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性質と状態

la et lolだと、「彼は面白い人」なのか、「彼は面白がっている」なのか、分からない。
そこで、前者をlolanとしようとした。19年末の数カ月前にセレンが主導で指示した。
しかし、一向に広まらなかった。相変わらずアシェットは区別なくlolと言うので、なぜだろうと考えた。

言ってみれば、scaringとscaredの区別のない言語ということだ。
日本語と同じだ。なぜ西洋人が多いのにこうなっているのだろう。
恐らくアルカの言語的な性質が、西洋人の感覚を矯正しているのだ。


「もう大丈夫、君は安全だ」と「この車は安全だ」の安全は意味が異なる。
前者は君が誰かに守られたり敵のいないところにいることを意味する。
後者は車が運転手に危害を加えることがないことを意味する。車自体が守られるわけではない。車は恐らく壊れるが、それでも人を守るという意味である。

ふたつの「安全」は意味が異なる。なぜだろう。
よく見ると、前者は状態で、後者は性質である。
これが一番の違いである。日本語もアルカも状態と性質を単語レベルで区別しない。

ところで、アルカではscaringとscaredの区別がない。
英語のようにvemanとvemolと言い表せるが、実際にはそのように言わない。
la et vemと言ったとき、「彼は怖い人」なのか「彼は怖がっている」なのか、区別できない。
どうしても区別したいときは、前者はla vem elないしla et veman、後者はla na vemと言う。

英語では分詞で区別をするが、なぜアルカでは同じ手法が好まれないのだろうか。
la et vemanは厳密には「彼は何かを怖くさせる人だ」という意味である。
さらに厳密に言えば、「彼は何かに怖いという性質or状態を与える人だ」という意味である。

このとき、「怖いという状態を与える人」の意味で使えば、このvemanはscaringの意味になる。対象が怖い状態になる以上、彼は怖い人ということになるからだ。
しかし、「怖いという性質を与える人」の意味で使えば、このvemanはscaringでない。つまり、彼がカミナリオヤジみたいな人という解釈はありえなくなる。
ちなみに怖い性質を与えるというのは、例えば絵描きがヤギに悪魔の角を付けて怖くさせるような場合に使う。この場合、絵描き自体がカミナリオヤジということではないので、scaringにならないというわけである。

vemanには「状態」と「性質」の解釈があるが、性質の解釈の場合は「怖い人」の意味になれない。
そのため、vemanで「怖い人」を表現するのは曖昧で、好まれない。
恐らくその語感がアシェットにあったため、セレンが無理にvemanやlolanという表現を主導しても、違和感を感じて従わなかったものと思われる。

さて、la et vemのvemはというと、アルカでは状態と性質の区別がないので、これは状態にも性質にもなれる。
状態の場合、彼は怖がっていることになる。性質の場合、彼は怖い人という意味になる。

英語では分詞で「怖い人」と「怖がっている」を分けている。これは動詞の能受で分ける方法である。
一方、アルカは性質と状態で「怖い人」と「怖がっている」を分けている。日本語も同様である。
そして幻日ともども、性質と状態を言い分けないため、la et vemや「彼は怖い」だと解釈が揺れることになる。

ここまで見ると、「怖い人」と「怖がっている」の使い分けは、2種類あることが分かる。
1つは英語のように、能動と受動で使い分ける方法。
1つはアルカや日本語のように、性質と状態で使い分ける方法。

どうも言語にはこの2種類があるのではないか。
前者の場合、コト語として捉えている。あくまで動詞として捉え、動的に捉えている。
後者は逆で、あくまで静的なものとして捉え、それを性質と状態に振り分けている。

なお、日本語もアルカも性質と状態を単語レベルで区別しないため、解釈に曖昧性が生じる。
だが、これは性質と状態を分ける言語は曖昧だということではない。
性質と状態に区別することが問題なのではなく、その後両者を区別するか否かの問題である。

同じく、能受で区別する言語も、能受で区別するから明晰だというわけではない。
能受で区別した後に、両者を表現しわけるかの問題である。
むろん、性質と状態を言い分ける言語もあるだろう。逆に能受を言い分けない言語もあるかもしれない(実際には考えづらいが)。

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