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時制の一致

・主節が過去で従属節も過去の場合

英語では主節が過去だと従属節も過去になる。
一方、アルカでは従属節の時制は主節の時制と相対化される。
従属節の時制が主節の時制と同じなら、主節が過去でも従属節は現在形になる。なお、厳密には現在形ではなく無時制という。

an fias im la vort(私が彼が死ぬとき生まれる)
an fiasat im la vort(私が彼が死んだとき生まれた):vortatにならない。無時制のvortになる。

これがアルカにおける「時制の一致」である。

従属節が主節より前に書かれた場合、主節の時制と比べようがない。
この場合、時制の一致は起こせない。よってvort→vortatとなる。
im la vortat, an fiasat.

ただしこのとき主節の-atは文脈から明らかとして省略されることがある。つまりfiasat→fiasでもよい。
あくまでこの現象は「自明なので主節の時制を省略した」であり、時制の一致が起きたわけではない。主節の時制が従属節の時制に振り回されることはない。時制が落ちるという結果が同じであっても、理屈が異なる。

・主節が未来で従属節も未来の場合

同じく時制の一致が起こる。

an vort sil im la fias(彼が生まれる頃には私は死んでいるだろう):vort silは不可。

同じく従属節が前に来ると時制の一致は崩れる。

im la fias sil, an vort sil.

ただしこのとき主節のsilは文脈から明らかとして省略されることがある。
あくまでこの現象は「自明なので主節の時制を省略した」であり、時制の一致が起きたわけではない。主節の時制が従属節の時制に振り回されることはない。時制が落ちるという結果が同じであっても、理屈が異なる。

・主節も従属節も過去だが、2つの過去の間に時間差がある場合

いわゆる「大過去」である。この場合、時制の一致は起きない。

an kut la vortat(私は彼が死んだと言った)
「言った」のも「死んだ」のも過去のことだが、「死んだ」ほうが「言った」より前の出来事だから、従属節は無時制にならない。vortをvortatにすれば大過去を表せる。had beenなどを使わなくていいので、大過去の表現は英語よりシンプルである。

ところでこのとき従属節を前に持っくると、yul la vortat sol an kutになる。
このとき「時制の一致が崩れてvortatになった」のか、あるいは「vortとkuの間に時間差があって元々vortatだった」のか区別できなくなる。

時制の一致が崩れた場合だとyul la vortat sol an kuと言える。上で述べた「自明なので主節の時制を省略した」というやつである。
一方、vortとkuの間に時間差がある場合はkutをkuにできない。kutのままである。この現象を用いてどちらのケースか判別することができる。

なお、この件は未来形にも同じことが言える。

・動詞がetの場合

les sakat vortmain lamel et evoan(最初の死体を見つけたのは警備員だった)

アルカのleは接続詞である。le節は機能上は形容詞節になる。分かりやすく英語的な言い方をすれば関係詞節である。
le節は従属節の一種である。従って時制の一致が起こる。

この文の場合、従属節は過去である。では主節はどうか。
死体の発見者は警備員なわけだが、ふつう職業は毎日ころころ変わるわけではないので、etが妥当である。ニュアンスは変わるが、lutでもturでも構わない。
もし彼がもう転職していたら、sesなりatなりを使う。sesは主観で使うことが多いので、地の文ならatのほうが良いだろう。

・時制の一致が起こるか否かは、認知主体がふたつの出来事の間に時間差を認めるかどうかによる

上の例文とは異なり、「最初の死体を見つけた人は警察に連絡をした」という文だったら主節も過去になる。
次の文ではlesから始まる従属節が主節の前に来ているので、時制の一致が崩壊している。
les sakat vortmain lamel oktat tu soda a nain.

もし従属節が後ろに来るような文ならどうなるだろうか。
evoan keklat nainan man sak vortmain(警備員は死体を見つけたので警察官を呼んだ)
時制の一致が起き、sakatではなくsakになる。

ところで死体を見つけたのも警察を呼んだのも過去のことだが、厳密に言えば死体を見つけたほうが警察を呼ぶより前である。
だから同じ過去でも、死体を見つけたほうが過去である。いわゆる大過去である。従ってevoan keklat nainan man sakat vortmainと言うこともできる。

主節と従属節の時間が全く同時というケースは現実には稀である。2つの時間が同じかどうかは認知主体の判断による。
言語における時間というのは認知主体による主観的な捉え方によって表現されるものだから、話者が「だいたいこの2つの出来事は同じくらいの時間に起きただろう」と思えば時制の一致が起こるし、たとえ1秒の差しかなくても「片方の出来事のほうが前だ」と思えば大過去が使われる。
従ってevoan keklat nainan man sak vortmainになることもあれば、evoan keklat nainan man sakat vortmainになることもある。そこは認知主体がふたつの出来事の間に時間差を認めるか否かという捉え方に帰結する。

・主節が過去で従属節が現在の場合

以下は主節が現在形で従属節が時制の一致を起こして無時制になっている文である。

selan le xookor a xok eelik al an. 互いに会話していた者たちが私の方を向いた。

これを主節が過去で従属節が現在に変えるとこうなる。

selan le xookat a xok eelik tur al an. (先ほどまで)互いに会話していた者たちが(今)私の方を向いた。

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