ランジュ – 2014年3月8日 エトアの箱 2/2

「運用はどうするの?」
セレンは机の書類を返す。
「アルナ電力が反物質を使った発電所について考察しているようだが、論文中のBEP、損益分岐点を見ると難しそうだ。リスク問題もある」

「もし反物質発電所がアトラス中にできたら……」
「家庭の光熱費も産業コストも下がる。貧困国の暮らしも良くなる」
「乗り物のエンジンにも使える?反物質を動力に変える装置を小型化するのは難しくない?」

セレンは椅子に腰掛ける。
「唐突だが、神々やアシェットは人型の生物なのになぜ宇宙で戦えた?」
「mirok握膜でしょ」
「複層式の握膜だな。sapli膜などから成る」
「例えば体内の圧力を地上と同じにして宇宙で戦うには」
「ron膜を張って膜内に元の気圧と同じ圧力をかける」
「呼吸に関しては」
「サプリ複合膜はzom膜などから成る。例えばzom膜は酸素を作る。膜の厚さを変えて酸素や窒素の比率を調節して大気を模す。エルトの物質生成術と原理は同じだ。戦闘中は空いた穴を修復する。もぎ大気は28度。真空に空気と熱は逃げない。アルシャンテはこの原理ではないか」

「あと神々が宇宙で話せたのは」
「elis膜でしょ」
「fo膜とtes膜から成る。神が発した音波は球面状に広まり、tes膜で電波に変換され、単一指向性を持つ。球面状に広がった電波が相手のfo膜に入ると音に戻る。アンプなどもいらないスグレモノだ」
「vl以前に携帯電話やラジオを体得していたと」
「vlの科学が宗教を肯定したわけか」
「たまに神の声を聞いたという人がいるけど、無意識にfo膜を張ったのかな」
「地上まで届くか、周波数は合うか、神がアルフィでもtes膜を張ってるか、アルフィからここまで届くかなどの問題もあるがな」

「魔法工学で握は再現できても量や圧の問題で神の魔法は再現できない。人が科学に移行するわけだわ」
「それでも魔法研究所などは税金の無駄遣いと言われながら細々と研究を続けてきたがな。反物質の応用も」
「え、その話は本に載ってなかったよね?アレイユでお上が出した実績というとガロアとかしか知らないけど……」

セレンは紙を差し出す。
「設計図?」
「反物質カーのな。箱内には反物質の塊。壁面にはgalt膜。異界の門のアーチと同じ握で、物質の移動を防げる。下面にはatoeがかけてあり、塊は上面に押されている。下面を刺激すると上への重力が増し、塊が強く押される」
「壁面はガルト膜なので対消滅は起きないわけね」

「上面にはミクロの穴」
「正物質の空気が入って対消滅するでしょ」
「なので穴にはヴァンガルディ膜を。不思議に思わないか?門の向こうはユマナで、正反逆の世界。なぜ境界面の門で対消滅が起きない?」
「言われてみれば……」
「あの門には正反物質の移動を防ぎ、かつ通る物質の電荷を逆にする機能がある。死神はただの門番だ」
「ふむ……」
「ヴァンガルディ握は前者の機能を果たす。あの門は複層式だ」
「つまりこの穴は異界の門の再現?」
頷くセレン。
「ガルトとの違いがわからない」
「ガルトは物質の移動阻止。ヴァンガルディは正反物質間の移動を阻止。どのみち箱外の正物質の空気が入ることはない」

「あぁ…。てゆうか門が二層式とは驚きだわ」
「いや、四種の膜から成っている。門の彼我で特定の力やエネルギーを遮断ないし吸収する複合膜のメルティア膜と、ヴィードのやり取りをしないヴィード膜の計四種」
「メルティアの召喚ゲートも同じ仕組み?」
「ガルト膜の有無を除いてな。箱上面の穴はヴァンガルディ膜とメルティア膜。アトエで塊が強く押されると圧力で反物質の一部が二膜を通る。門が歩行の推進力で通れるのと同じだ。反物質は膜の向こうの正物質の空気と対消滅。その際のエネルギーはメルティア膜のおかげで箱内には来ない」

メルは設計図を見る。
「反物質が気筒内で内燃し、その圧力でピストンを動かす。車や船のエンジンの原理ね」
「穴の面積や塊への圧力を変えて対消滅させる量を調節できる」

「魔法研究所がこんなことを……」
「立役者はアルシェ=アルテームスという研究者だ。アルナ大卒で、アレイユでユマナの研究をしていたらしい」
「よくそれて食べていけたわね……」
「なんせ親がアルタレスのハイン=アルテームスだからな」
メルは「え、あのフェンゼル=アルサールの乱の!?」と目を見開く。

「でもさ、握なんてたくさんあるのにどうやって特定したの、そういう膜」
「メルティアにゲートを分析させてもらったりと、色々だな」
「どこにそんなコネがあるのよ……。来てくださいで来てくれる相手じゃないでしょ」
「アルシェの奥さん、レイン=ユティアとかいったかな、元アルナ大のレンスリーファで、今はディアクレールの編集らしいが、娘時代にメルティアと知り合ったんだと」
「……は?」
「まぁそれでいろんな握が見つかったんだが」
「え……じゃ何……ユマナって……実在するの?」
「みたいだな」
メルは額に手を当てる。現実をにわかには受け入れがたいようだ。

「ちょっと待って。じゃあなんで反物質カーは実現してないの?」
「メルティアのゲートってすぐ消えるだろ。安定して存在させるには魔圧が足りない。人工的にも無理。で、頓挫。研究所はこの結果を公開しなかった。メルティアにコネがあることがバレる内容なので、研究者の安全を考えてな」
「ならなんでお兄ちゃんが知ってるの?」
「そのアルシェの娘がシオン=ユティアっていってな、今年14歳のアルナ校生で、うちのサイトのユーザーなんだよ」
「あ~……」
「ネカマだったんでオフ会で会って驚いたよ。俺が現代魔法学の民間大家だから興味を持ったらしい。口外しない約束で研究について教えてくれたんだ」
「それで本に載せなかったのね。まぁどのみち机上の空論だし」

「それなんだがな。やってみたらできたんだよ、膜とか」
「……生成したの?」
「装置のサンプルも作った」
「そんなの車に積んだら危なくない?事故とかテロとか」
「箱の壁面は外から順にガルト、ヴィード、メルティアだ。ガルトがあるので物理的に穴を開けるのは不可能。エネルギーが通ると反物質の体積が増えて常に反物質が気筒に漏れる恐れがあるのでメルティアでカット。二膜は握膜という網なので別の握は網目を通れないが、ガレットなら通れる。ガレット銃で箱内にzom握とか形成されたら対消滅するのでヴィード膜を二膜間に挟む。この膜は網目の隙間もガレットの通過を許さないからな」

「上面の穴に正物質を流し込んだらメルティア、ヴァンガルディを通って対消滅よ」
「だな。なのでメルティアの上にガルト弁をつけておく。弁は下からノックされると側面のスリットに収納され、反物質が通過すると共に戻る。上から正物質が流入することはない」
「上からメルティアの各々の膜の透晄を照射し、メルティアを溶解。同じ容量でヴァンガルディ透晄でヴァンガルディ膜を溶解。そしてzom握を照射して対消滅。……どう?」
「お前よくそう言うの一瞬で思いつくよな。なので、ガルトとメルティアの間にヴィード膜を入れてある」
「ふむ……」メルは指をトントンする。

「そもそもガルト膜をガルトの透晄で破って物理的に箱を壊して対消滅させればいい」
「ガルトには透晄が効かないんだよ」
「何その中二的キャンセル能力!」
「キャンセルしてるわけじゃない。透晄無効化なんて魔法学的に無理だしな。ガルト握と同じく物質移動を防げる握がある。互いに一箇所しか配列が異ならない、エルトガルトとサールガルトという、異性体みたいなものだと思ってくれ。エルトの透晄を極限まで近づけるとサールに変わり、サールの透晄を近付けるとエルトに戻る性質がある。異界の門のアーチの材質になっているくらいだからよくできているわけだ。なおガルト弁があるのでヴァンガルディ膜は取る」
「その箱、お兄ちゃんにしか作れないわけ?」
「あぁ」
「壊せるの?」
「無理だ」
「じゃあその箱を車から盗めば最強の盾じゃん。そのテロどう倒すの?」
「なので魔圧を少し弱めに膜を作り、魔圧を維持する台座に載せておく。台座は車に備え付ける。台座から箱を取ると魔圧が弱まり、メルティアのゲートと同じく握が膜の形を保てなくなる。外側から順にな。一番外側のガルトが崩壊すると台座から正物質が射出され、ヴィード、メルティアを通って対消滅。だがメルティアにより箱外に被害はない。その後ヴィード、メルティアも崩壊。箱を崩壊できなきゃ産廃の問題も出るしな」

「台座から正物質を射出しなくても、流入した空気で自然と対消滅しない?」
「真空中で作業されたらどうするよ」
「そっか……。じゃあ台座ごと持ってけば盾として使えない?」
「台座やそれを変える部分に強い力を加えると箱が外れるようになっている。嫌がらせで車の燃料をダメにされるリスクはあるが、手の届くところには置かないし、車分解されたらもはや燃料云々の話じゃないしな」
「事故ったら燃料はだめになる?」
「箱代より修理代を心配した方がいい」
「膜や台座は大量生産できるのね?」
「最初少しとあと定期的にちょいちょい俺が働くことになる人力な世界だな。工学技術にも頼るが。下面のメルティア膜からは垂直膜を除き、アトエは台座に設置する。ここまで発展するとエトアのネーミングから逸れる。台座も箱から外すと膜が崩壊する。乗り物以外に発電所もだから、最初ちょっと多めに働かんとなあ」

「ふむ……。異界の門や召喚ゲートにはヴィード膜があるのよね。通ると体は通れるけど、ヴィードはごっそり門前に残していくことになるわけか」
「あぁ。ユマナにヴィードがあれば向こうのヴィードを体内に補充すればいいが、俺のヴィード場仮説に従うとユマナにはヴィードがないだろうな。逆にユマナからこっちに来れば人によってはヴィードを持てるかもな。アテンならだが」
「異世界の少年セレン……」
「さてね」
セレンは箱をくるくる回す。

「これが実用化されれば……」
「発電所も小さく、車のエンジンもコンパクトになるな。電気代も安くなる。アルナ電力の構想よりいい」
「目処はあるの?」
「ウチのユーザーに車屋の技術デスクがいるんで投げようかなと」
「シオンって子に許可は?」
「取ったよ」

メルはため息をついた。
「その子のこと、私にも内緒にしてたんだね」
「メールでやり取りするタイプのユーザーだし、大事なことはオフでしか話そうとしない子だからなあ」
「現代魔法学が専攻なの?」
「まさか。趣味だそうだよ。将来はアヴァンシアン入所を希望しているらしい」
「その子って……」
「あぁ、ラヴェルヴォルトが起こると考えている派閥だよ」
「お兄ちゃんやメルと同じだね」
「んー、俺はシオン君に近いかな」
「君?」
「あ、ネカマだったんで、その頃のクセで」
「あぁ……」

「411年にアヴァンシアンが月面基地シェラザードを建て、412年にシェラザードはディミニオン型の物体を発見し、アトラスへ送るも、テロ組織ランフィオーレに一体を奪われた。413年にアヴァンシアンとランヴィオーレはアトラスで柩晶を発見。アヴァンシアンのものは現在施設内に安置。で、お前の論文読んだよ」
「アンジェリカの試論について?」
「お前なんで数学科なんだよ。工学行けよ」
「だけどディミニオンが再来したら対抗手段はそれしかない」
セレンは背を反らす。
「お前、なんつーかエヴァ的な想像してない?」
メルは顔を赤らめる。
「だ、だってユリウスのときは実際そうだったわけだし!」
「うーん、俺やシオン君はそう考えてないんだよなぁ。化物が来て人型兵器で決戦!――とかさ」
「じゃあディミニオンは現れないと?」
「いや、現れるだろ。でも来るんじゃない」
「どういうこと?」
「なんていうか……逃げる」
「……逃げる?」
「確証がないんでまたの機会にな」と言ってセレンは手を振った。

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