変わらない言語

2015/5/2 seren arbazard

言語の最大の欠点は時とともに変化することである。新語が増えるだけならまだしも、旧語の語義まで変わってしまうのが常である。
何が欠点かって、その情報の保存性の悪さである。
bmp画像はHDDが古くなるたびに新しいHDDにコピーしておけば一生その写真は色褪せることがない。しかし紙に焼いた写真はたった数十年で色褪せてしまう。元データのフィルムも永久不滅ではない。
言語は紙焼き写真のように情報の保存性が悪い。たった百年前の漱石の文ですら一般人には読めないところがあるし、千年昔の源氏物語だともはや古文を履修したものでないと読めない。とても同じ日本語に見えない。

なぜ言語はこうまでも変わりやすいのか。その答えは、人工言語を作ってきた者には経験として分かることであるが、ネイティブの言語の覚え方がトップダウンだからである。ネイティブは言語を覚えるとき、コミュニケーションの中で自然と言語の意味を理解する。辞書を引いていちいち覚えることはない。
なので大人でも間違えて語義を推測して、しかもそれが大勢だといつしかその誤用が認められるようになる。「すべからく」が「すべて」に形が似ているからといって「すべて」的な意味だと思っている人は多い。
「仰られる」が二重敬語だと気づいていない人も多い。
私自身、「忖度する」という動詞を「相手の状況に配慮してやる」くらいの意味に考えていたことがある。違和感を覚えて辞書を読んで初めて意味を知った。

言語は実際の運用を通して習得される。いちいち辞書を引いて語義を暗記するようなことはない。
なので、ほとんどの語には「こういう場面で使われる言葉だ」くらいにしか把握されておらず、みな正確な意味は知らない。
語義は各個人の中で。ぼんやりと用例と合わせて覚えられている。ಡ←こんな形のように、ヨーロッパの国境のように捉えきれない定義しづらい曲線でできている。
ぼんやりとしか理解されていないので、当然その形は移ろいやすいし個人差もある。
辞書は言葉を使って四角四面に語義を定義する。▱←こんな形のように、アフリカの国境のごとく、論理的に定義しやすい。

もしネイティブが赤ん坊のうちはトップダウンで行くとしても学校に上がってからボトムアップ式に語義を覚えていったら、その言語の語彙の定義は論理的な四角四面な定義しやすいものになるだろう。
いわば、法律の条文と同じレベルで辞書の定義を丸暗記し、言語を運用するのである。この場合、皆が同じ語義を共有するし、定義はきちんと書かれているので、その言語は変化しにくい。
我々は「夢」という語の定義を知らない。そんなもの辞書でいちいち覚えないからだ。「すべからく」も多くの人はなんとなく使っているだけだろう。
こういう定義を覚えていない語の意味は変わりやすい。
逆に憲法25条の「健康で文化的な最低限度の生活」というフレーズは大半の人がこのままの形で丸暗記していると思う。なぜって学校で暗記させられたからだ。このフレーズのように、まるまる覚えてしまったものは変わりにくい。
法律家は法律を丸暗記するが、そのままの定義で覚えておくことによって、法律が曖昧になったり突然変わることがないようになっている。
で、これを言語にも応用すれば、実に変わりにくい言語ができあがるのではないだろうかと思われる。
子供たちは学校で辞書を読み、語義を覚え、四角四面な定義で論理的に話す。
それは今までの自然言語を超越した言語なのではないだろうか。
極めて論理的でかつ人によってブレがなく論理的で、まるでプログラミング言語を扱っているかのように人の言語を使うことができる。
で、世界には自然言語並みに作りこまれたそういう言語がないので、私はアルカの辞書diaklelで世界初の挑戦をしたいと思っている。
そしてそれによって百年千年と未来に繋がる変わらない言語を実現することができる。最低限、新語の関係でアペンドしたり修正することはあってもだ。

で、それは何語で書かれるべきかだが、日本語や英語など自然言語は変化するのでふさわしくない。その変化のないという人工言語――つまりアルカで書かなければ意味がない。
たとえば25条について「えーなんだっけ、病気がなくて文明的なそれなりの生活だっけ?」といったらほとんどの知識人が「いや、健康で文化的な最低限度の生活だよ」と訂正してくれるだろう。
この条文のように語義についても法律のごとく覚えておけば齟齬や変化も生じにくいし、アルカをアトラスの国際語として使うにも必要なことである。

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