言子と文子

2015/6/4 seren arbazard

言子とは形態素、語、句、節といった文法的な単位でなく言語の認知上の最小単位のこと。片栗粉は普通の人は「片栗粉」という形でひとつの意味を成すものだと考えている。1言子である。しかしこれがもともとはカタクリという花から作られたということを知ると、パン粉などのように「カタクリ」と「コ」の2言子に分かれることができる。
言子は認知上の単位なので文法は関係ないし、同じ人間でも状況によって同じ言葉が1言子に見えたり2言子に見えたりする。片栗粉もカタクリの粉だと知った後もやはり片栗粉は片栗粉というものだと考え、1言子として見ることができる。

文子は言子2つ以上が成句的に組み合わさったもののこと。「AだかBだか知らねえが」というのは日本語の成句で、これでひとつの文子。人間は何万かの言子と何万かの文子を脳内に持ち、文子を他の文子や言子と組み合わせて文を作る。「オンデマンドだかポンデリングだか知らねえが」はこの文子構造に各言子をはめた文。Aには未知か気に食わないもの、かっこつけたもの、しばしば難解な語が来る。Bには俗っぽいもの、ダサいもの、馬鹿っぽい語が入る。オンデマンドは「需要に応じて」という意味で、印刷関係などで使う。ポンデリングはミスタードーナツ社の人気メニューで、女子供がよく食べる。俗っぽい。

言語学的な文法論は人の頭に入っていない。国語の授業でやっても覚えないのが普通なことからも明らか。人は文子と言子を組み合わせて言語を運用する。したがってメンタルコーパスは数万の文子と言子から成る。
文子は必ずしも関数のように「AだかBだか」のように変数から成っているとは限らず、オンデマンドやポンデリングのような個物具体的な形で文子として記憶されている場合もあり、その場合には「フレイムタンだかナポリタンだか知らねえが」という別の文は変数Aでなくオンデマンドの代わりにフレイムタン(剣の名前)が入ることで作られる。これは類推である。

実際人間は認知文法や生成文法のような文法を持っておらず、この言子と文子から文を作る。この事実は数十~数百年の間にセレン=アルバザード以外の誰かによって再発見されるだろうが、最初に唱えたのは2003年のセレン=アルバザードである。フェルマーの定理のように正しい結論だけ述べておく。言語学者でなく、人工言語学者が先に真理に到達したのは皮肉である。

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