表現法論

2015/6/4 seren arbazard

自然言語ライクなアプリオリは独自の表現法を持つ必要がある。しかしオリジナルの表現法を持っている人工言語は今のところアルカしかない。
同じ内容でも言語によって言い回しは異なる。CLAMPの『CCさくら』1巻p33で少女が「それでも護り役なのー!?」と言っているが、これは「それでもAなの?」という日本語の文子から成る。英語版だと”And you call yourself a guardian?”である。直訳すれば「そしてあなたはあなた自身を守護者と呼ぶ?」であり、言い回しが日本語と違う。
同じくCLAMPだが別の翻訳者の『こばと』1巻p59では日本語では「そっちかよ!」と言っているが、英語では”You call that research?!”となっている。さくらのときと同じ文子を使っている。つまり、「お前そんなんでよく○○のこと××って言えるな!」という皮肉や苛立ちを表すとき、英語は「You call A B」という表現法を取るが、日本語はその直訳のようには言わないということである。

このように一つ一つの文を直訳するのではダメで、その言語ごとの表現法に合わせた言い方をしなければならない。つまり、オリジナル言語の表現法をつくる必要がある。
アルカ版のこばとではp18の男が電話に出るところで、ou, dildoxと言っているが、英語版では”Oh, sorry”と言っている。
dildoxは人混みの中を掻き分けて進むときの言葉だが、人の話を中断して電話に出るときも使う。
こういう独自の表現法まで持つのは現状アルカしかない。「こういうときにはこういう言い方をする」というスキーマごとの文子を設定してこそ表現法は獲得でき、それは次点のメンタルコーパス構築にも繋がる。

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