける部分は鼻腔しかないので、鼻にかかった感じになり、それがモゴモゴした印象を与える。
同じ鼻音でもnは口を開いて発音するので肺臓気流が唇からも常にわずかに漏れている。そのため、mに比べて鼻腔に回る気流の割合が低くなる。そのせいでmほどモゴモゴして聞こえないのだ。

鼻音は破裂でもないが摩擦でもない。鼻にかかった柔らかい音である。
よって印象としては優しいような可愛いようなあどけない感じを演出できる。

ほかに流音がある。流音も閉鎖や摩擦の成分がなく、破裂するような印象や擦るような鋭い印象はない。
しかも鼻に抜けないので、丸っこい印象がない。文字通り流れるような印象がある。

こういった調音上の特性から、閉鎖音では中性的なtを選び、摩擦音は鋭いのでできるだけ避け、鼻音はモゴモゴしすぎないnを選び、流音はlを中心に使おうと考えた。

母音については前舌だと一般に明るく小さいイメージで、後舌だと一般にくぐもって暗いイメージを与える。これはどの言語でもある程度普遍に感じられる性質で、この程度なら言語学でも認められている。
iが多すぎても甲高くうるさく、uが多すぎても暗い。そこでaやeといった比較的中性的な母音を多用することにした。

ときにpとmに関しては幼児が一番初めに習得する子音ということもあって、より子どもっぽい印象を与えているといえるかもしれない。
個人的にはpは洗練されていない綺麗でない唾の飛ぶ音という印象があり、あまり良いイメージはない。
mもモゴモゴしたカボチャのような食感を感じる音という印象で、多用はしたくない。なお、恐らくmにカボチャの食感を感じるのは共感覚の一種であろう。

こうして選ばれた制アルカで好まれる音がa, e, t, l, nであるが、実は2012年現在、新生アルカで音の頻度を算出すると、見事ここに挙げた音が多く含まれているのである。私は計画通りに言語を設計したというわけだ。
これによりアルカは「丸っこい膨らんだ感じの子どもっぽい――言い換えれば稚拙な印象を与える――破裂を多用せず」、「摩擦が鋭すぎずきつい感じを与えず」、「モゴモゴした鼻音を多用しすぎず」、「明るすぎず」、「暗すぎない」という印象を調音音声学的に獲得することに成功した。

私はリディアがs音の多いキツい言い方をするのは好まなかったし、p音の多い丸ぽちゃっとした幼稚な言い方をするのも好まなかったし、モゴモゴした言葉遣いをしてほしくもなかった。彼女にはもっと流麗に可愛く喋ってほしかった。
そこで流麗な印象はlに任せ、可愛い印象はnに任せ、中性的な音はtやaやeに任せることにした。

リディアには可愛く話してほしかったので、女性語にはnを比較的多めに与えることにした。現在のnonやnonnoやan-などにその痕跡が見える。
一方自分が話すときには可愛さはいらない。優しくカッコイイほうがいいので、男性は中性的なt音や流麗なl音を多用するよう工夫した。

・抑揚レベル

音素で汚い音や間延びして聞こえる音を排他していくのは第一歩で、実は次の第二歩のほうが重要である。

中国語はとにかくうるさい。
なぜうるさいのか大学時代に中国人に聞いてみたところ、声調があるのでふつうに喋っているつもりでも声が大きくなりがちで抑揚も激しくなるとのことだった。

英語もニュースを聞いていると抑揚が激しい。
そこで一番低い音と高い音の音域を調べてみたのだが、英語は日本語より音域が広いことが多かった。
英語のほうが抑揚が激しいのだ。

抑揚が激しい言語は一般にうるさい。
抑揚を表現するために声は自然と大きくなりがちだし、それに加えて抑揚自体が変化に富んでうるさく聞こえるのだ。
そして「言語レベル」で後述するが、抑揚が激しいと一般人にはバカっぽく聞こえるようだ。
そこでアルカを設計する際に、抑揚をできるだけ少なくするようにした。

なお、アルカの抑揚を狭くした理由はもうひとつある。
自分が喋ったときに優しくカッコよく聞こえさせたかった(つまりリディアに「セレン君カッコイイ!」と言ってほしかった)ので、抑揚を狭くしたのだ。
――しかしなぜ狭く?
それは私は声が高いことがコンプレックスだからだ。声が高い私は日本語などを話すと、文頭がどうしても高くなりがちになる。日本語はカタセシスに富む言語なので、こういうことが起こる。

そこでアルカのセンテンスには回復点という要素を与えた。
アルカには回復点があるため、文頭が高く文末が低いということがない。回復点のおかげで音域が狭く、抑揚があまりない。狭い音域の中でうねるように音階が上下する。
声の高い私がカッコつけて低い声で喋ったとき、日本語だと最低音以下の声が出ず、カタセシスのせいで言葉が続かなくなってしまう。しかしアルカであれば回復点のおかげで音域が狭いため、自分の最低音の声を保ったままリディアに甘く囁きかけることができる。

女性というのはもともと男性の低い声を好むように設計されている。
それを知っているので、若者だった私は遠距離恋愛の身としては、ぜひとも低めの甘い声で彼女に囁きたかった。
その下心は見事に功を奏し、リディアに「セレン君は日本語を喋るよりアルカを喋るほうがカッコいいよね」言わしめることができた。頭を使って言語を設計して、それによってカッコいい自分を演出することに成功したのである。
これは人工言語屋としてはかなりしてやったりな出来事であった。


アルカの回復点は女性にもあるので、女性の音域も狭い。これは実に都合がいい。
というのも、リディアは逆に自分の高めの可愛い声を維持しながら、低い声を出さずにかわいこぶって喋ることができるからだ。
実際リディアが日本語を喋るとカタセシスのせいで文末が低めの声になって可愛くないが、アルカで喋ると柔らかく高めの声を維持して喋るので、終始こちらは萌えたまま聞ける。
高い声で抑揚が激しいと女性の声はヒステリックに聞こえるが、アルカは抑揚が狭いのでそれもない。我ながら非常に良い設計をしたものである。

このように、頭と知識を使えば、「リディアが喋ったときに可愛く、自分が喋ったときに優しくカッコイイ」印象を与える言語を構築することができるのである。
そう、言語は智恵さえあれば随意に聞いた印象、聞こえすらも操作することができるのである。

私はあらゆる言語の中で聞こえに関してはアルカが最も好きだ。
それもそのはず、知恵を使って自分にとって最もよく聞こえるようにカスタマイズしたのだから。言語の聞こえをカスタマイズするなんて、我ながらなんて離れ業だろう。
言語の聞こえを自分の理想通りに操作して設計するなどという企画を誰が考えるだろうか。一万人いても一人も思いつきはしまい。そこまで耳が肥えている人間――言語のソムリエともいうべき人間――はまずいない。

私は子供のころから多言語の同じ内容を聞き比べるのが好きで、どの言語が一番綺麗に聞こえるかを判断するなどといった遊びをしてきた。
そういう遊びが功を奏したのだろうと思う。だからこそ日本に何人いるか、世界に何人いるかも分からない言語のソムリエの耳を手に入れ、しかもそれを使って自分用のワインを作ってしまったのだ。
このような職人レベルの耳を持った人間は、恐らく地球上に私以外にいないか、いても若干名だろう。

色々言ったが、要は綺麗な言語というのは言語学の常識と違って存在し、自分で設計できるものなのだ。言語学は正しくない。現実に存在する音感を学問が意図的に無視している。
言語学も調音音声学から帰納できる最大公約数的な普遍的音感については認めても良いのではないかと思うが、今のところオノマトペ論を論じる際にiが明るい印象を持っているといった程度しか積極的には認めていないのが現状だ。
事実は事実と認めた上で対処しなければならないので、言語学のこの姿勢はよくないだろう。綺麗な言語と汚い言語を作らせないための似非博愛主義と言われても仕方がない。

・言語レベル

ところで講師時代に実験をしたことがある。
生徒相手にフランス語やドイツ語や中国語などを話してみるのだ。
このとき学力の低い生徒ほど笑うというのがまず定石。学力の高い生徒は感心して聞き惚れることが多い。

人のことを笑うようなバカな生徒を観察していると、ある法則性に気付いた。
フランス語はr音が面白いらしく、たいていそこで笑われる。
中国語は全体そのものがバカっぽく聞こえるらしく、まずバカにされる。
だがドイツ語はほとんど笑われないのだ。

恐らくドイツ語の抑揚が英語より激しくなく、笑えるような音素も少なく、厳格に聞こえるからだろう。
この実験は面白いので、学のない人間相手にしてみるといい。
中国語やフランス語は笑われるが、ドイツ語はそれほど笑われない。

ちなみに英語は英語と教えないで喋ると笑われるが、英語と教えてから喋ると「おぉっ」と言われる。
これは「英語ができる=凄い」という公式が一般人の間で常識となっているからだろう。
だからこの実験はできるだけ言語名を隠してやってみるといい。
なお、カタカナ英語だといくら学のない生徒でも英語だと気付くので、喋るときはきちんと喋ること。でないと実験にならない。

さて、このように子供を観察して思ったのだが、どうも連中は抑揚の激しい言語を気恥ずかしいと感じ、バカっぽいと感じ、笑うのだ。
こっちはそれを肌で知っているから、アルカを喋ったとき笑われないよう、アルカの抑揚を下げたというのもある。
たまに余興で言語名を知らせず異言語を学のない人間の前で喋ることがある。
中国語を喋ると笑いながら「何それ、何語?」と言われるが、アルカだと素な表情で「何それ、何語?」と言われる。
この実験のおかげで、とりあえず一般人の耳にもアルカはバカっぽく聞こえないのだなと判断している。

・注記

なお、本稿はアルカが綺麗な言語だと主張しているわけではない。
まず、調音音声学から帰納できる最大公約数的な普遍的音感が存在するのではないかということを主張している。
その上でそれをアルカに応用し、自分たちにとって心地よいと感じる言語を設計したといっているだけである。

アルカが綺麗な言語だというのは私の視点であって、こちらについては普遍性はない。
その点は誤解ないようにしておきたい。

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