国際語論 2/2

seren arbazard

・中立文化を持つべき

セレンが述べている通り、言語と文化風土は不可分である。そこで文化を漂白した脱文化を掲げたが、すべてにおいて文化要素を排除するのは事実上不可能である。その場合にはどの文化にも属さない中立的な架空の文化を立てれば皆にとって平等で公平となる。すなわち「理想的な国際語」に相応しいと言える。たとえば上で挙げたvelantだが、これについて考えてみよう。この語は「一本道」を意味するが、その語源はavelantisという語にある。avelantisは異世界カルディアにおける死者の黄泉路である。この世界では人は死ぬと死神が来て魂をあの世に導くと考えられている。avelantisはこの世とあの世を繋ぐ一本道であり、そこからvelantは来ている。したがってvelantという語は脱文化的な表現ではないと言える。しかし現実のどの文化にも属さない思想哲学なので、中立文化と言える。「理想的な国際語」は言語である以上、文化と不可分である。そこでどうしても文化を考えなければならない場合、このように架空の想像上の文化といった中立文化をあてがう「理想的な国際語」としての相応しさを保てる。

・定義しやすく学習運用がたやすい四角四面な語法を持つこと

概念マップを参照のこと。
自然言語の辞書の定義はどれも例外や反例を感じるものである。たとえば明鏡国語辞典第2版には愛の語釈は「価値あるものを大切にしたいと思う、人間本来の温かい心」とある。しかしこの定義だと、他人の家の価値ある壺が割れないよう丁重に大切に扱う場合も当てはまるが、その人が壺を愛しているとは言いがたい。このように辞書の定義は自然言語においては意味領域が青線のように複雑な形をしているので、言語で必要十分に説明しがたい。アルカは人工言語なので言語の意味領域(青)のほうを定義(赤)に合わせられる。たとえばアルカで愛はtiiaだが、これは「対象の利益や幸せを自分のそれより優先すること」であり、この定義に当たればすべてtiiaであるし、当たらなければtiiaでない。つまり男女の性愛でも自分の身のほうが大事な希薄な関係ならtiiaとは言えないし、逆に相手が赤の他人でも自分より大切だと思えればtiiaと言える。定義に言語を合わせることで、その民族の人間が辞書を読んで語義を覚えたとしてもまるで法律の条文のように良い意味で杓子定規にその語を運用できるので、どの民族が使っても語法の違いによる意思疎通の齟齬が起きない。法律の条文のように辞書の定義がその語の意味領域を指定するので、同じ辞書を使っている限り、ユーザー間で誤解が起きない。そのためには「理想的な国際語」は語法の定義を持った辞書とその辞書が定める通りの意味を持つ、四角四面な語法を持った言語の設計をしなければならない。そして2015年現在アルカはそれを持っている唯一の言語である。ゆえに語法論においてもアルカは「理想的な国際語」に相応しいと言える。

・「理想的な国際語」の意義

無題

たとえば日本人が米中仏の人とそれぞれコミュニケーションすると言語を習得せねばならず大変である(fig1)。そこでfig2のように中間言語を介在させればひとつの言語を覚えるだけで誰ともコミュニケーションできるようになる。
この中心に来ているのは現実には英語だが、それだと英語帝国主義になるので「理想的な国際語」が望ましいというのが本論の前提である。そしてこの「理想的な国際語」の部分にはアルカを提唱している。
この真ん中に来るのは中立で平等でなくてはならない。アルカの場合、語順はSVOがデフォルトなので英仏に有利だが、名詞に単複がないのでその点では日中に有利である。それぞれの点において各国語にとって有利不利があるので、結果的に平等な難易度となっており、中立かつ公平である。

ザメンホフは民族間の言語の壁が民族紛争など諍いの種になっていると考え、言語の壁をなくして世界を平和に導こうとしてエスペラントを作った。エスペラントの精神は反戦と博愛主義である。
このフィルターでアルカを見てはならない。アルカの場合、支配関係のない精神的平等を言語によって実現する方法を提唱している。これは魂の戦いである。母語の自国に支配されず、英語帝国主義にも支配されない精神的に自由で平等な生き方の実践。利ではなく理の問題。哲学的で高尚なテーマである。利を取るなら母語と英語だけで生きればいい。精神の自由と平等という理を尊ぶなら「理想的な国際語」で生きることができる。その理が、精神の自由と平等が「理想的な国際語」の意義である。

以上終わり。これを元に議論して原稿を詰めたいです。コメントを。

コメント

  1. リディア語仕切り直すんですか( ゚д゚!)(うろ覚え)
    velantの語源はavel+lantisで「アヴェルの徒」→「哲学者」→「形而上世界に導く者」→
    「戻れない一本道」→「~せざるをえない」とのことですが、一本道のメタファーがポイントなら
    hotやfontを使うなりして「The only way is ~」のような意味の一語を作ってもいい気がします。
    でもこのレベルまで文化を漂白・中立化するとしたら、新生アルカからの調整程度では済まず
    制アルカからの大改訂以上に語源の地殻変動が起きて、セレンさんにとっては
    豊かな歴史の失われたつまらないものになってしまうような予感もします。

    構文についてはxelの意味がパッと見よく分からなかったのですが、なぜかと思ったら
    幻日辞典の例文二つのうち「tu et rat xel ti luna atu」の方は
    tuが形式主語で内容が動詞の向こう側で説明され、
    「an siina lu xel kaan」もanと同格のkaanがVOの後まで倒置されてるんですね。

    ということはxelは主部を短く抑えて動詞を早く来させるための倒置マーカーであり、
    統語論ではSとVとOを基本3分類としながらもS’VOSやSVOS’のように
    いわば主語分割構文が発生してるように見えます。

    あとたしか前の機会に書いた、受動文で法副詞yuが動詞の主客を後からキャンセル・逆転させることで
    OSVではなくOVSになるのも結果的に英語の「be ~en by」と同じようなことをやっていて、
    格詞による基本的な語順の自由を超えた倒置構文なのではないかと。

    その他もろもろの万難を排して中立言語の方向性を探るのであれば、ぜひ数学語帝国主義で
    世界中の学生を苦しめてる形式論理の表現も、ロジバンよりもう少しなんとかしてほしいです(笑) 

  2. velantの例は「どうしても文化を考えなければならない場合」に当てはまらないので、中立文化の例として不適切かなとは私も思いました。

    セレンさんのレスは1ヶ月以上は遅れると思いますがご容赦ください。

  3. もし現実に国際語になろうとするなら、”political correctness”に応えることが避けられなくなってくるのかなぁと思います。特に感じたのが、”ver”にスティグマを負わせる派生語が多すぎるなぁということです。”ver”とは別に、虚心坦懐に黒色を表す言葉を設けないときびしいかな…と。また、「ネグロイド」を意味する言葉はあっても、それに相当する言葉はないようなので、そこも少し気になりました。

  4. 2015/5/15 seren arbazard

    >viharatiさん

    ご意見ありがとうございます。セレンです。
    仰るとおり、国際語に本当にしようと思ったら、俗幻を元に別の言語(結幻)をチューンアップする必要があります。その際、verのような文化的、認知的な表現は改める必要があります。
    国際語論でアルカを提唱しましたが、個人的には結幻を推さなくても良かったかなという迷いがありました。実際アルカにはまだそれだけの力がないからです。ここ10年~20年位は芸術言語としてのアルカを伸ばしていくと思うので、結幻に割く労力が足りず、その状態でアルカを押すのは大言壮語かなと思った次第であります。

  5. 2015/5/25 seren arbazard

    >末広さん

    しばらく会わぬうちに文が巧くなったり考察が深くなっていて驚きました。

    で、おっしゃること、わかります。
    その兼ね合いもあって、理想的な国際語論からアルカを推すとか結幻がどうのの部分取り消します。
    今のアルカをチューンするくらいじゃ理想的な国際語にはなれん。

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