『アルカの書』〈かみさまの懺悔〉

かみさまの懺悔

 ――こんな夢を見た。
 俺はどこか建物の屋上にいた。辺りは暗く、夜だと分かる。少し離れた所に一人の青年がいた。それがどうも俺によく似ている。……というか、俺の成長した姿のようにみえる。ということはあれは俺なのかと思って見ていた。
 一方、屋上の柵には一人の少女が座っていて、彼女は月を見上げていた。その少女は亜麻色の髪に深い緑の目をしていた。それは先程出会ったリディアという子によく似ていた。こちらも「似ていた」というより、正確には先程のリディアの成長した姿に思えた。中学生くらいにみえる。
 そよ風が吹く夏の涼しい夜だ。少女の髪が月の光を浴びながらさらさらとなびく。青白い月の灰明かりに映えた彼女はとても美しかった。

「ねぇ、どうして世界はあるの?」
 唐突に、少女の口から言葉が紡ぎ出される。
 すると青年は静かに答えた。
「最初の神さまがこう思ったんだ。ひとりはさびしい――って」

「そうして世界はできたの?」
「そう。創造主はうそをついたんだ。たったひとつの小さな嘘を。
 そして嘘の上にもうひとつ嘘を作ったんだ。
 いつの間にか嘘は空高く積みあがって、塔になった」

「誰も嘘を咎めなかったの?」
「だって最初の嘘がばれてしまったら、世界は消えてしまうから。
 みんなは嘘を吐き合うことで安心したんだ。みんなが同じ嘘を言えば、いつかその嘘が本当になるんじゃないかって思ったんだ」

「それじゃあこの世界は嘘という無でできているの?」
「そう、嘘でできている。だけど無じゃない。嘘が集まると、ごく稀にだけど、何かが生まれることがあるんだ。そして世界はその『何か』でできている。決して無ではないんだ」

「難しいんだね」
「そうだね。たくさんの嘘はややこしいんだ。きっと、ついた本人も分からなくなってしまうほどに。
 そうして神さまはひとつの嘘にすがったんだ。
 ただの強がりも嘘さえも、願えば『ほんとう』になるんじゃないかって思ったんだ。
 これは、そんな寂しがりの神さまが見ている夢なんだ」

「だけど、カミサマ、言ってたよ」少女が微笑む。「最近は夢を見ることができなくなったって。神さまね、もうあまり眠れないんだって」
「じゃあ……」青年は首を傾げる。「世界はどうなってしまうんだろう?」

「それで、神さまは自分の夢を人に喋ったのよ」
「なぜ?」
「人の記憶に残ることが、夢を生かすことだから」

「あぁ」青年は寂しそうに微笑みながら頷いた。
 少女は青年に近付くと、慰めるようにそっと手を握った。

「誰かの中で生きることで、嘘は命を持つの。
 そのために神さまはどれだけの犠牲を払ったのかしら。
 これはそんな寂しい神さまのおはなし。
 かみさまの、懺悔」

 ふっと画面が切り替わった。どこかの屋上ではなく、先程の公園だ。さっきと同じく暗く、俺は赤レンガと時計の間に立っていた。
 時計を見る。8時過ぎだ。
 (セレン君)
 声に振り向くとそこには先程出会った少女リディアがいた。
 「あれ……俺、今どこかの屋上にいたような……」
 (屋上で何を見たの?)
 「なんか大きくなった俺とお前みたいなのがいて、喋ってた」
 (あれは1991年6月24日午後8時に私が見た夢なの)
 「夢?先月お前が見た夢を今日俺が見たのか?」
 (ちなみに今この私たちが話しているのはセレン君の夢なんだけど……)
 明晰夢だ。夢のなかで「あぁこれは夢だ」と分かってしまうやつだ。俺は眠りが浅いからか、昔からよく明晰夢を見てきた。でも――
 「でも夢のなかで誰かに『これは夢だ』と言われて気付いた明晰夢は初めてだ」
 するとリディアはくすくす笑う。(これは私の夢でもあるからね)
 俺の夢であり、リディアの夢でもある。一体この子は何者なんだろう。聞きたいことは山ほどある。しかし時間がない。俺は知ってるからだ。明晰夢というのは気付いてほんの少ししたら目がさめてしまうことを。
 そして結局俺は夢のなかのリディアに何も問いかけることができないまま、気がついたら朝になっていた。

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