アルカの人工言語学的価値について考えなおす

2015/11/8 seren arbazard

REAは不可能で、RELとNATは造形に関して中途半端。この結論が出て、「さてアルカに何の意味があったのかな?」と悩んだ。中途半端なものは作りたくない。RELもNATも作り込みやリアリティ、つまり造形に関して中途半端だ。そう分かってしまったのにアルカを価値あるものとして見なすのは少なくとも私には無理だし、REL化しようという意欲も失せた。となるとアルカに捧げた24年間とは何だったのかと思い悩む。時間だけはひたすらある世界で考え続けた。

そこでひとつの人工言語分類上の素性に気づいた。
SHA(Shared background)である。
ある人工言語を-IMG(つまり現実)で2人以上の人が使い、そのユーザー間が同じ価値観を共有する場合、+SHAとなる。アルカには二面性があって、カルディアでは、つまりIMGではNATをでAUXで-PRIだが、現実にはNATでARTでPRIでSHAである。どちらが歴史的に見て先かといえば後者、すなわち-IMGのほうである。
アルカは1991からリーザ、リディア、セレンらにより作られ、1994までに古参と呼ばれる10余名のユーザーにより作られるようになった。このユーザーが多国籍だったため、共通の価値観が必要となった。特定のユーザーの価値観に合わせるのは不公平なので、私たちはPRIな価値観を作り出した。それが後にカルディアとしてスピンオフする。2005~2013の間はむしろアルカはカルディアの中のIMGとしての人工言語という側面のほうが強かった。

PRIな価値観を共有した時点でアルカはSHAとなった。私は2005~2013の間にSHAとしてのアルカには興味を失い、IMG上のNATとしてアルカを高めようとしたが、2015にReallangの考察により、NATやRELの中途半端さやRELの不可能性にぶつかり、IMG上のアルカにも興味を失った。それから振り返ってみると、人工言語学としてはSHAとしてのアルカのほうが分析対象として貴重でかつ面白いと感じた。

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