なぜカルディアの「創世記」はかくも複雑か

2015/11/4 seren arbazard

なぜカルディアの「創世記」はかくも複雑か。
それは言語も世界もアプリオリにし、かつセレン少年をユマナとカルディアに行ったり来たりさせるためである。

もしユマナとカルディアが物質の正反が違うだけの鏡像のような世界だったらカルディアはこの現実のアポステリオリになってしまう。もしある時点でユマナとカルディアという別々の世界線に分岐して行ったら、アトラスは地球のアポステリオリになってしまう。もしrydiaがユマナのセレン、つまりヒトを見てエルトとサールの形態として模倣したら、ユマナのヒトはアポステリオリな存在なので、エルトとサールに端を発する霊人型はアポステリオリになり、カルディアはアプリオリな要素のみでできていないことになってしまう。

アルカの特長は「言語も世界もアプリオリな史上初の人工言語」である。なのでカルディアにアプリオリの要素を入れられない。エルトとサールはユマナのヒトでなくアトラスの霊長類を基にデザインされていなければならない。
ユマナとカルディアは双子宇宙ではなく双子世界である。しかし互いに異なる世界であり、カルディアはアプリオリである。
知的生命体はヒト型以外にもありえるし、彼らが言語を作ることもありえる。つまりヒト型でない生命によるRELはありえる。しかしカルディアの場合はセレンの転生という条件があるため、カルディア内にある惑星アトラスが選ばれ、そこは地球に酷似していなければならなかった。気圧、気温、重力、大気組成など、どれを取ってもセレンの生存上地球と大きく異なってはならなかった。
セレンはカルディアに行って少女リディアと出会い、恋をし、悪魔を倒して世界を救わねばならない。そして最後にはユマナとカルディアを終末に導き、最初の状態(arma t’arkadia)に戻して永劫回帰せねばならない。

このカルディアという世界のレゾンデートルはserenとrydiaの恋物語にある。セレンがカルディアに行ってリディアと結ばれるために双界はある。その大前提を崩すとカルディアやアルカのレゾンデートルがなくなってしまう。

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