どこから書こうかなあ。文章を打つのはミール以来だから久しぶりだな。  今、大河原君と見ていた月は綺麗だった。  今朝の夢で見た人形は綺麗だった。  今夜の月は雲一つ無く、ほぼ満月だった。それくらいなら良くある月だが、今まで見たこと無いくらい明るく白黄色に光っていた。月光で目が痛くなるなんってまずありえないだろうに、まぶしくて目を少し細めたほどだった。感傷のせいで余計に明るくなったのではない。彼も異常な明るさを認めていた。  さて、今は2001年5月8日になったばかりの深夜だ。今は1:30.これから寝るにしても、大学1限からなので5時起きだ。  いつだったかな、つい先日の事なんだが、リュウが話しかけてきた。俺は10日ほど風邪で寝こんでたので、病の途中だったかもしれない。リュウがなんだか誤魔化すように笑っていた。あいつは大事はいつも笑ってごまかす。だから、またイヤな予感がした。 「風邪ですか? 顔色がすぐれませんね。まぁ、無理もないか」と意味深気に言うのでなんだと問い詰めたら、「あなたはもう長く生きられそうにないですね」とさらりと言いやがった。なんでも、胸の病気なんだと。例の小学の時の事故でやってしまった心臓(というかよくわからんけど、心臓とか肺とかの胸らへんだろう)の件だろう。  その後、火曜日の対照言語学の後で安藤君と行く筈だった恵比寿を取りやめにした。そして家に帰った。暫くは風邪で倒れようと思った。が、仕事はしなければならないので、麻衣子ちゃんの世話はしなければならないと決めたので、プリントを4枚作成し、備えをした。  医者に一応言ってみたら、黒河院長に「喘息だった? 家族に喘息持ちは居る?」などなど質問された。全部Noと答えると、「そうかぁ。でも、これは喘息だね。僕らは聴診器で聞こえる音から判断できるんだ。明らかにヒューという違う音になるからね。それにしても、大人になってからなる喘息は苦しいよ」と言われた。  丁度リュウに言われたばかりだったから、驚けなかった。「もういいよ、知ってるよ」という感じだった。でも、喘息では死なないだろうから、リュウが指摘した別の病魔も俺は抱えているのだろう。  何年か前から俺は心臓の音が変だと気付いていた。俺はうつぶせに寝る。枕も置いておくだけで使わない。頭だけ横にするから胸の音が聞こえる。偶にそのリズムがおかしい。そして、何かレコードでも擦るような「キュッ、キュッ」という音に変わる時がある。そして、未だに偶に起こるあの糸が張るような心臓の痛み。  リュウに言われて、成る程なという妙な感じがした。無論、当たって欲しくはないけど、なんとなく「ほら当たった!」という妙な快感がどこかにあった。  そして、そのリュウの半死刑宣告が原因なのかどうかは自分でもわからないが、なんだかどうでも良くなった。ほんとに原因がわからない。MDかもしれないし、風邪かもしれない。それとも3ヶ国語を同時にやってるから? 理由はわからない。  でも、MDってのは以外と良い線かもしれない。今までは年取ってから耳が悪くなると嫌だからって音量を4くらいにしてたのにな。いつだっけな、先月か今月の頭だよな、少なくともリュウに言われた後だろうな。狭山ヶ丘の駅のホームで、朝、いつものようにMDを耳に当ててスイッチを入れたら、音が大きくて煩かった。見たら昨日帰りに付けていた音量のままで、10を越えていた。  その時に一瞬凄く怖くなった。俺が俺のことを「もうどうでも良い」って諦めてるんだって思ったからだ。自分ってのは絶対裏切らないでいてくれる味方だと思っていたのに、無意識の内に裏切っていたんだ。そうと知った時、怖くなった。でも、裏切られたのが俺なら裏切ったのもまた俺だ。だから、すぐに俺の恐怖は消えた。裏切られた俺の代わりに、裏切った俺の方が台頭して、俺の意識を乗っ取ったからだ。つまり、無意識じゃなく、今度は意識的に「もうどうでも良い」って思うようになったんだということだ。  それから、できないアンシャンテを恨みながら、アンシャンテが来るのを待った。風邪を引いてからリディアと特に折りが良くなった。なんだか悩んでるのが馬鹿だったみたいにお互い、良い関係を保てている。メルとも上手く行ってるみたいで、風邪を引いて半死刑宣告をされたのに嬉しかった。男の癖に、嬉しかった。  一瞬、リディアはリュウから何か聞かされて俺を哀れんで折を良くしてるのかと勘ぐったが、あの娘の手のひらを見て、安心した。  あの娘に言うと気を付けられてしまうのでずっと黙っているが、り〜ちゃんは心配や悩み事や悲しい事、辛い事で何かを我慢してる時は、どんなに明るくしてても瞳の奥がいつもと違う。あの緑色の瞳は嘘をつけない。  そして、そういう時には必ず手のひらを閉じている。あのちっちゃな手をぎゅっと握り締めている。そうやって辛い事に堪えてる。俺はその可愛いくせをしってるから、あの娘の手のひらを盗み見た。そうして安心した。  まぁ、リュウも「今日明日死ぬと言う訳ではないし、要らぬ心配を招くので口外は無用です」と言っていたし、恐らく知られてはいないだろう。  俺は、リディアのアンシャンテを待ち、折り良くなった事に喜びながら、ふいにリディアに触れたくなった。なんだか、昔の思い出を呼び起こすような変わらない子供っぽい甘い香りを漂わせるあの娘のその匂いが、急に欲しくなった。  横にメルが来て、リディアと仲良さそうにしていたので安心した。女の喧嘩はどう始まってどう終わるのか、俺には一生わからないだろうなと思った。  どうでも良くなってた俺は、もう、学者も、家族も、仕事も、大学も、大河原君も丈士も、市高さん、陽、安藤君、一真君、麻衣子ちゃん……全部がどうでも良くなった。今挙げた人達とは、必ず何かしらの約束をしている。120円を返すとか焼肉を食いに行くとか恵比寿に行くなんて小さな事から、キレンとFKから巻き上げた100数万の処理とか高校進学の責任とかを果たす事まで、全部、彼らとした約束だ。約束は果たさなければならない。男は自分で言った事を必ず成し遂げなければならない。だけど、それを全て破棄してしまいたくなった。  リディアとメルの余りに愛しい様子を見ていたら、自分でも気付かぬ内に、「月曜の昼、とかにさ、迎えに来てくれないか、もう一度」と言っていた。リディアとメルはぴたっと喋るのを止めて、ぼうっとしていたが、少しして互いに顔を合わせると、「どこで待てば良い?」とリディアが代表するかのように聞いてきた。それだけで通じ合える関係があるんだから、俺はそっちに行っても大丈夫だろうと思った。 「場所は決めてないから今から考えるよ」と言ったが、実はそう言った時には既に浮かんでいた。日本を去るコースまで周到に考え出していた。自分でも気付かぬ内に言った台詞にしては随分周到だなと思うが、人間の頭というのはそれぐらい思い切れる時には早く回転するものなんだな。それとも俺が冷酷なのか?  丈士に前に「お前は冷酷だ」と言われて、「このうるさいくらいに熱い俺が冷酷?」と思った。まぁ、俺はクールなキャラが好きだから、そう言われたのは実は嬉しかったが、あいつの言ったのはクールではなく、やはり「冷酷」の意味そのままなのだろう。俺はすぐ怒るし感情の起伏が激しいから、クールに離れないが、残酷で冷酷にはなれる……というか既にそうなんだそうだ。それは嫌だな。それは格好悪いからだ。クールは格好良いが、冷酷は格好悪い。  まぁ、俺のもう4〜5回目くらいの脱日本計画はこうして始まった訳だ。メルといったらそりゃ上機嫌を絵に描いたようで、あの娘に珍しく笑顔が訪れるのも嬉しかったが、あんなに俺を好きでいてくれるっていうのかと思うと、二重に嬉しかった。  俺は「2月2日に来た時に着て来た白い天使のようなワンピースを着てきて欲しい。前回はあの格好じゃ寒かっただろうが、もう5月だから、寒くはないだろう。むしろ今の次期にこそピッタリだと思う。お兄ちゃんさ、あのメルの天使みたいな格好に惚れこんじゃってさ、ミールの書に登場するお前の服装をあれにしちゃったくらいだよ。お兄ちゃんな、もう一度あれを見たいんだ」というような事を告げた。  するとメルは快く受け入れてくれた。良い娘だ。ただ、次の事には流石に嬉々として受け入れてはくれなかった。  俺は「待ち合わせ場所は」とそろそろ切り出した。場所なんてもう決めてる。まず、家を出て、学校に行く振りをして、駅に行かずに、保育園を通り、メゾンチダで右に曲る。つい先日、風邪でフラフラ街を歩いていた時に見つけた迷っている7才の可愛い少女を送り届けたユアーズを通り過ぎる。  ああ、そうそう。この娘はミカジマ小学の娘で、7才で2年になったばかりというが、5才くらいにしかみえない小さな娘だった。しかも美少女で、歩き方がこれまた可愛い。しかも、漫画に出てくるようないい加減な地図を持って歩いてた。  俺は遊歩道を歩いていたんだが、なんか小さい娘が視界の脇に入ったのでちらっと見たら迷ってるみたいだったから暫し後ろに付いて歩いていたら、やはり迷ってるようなので「迷子?」と聞いたら怖がって恥ずかしがって否定した。でも、放っておくわけにはいかないので、しつこいかなとも思ったが、もう一度聞いてみた。が、埒があかないので「どこに行きたいの?」と聞いたら「ユアーズ」という。俺はその時、小さなつぶれたクリーニング屋で、保育園の近くの3しゃ路にいた。(クリーニング屋は元ミニストップじゃない方だ。駐車場の近くで、小さな所だ)  ユアーズと聞いたので「じゃあ、お兄ちゃんと一緒に行こう」といった。かなり頭が痛かったので薬を飲みたかったが、まぁ、すぐなので歩いていった。そしたらその娘は物凄く足が遅いんだな、当たり前だけど。急がせたら可哀想だからゆっくりゆっくり歩いていった。日差しがさわやかな昼下がりで、今、打ち込んでる今、すごくそんな出来事が幸せだったなと思う。  本当は、一番俺の望む状況なんだろうな。小さな可愛い女のこが居て、ぎこちない歩き方とぎこちない喋り方で、俺と彼女は凄い背の違いがあって、ほんとに言葉通り大人と子供の差で、近くには保育園があって子供達が遊んでて、お日様はあったかくて、俺はアルシェのことも全部忘れて、20になったくせに「おひさま」なんて言葉を素直に使えて、特に目的も見返りも下心も無く、なんとなくちっちゃいおんなのこをすこしでも守ってあげてる。どんな下らないちっぽけな形の守り方でも。  多分、俺に欠けている一番のもの……何にも考えない幸せ、何となく所在なげにしていられる心のゆとり、純粋でいられるほんの短い時間……それがその娘と居て、得られたんだと思う。  彼女は――まだ「彼女」と称するのがぎこちないくらいのその少女は、ピンクの蛍光ペンでチラシの裏に描いた地図を持ってた。目的地の名前がかかれていない。「保」とかいてあるのが「保育園」だろうと思って、聞いたら肯った。  あそこの道、駅までの一本道をあんなゆっくり歩いたのはいつが最後だったかな。多分、去年の7月5日だろうな。足の指を折って帰って着た時、あの長野クラスの雷雨の中だろうな。いや、骨折に加え雷雨というのが、俺に天を恨ませたね。タイミングの良いことで。  あれから、10ヶ月ほど経つけど、おんなじ道なのに、その娘といる時の俺は幸せだった。少女は俺のことが当然怖いらしく、静かにしていた。俺は気まずいので色々話していた。「何才?」とか「学校は若狭?」とか「一人でお買い物なんだ。えらいね」とか、そんな他愛もないことだ。  で、ユアーズについて、「家まで帰れる? 送って行ってあげようか?」というが、首を振る。俺は怖がらせない様に、しゃがんで目線を合わせて、「本当に?」と聞いた。別にこの娘になんの義理もないが、なんとなく最後まで責任もって無事に送ってあげたいと思った。でも、その娘は本当に大丈夫そうに言うので、流石に俺は嫌われているのかなと思った。  俺が誘拐犯とかに見えたのかな。それとも単に怖いのかな。それとも、やっぱクリスとかがいったように、俺は女の子に生理的に嫌われるオーラを出してるからかな。ま、いずれにせよしつこいと悪いので、そこで引き下がることにした。  別れ際、少女はもじもじしながら俺を見てきた。なんだか、恥らってるみたいで、頬が紅潮していた。俺が首を傾げると、少女は初めて笑顔を見せてくれて、「ありがとうございます……」と消え入るような声で言ってくれた。  あんまり可愛かったものだから、思わず抱きしめる感じで抱いて、頭を撫でた。子供の髪は大人より薄いから、なんか頭に直接触れたような感じだった。昔のメルとか霞ちゃんとか「門番少女」とか「四つ角の小嬢」とかを思い出した。  門番少女のように、この子も名前を聞きそびれてしまったので、呼び様がない。だから、俺は門番少女や小鳥姫達のように、あの少女のことを「遊歩道の少女」と便宜上名付けた。まぁ、名付けたといっても、この話しを誰にするわけでも、また逆に隠す訳でもないから名前なんて要らないんだけど、例によってなんでも名前で区分する俺にとっては必要なことだ。  あぁ、話しが脇道にそれたな。もう3時10分だ。  で、俺はユアーズを通り過ぎて、まっすぐ行って、不二家の交差点に出る。そこをまっすぐ進む。若狭小は俺にとってどうでも良い所だから、そこは見ずに左手の踏み切りを渡る。  あぁ、リディア達と良くアンシャンテをしていたあの公園には行かないことになるな。ソノヒノキ参りの時に8時前に必ず行くあのバイパス向こうで夜になると閉まって入れなくなる時計のある公園には行かないな。  踏み切りを越えて、玉山寿司(?)とかいう看板の所で右に曲る。まっすぐ行って、少し右に折れ、すぐ左に折れる。少し進むと、才女・巻島久枝の家が左手にある。家の前は小さな公園だ。突き当たって右に曲ると、右手に緑のペットボトルを上手い具合に切ってプロペラにして、アンティークにしている家がある。その道をまっすぐ行き、突き当たって、左に折れる。  その道を突き当たると、ちょっと家が何軒かたってて説明しづらい極小区域に入る。まぁ、方向的には右手に行って、進むと操車場に出る。西武線の墓場だ。左手は林で、右手が操車場だ。幼児だった時によくバイクでここまできたなぁ。  そして、まっすぐまっすぐ小手指の駅のほうまで歩く。駅より手前に、1回駐輪場のある高架下をくぐるんだが、そこをくぐって、数十秒歩いたら社宅みたいなマンションがある所を左に曲る。すぐに右に曲ってまっすぐいくと左手は公園になる筈だ。そこを左に折れて、すぐ右へ。すると左前にファミリーマートがある。FF4のps版を買った所だ。  店の左方向には西友が見える筈。別に西友には用がないので、ファミリーマートに来た方向を保ったまま、そのまま直進する。ファミリーマートを左手に素通りする形だ。進むと、右手に中山公園がある。良く遊んだなぁ。怪我もした。花火もした。宮本のだいちゃんとコーラを振り撒くって開けて爆発みたいな噴射をした。バスケをやった。丈士を途中まで見送って、ここでチューハイを開け過ぎて胃を壊した。  岡山君とも遊んだ。ラジオ体操を毎朝させられた。皆勤賞は一番安いアイス1つだった。ラジオ体操の時にいつも来る捨て犬がいた。可哀想だったので拾う事にした。掛け合ってみたが、俺の家族は当然許さなかった。俺が諦める筈もなく、語源通り「頑張って」いたが、そうこうしているうちに、犬はいなくなってしまった。今、どうしてるかな。生きてるかな、あいつ。  中山公園から上新井の家へ行く。長尾マリの家を見ていく。みきちゃんの家やけいこちゃんの家も気にしながら進む。家を見て、まっすぐ行く。えりちゃんの家が右手に見える所で、右に曲る。左手は綺麗じゃないイメージがあるので見ずに済ます。ともこちゃんが学校帰りに我慢できなくておしっこしてた所だからな。なんとなく未だにそのことが離れない。しかも、俺がともこちゃんの初恋の相手だと後々言われたので、今となっては更に複雑だ。どうせなら綺麗な思い出のままにして欲しかったんだけどなぁ。で、えりちゃんの家を曲って進むと左手にそのともこちゃんの家があるわけだ。おしっこなら帰ってすれば良いのに。  そこをまっすぐいって、踏み切りを越える。紆余曲折しながらだいちゃんちを右手に過ぎると、右手にも踏み切りがある。が、右にはいかずに左に曲る。そして今となってはコンビニのところを右に曲る。10才の時は野菜売りが居て、よく胡瓜を買っていた。  野菜売りの所を進み、左手に折れ、すぐ右に折れ、進むと右手に公園がある。16才の誕生日に寝ていた土管のある公園だ。そこを素通りすると、左手に長野公園がある。長野は嫌いだが、長野公園は好きだ。因みに、俺は長尾マリと混同して、未だに「長野公園」なんだか「長尾公園」なんだか解からない。  ここが、こんなどうでもいい公園が、思えばあのリディアとの出会いの場所なんだよな。道路を渡って、ホワイトハイムを見る。ホワイトハイムから5分と離れない佐藤君の立派な家の前に、一年ほど前に駐車場となった小さな小さな公園だった所がある。ここにも無駄だが行ってみる。  この公園は、俺と俺がこの世で一番尊敬している先生との出会いの場となった所だからだ。思えば、当時、リーザ先生はまだ22才前後だったわけだ。俺とそう大差ない年で先代を満了して全部滞りなくやり遂げただけでも凄いのに、もう既にその時には7才になる娘と5〜6才の娘の2人の子供がいたんだから、今、当時の先生に近づいてきた俺にしてみれば甚だ驚きだ。  小手指めぐりを一通り終えたら、やっぱり、ぶらっと上新井まで行って、上小と、あと、こっこの家は見ておこうと思った。佐藤こづえのこと、俺はどう思ってたんだろう。こっこはどう思ってたんだろう。何度か手紙と年賀状をくれたが、全て向こうからで、終ぞこちらからは何もしてあげられなかった。多分、こっこのことは好きだったんだと思う。だから却って好きだと認めなかったんだろうな。気に入った女の子はいたが、人を好きになる経験は無かったからな。怖かったんだろうな。  小手指を終えれば、当然、新所沢だ。霊司君の家こと須藤あやかちゃんの家と、その前の公園に別れを告げて、新所沢は終わりだ。そして、近郊の参りはこれで終わりだ。新所沢からどう乗って行こうがもうどうでも良いが、恵比寿ヘ行こうと思った。なんとなく、市高さんと会った場所に行ってみたかった。あの時の市高さんは今の俺より小さいに決まってるけど、でも、なんだか大きいイメージのままだ。  恵比寿にはもう行かないと思っていた。事実、リディア達の用で数回訪れただけで、ひまわりの方はついぞこの10年訪れていない。そうだな、丁度今がその倍の年齢に当たるんだな。  で、恵比寿の後で、待ち合わせ場所に向かう予定だった。16才の誕生日、最後に訪れた、あの日も約束した、あの場所に行きたかった。 「待ち合わせ場所はな。横浜だ」  と、告げた。メルの顔は見ずに、でも、言葉はメルに向けて言った。リディアは「うん。横浜のどこ?」と聞いてきた。俺は「その前に頼みがあるんだ。メル、お前、お姉ちゃんと一緒に来てくれないか。お姉ちゃんの道案内をしに来て欲しい」といった。流石に怒るかなと思って控えめに言ったつもりだったが、余り効果は無かったかもしれない。  メルは何かいいたげだったが、言われる前に捲くし立てれば後はどうにでもなるだろうと決めて、「頼む」といった。どうしても、あそこだけは見ておきたかった。何がメルを狂わせたのか。勿論、強姦未遂は要因の一つに過ぎないけれども、あの子を狂わせた理由の一つであることにかわりはない。メルがあそこに行って何か変わるとは思えない。正直、思えない。でも、見ておきたかった、一緒に。だから頼んだ。  メルは、基本的に俺に逆らわない。まして、俺が頼んだことを断るような子じゃない。そして、今回も逆らわなかった。ただ、勿論というか、条件付だった。条件というか、本人はそういう厳格な意味で言ったつもりかどうか知らないが、とにかく、宣告はされた。リディアには一旦閉じてもらって、メルの話しを聞いた。 「もし、それでメルが辛くなって泣いた時、お兄ちゃんはメルをどうするの?」と聞いてきた。「お前が望む形で責任を取る。取れる上限は俺ができることの限界までだ」といったら「責任とってなんて言わないけど。お兄ちゃんはメルが」云々と、その後が良く聞き取れなくてわからなかった。でも、聞き返せる雰囲気ではなかったので、黙って「うん」といった。そしたら、「だから、ちゃんと慰めてくれれば良いの、それだけで」といった。前後が良く掴めなかったが、俺は「わかった」と返した。う〜ん、今思うと安易な約束をした気がする。  リディアが俺のために用意してくれている部屋を見せてくれた。かねてよりの事らしい。なんだか凄いことになっていて、俺は亡命した大臣かと思ったくらいだ。リディアははしゃいでて、全く幼い子供のようで可愛かった。  リディアは、俺のルシーラとしての仕事がここに来れば本業になるから、今までのような肉体労働や丁稚まがいや売り子や教師なんて仕事をしなくとも良いと言って喜んでいた。まるで自分のことのように喜んでくれてた。恋人なんだなって思った。俺のどこがそんなに好きなんだろう。あの娘のああいう態度を見るたび不思議になる。  リディアだけじゃなく多くの使徒が俺が働くということに大きな反感を持っていることは否めない。ルシーラはそんなことすべきじゃないとか、そもそも俺にそういう単純肉体無能労働は似合わないということのが理由らしい。まぁ、他にもあるだろうけど。  特に、リディアやメルは俺が知能系もしくは陣頭指揮系以外で働くのは我慢がならないみたいで、よく、心配をしてくれてる。そんなかどで今度は家庭教師にしたのだが、あの時の彼女達の反応はあからさまに好意的だった。  『最後の身支度』として、俺はいくつかの物を考えた。FF4のロムカセ。これがそもそも運命を変えたんだからさ。FF3をパチンコ屋の景品で取らなかったら、FF4は買ってなかったも知れない。そしたらリディアをただの外人女としかみなかっただろうから、比留間達と遊んでて先生はあのまま諦めていただろう。スクウェア万歳(なのか?)  まぁ、あと、アルカのノートは持って行くだろ。みんなで遊んだダイスは持ってくし、大河原君や丈士の写真や声の入ったテープ、田嶋君の絵とか、その辺は持って行きたいよな。家族のは何も持って行きたくなかったな。  で、何はともあれ、いくつかは人に頼った方が良いのがあって、これは仕様がないから大河原君に頼もうと思った。彼は勘が鋭く賢い青年だ。心が自分で思っているより白くて血が高潔だから、自分で黒く見せたりして傷つかないようにするから、弱くなってしまう。  大河原君の秘密はそう言えば何も聞けなかったな。まぁ、高校に行ってないことも知ってたが、あの子が何も言わないから何も知らないという事にしておいた。追及しない俺も悪かったかもしれない。専門学校の方もからっきしだったんで、心配は心配だったが、まぁ、なんといっても男でましてや大人だから、処遇はどうしても自分の納得のいくようにするだろう。あの子がいつもいっているように、自分で納得がいかないことはやらない子だからな。 「今はハナがいるから取り敢えず暮らしているが、なにせ犬だけだから、どうしたって肩の荷が君より軽い」とあの子はよく言っていたが、まぁ、その気持ちはわかる。  しかし、本当に彼とは付き合いがそこそこ長いのに何も聞けていなかった。聞いても言わないし、何せ嘘が上手いあの子と鈍い俺の組み合わせじゃ解かるものも解からない。俺がリディア達のことをばらしたことの中に、俺が言ったら向こうもそのうち言ってくれるかもしれないなという理由があったことを気付いていないのだろうか? まぁ、よしんば言ったとしても、性格上、迷惑がるだろうから言わない。あの子は「自分が秘密を言ったからさあお前も言え」というのは認めないと言っていたからな。  大河原君にはメールを最後に出して行こうと思った。まぁ、8年以上の付き合いだ。下手すれば……うん? もしかしてメルより長いぞ……? 凄いな。  あの子にはメールを出しておこうと思った。起きてから出そうと思った。  VTRと悪魔CDはギャグみたいなもんだから金にするなり打ち捨てるなり勝手にしてくれ。カギはここにある。 「俺が持つは2つ。君が持つは2つ。俺の持つものの中の下にカギはある。  君が持つものの名を俺は「バカ」と叫んだ。「バカ」は俺達が持つ4つのものと同じ一般名詞を持つ。  冬、4つは一様に木偶となる」  今の所カギの場所をかえる気はない。が、こんな情報で果たしてあの子がわかってくれただろうか……? まぁ、いずれにせよ、開けたら驚くだろうな。話に聞いてないものもあるから。  ただ、とにかく頼みたいのは、VTR・CDの処分。Com内の全データバックアップ&消去。バックアップは万が一の為、そのまま君の手元において置いて欲しい。そして、これは本当は俺のやるべきことなんだが、ついでだったら、例の俺の不肖の妹の「血」も捨てておいて欲しい。これは切に思う。あれはもう触りたくないというか見たくない。  丈士にも一応連絡をしておこう。昨日の夜はそんなことを考えていた。このベッドで寝るのも最後かとか思うと、家族には悪いなとは思った。向こうに行ってアルシェ関連の仕事で工面できた金があれば送ろうと思った。また、大河原君達の声の入った留守電は消去した。  そして寝た。夢を見た。人形の夢だ。30cmくらいの小さな人形で、非常に精工で美しく、10台後半の少女のようだった。人形にはとても見えなかった。人形はなんと数種類もの美しい踊りができた。民族音楽と踊りを各種取り入れているらしい。ただ、曲はオルゴールだった。聞いたことないくらい綺麗な曲で、タルティーニの気持ちがわかった。俺が楽譜を書けたらその場でもう一つ、悪魔のトリルが生まれたのに。  気付いたら母親に起こされた。10代も半ばになれば、もう俺は人に起こされるようなぐうたらではなかったから、珍事に不思議にがった。母親は破顔していて何かを言っている。始め、俺が出て行くことが何故解かったのかと勝手な勘違いをしたが、なんか口ぶりからそうじゃないようだ。「どうしよう」と繰り返すので、手に持ってる紙を見た。  親父の遺書だった。寝っ転がりながら一読すると、時計を見た。親父が出て行くのは7時30分頃で、もう11時近かったから、今更焦っても仕様がない。死ぬならもう死んでいる頃だろうと思った。取り敢えず、親父がどうなっていようと、今は目の前の女の人を泣きやませないと、きっと親父は怒るだろうなと思った。あの親父はそういう親父だったし、そういう風に俺は育てられたからな。もし背けば、死んだってあの親父は俺をぶん殴りに来るに決まってる。  俺は時計を見てそう思って、次に、「夢を見た」と呟いた。母親は困惑していただろうが、顔は見えなかった。俺は人形の夢を話した。不思議な夢の話しをした。最後に「あの人形が欲しかったなぁ」と言った。  俺の場違いな呆け話しを、しかし母親は黙って聞いていた。多少の場違いじゃなく、余りに場違い過ぎたから、肩を透かされたのだろう。暫し呆けていたので、俺は起きあがって、下に行った。  状況確認を済ませ、考えた。今度は思ったんじゃなくて、考えた。まずは居場所だ。何にせよ、或いは死んでいないと仮定しないと動く意味がないからだ。だから、死んでいないと仮定する。すると、まずは居場所だ。多分、俺が死ぬんだとしたら、リディアに関連のある所に行く。俺がソノヒノキ参りをするように、親父も何かのお参りに行くだろう。行くとすれば一昨年死んだばばちゃんの所しかありえないだろうと思っていたが、確信がない。  携帯を持っていったことを確認したので、すぐにJ-Phoneのサービスセンターに問い合わせた。女性のオペレーターが出た。丁寧な対応だった。携帯は自分の居場所を調べられるサービスがあるのを前に一度アランがやっているのを横で見て知っていたから、それなら逆探知も可能だろうと思った。  事情を話すと、女性は「携帯から発信した電波を捕らえて場所をお伝えする事はできますが、逆にこちらから特定の携帯を探すというのは無理です」と言った。そうと聞いた俺は一瞬、ダメかなと思って慌てそうになったが、慌てるのは俺らしくないし、何より、「事実は事実として認めた上で対処しなければならない」から、冷静に、あたかもこれもルシーラの仕事であるかのように考えた。  親父の携帯は留守電に繋がるだけで取らないと母親が報告していたので、それを利用した。留守電だろうがなんだろうが、一旦J-Phoneから親父の携帯に電波が届いている事実は間違いないのだから、ホストコンピュータにはどこに電波を発射したか等の情報が残る筈だ。そう女性に告げて調べてもらったら、その女性は頭が冴えていて、迅速に対応してくれた。結局、プライバシー保護の為、警察を通せば教えてくれると言うことになった。それで礼を言って切った。  そして警察に電話しようとしたら会社から電話があった。常務の平賀アキオという男性だ。俺は何度か面識があるが、早口で行動が素早く、頭が良い。そういう点しか俺は知らないので、それ以上はなんとも言えないが、そういった点だけで判断して良いのなら、十分尊敬できる男性だ。  平賀さんの電話で、親父の所在は知れた。やはり母親の墓だったそうだ。平賀さんが電話したら親父は出て、場所を言ったんだと。平賀さんは神主だか何かに親父らしき風貌の男がいたら確保するように頼んだそうだ。迅速だ。平賀さんは車で東京霊園に向かった。俺は電話を待った。  電話を待つ間、もうJ-Phoneの網の方は無駄になってしまったが、せめて礼だけでもしなければならないので、電話をかけてできるだけ懇意に礼と迷惑をかけた謝罪をした。  それから数十分して、平賀さんの電話で、親父を確保したとの連絡が入った。一安心だということだ。  俺は手持ち無沙汰になったので、2度とやるはずのなかった中国語をやっていた。そして、暫くして親父が車で連れてこられた。  平賀さんの対応は早かったが、それは余りに速過ぎた。その速さが俺の勘を呼んだ。俺は人の気持に鈍感なくせに、ルシーラの経験の成せる技だろう、緊急時にはやたらと鋭くなる。  親父の行き先、動機、平賀さんとの繋がり。全部、俺の予想した通りのことだった。親父は家に帰ってもまだ何も言わなかった。母親が問い詰めても何も言わないので、俺は「腹が減った」といった。「パンを焼いてよ」といったら、母親は下に行った。  大体、人が謝って死のうとするなど、失敗して借金背おったって話しが関の山だ。病気じゃ謝る必要は比較的少ないし、女で遊ぶほど元気があるなら死ねないのが人間だ。犯罪できるほど器用な男じゃないし、ギャンブルにもそこまで入れ込みそうもない。  で、状況から考えて、バブルがはじけて中小がバタバタしていく中で、ただでさえ苦しんでる連中から回収する事ができなくて、焦げ付いた分を他から自腹で補填してたんじゃないかと考えた。  親父の性格から言ってそんな所が妥当な線だろう。頑固な親父だからどうせ言えと言っても言いやしない。こっちが答えを見つけて、言い当ててやって、それで、親父にただ1回だけ、首を縦に振らせて答えを出すしか手がない。それは息子の俺がよくわかる。  焦げ付きで借金って言うのも予想がついてた。8年ほど前かなあ、TVで「ウチの親父は毎朝会社を行く振りしてサラ金から借りてたんです」っていう何の番組だかすら忘れたが、そういうシーンを見たのを覚えている。そんな何でもないシーンを、俺は未だにずっと覚えている。何でかって言うと、理由は簡単だ。その時、嫌な予感がしたからだ。  俺の直感はばあちゃん譲りで、当たる。フルミネアも凄いが、俺も実は凄いんじゃないかとかげながら偶に思ったりする。まず会わない田嶋君の夢を見て、起きて数分も経たない内に本当に彼が夜突然来た小雨振る去年の11月1日・外交の日のこととかからもわかるようにね。  で、見事予想が当たったわけだが、母親が下でパンを焼いている間に、究極的な産婆術まがいの方法で親父に話しかけて、いくらか聞いた。まぁ、親父も良い年してるから、取り敢えず、でっかくふっかけてくるだろうと思ってたら、「3億」と言った。俺は「そりゃ、確かにでかいな」と言いながら、「3億はどこをどう担保にしようと、どこかけずりまわろうと集められない(というかそれができる程、金作が上手いならそもそも焦げ付かせないだろーが)筈だ。しかし、甘く見積もっても俺が学者になるってのは無理だな。というかアランをどうやって高校出してやろうか……」とか思っていた。  そうして親父が疲れた顔で、自嘲気味に「こんな事態は今の世にあることだろうが、こんな会話を平然としてる親子というのは世にあることだろうか」といってきた。  まぁな、普通なら驚いて戸惑って何も言えないだろうけど、何となく直感で解かってたし、それに、一夜にして人生が引っくり返る事には慣れてるからな。親父は知る由もないけど、俺は只の貴方の息子の一日本男児じゃないんだ。貴方方は知るはずもないが、俺は10年も前から、丁度短い人生の半分を武装集団と知能集団を裏返しに何度も暗転してきた歴史的外国人団体のリーダーに費やしてきたんだ。何度も死ぬ覚悟をしたし、実際に危険な目にもあった。お陰で良い女に巡り合う事ができたから、あんまり後悔はしてないけど、振りかえって幸せとは言えなかった。  俺はそれを8年黙ってたけど、ついに大河原君と丈士に言ったわけだよな。8年で耐えられなくなった。不思議なもんで、親父が焦げつきだしたのは93年からなんだとさ。聞いて心中に笑っちまった。なんだ、俺と忍耐力、同じじゃねぇか。やっぱ親子なんだなぁ。  でも、親父も辛かったろうな。俺に直感でうすうす勘付かれてたにせよ、黙ってたんだからな。その辛さは俺が一番良くわかる。同じだからだ。  親父も俺と同じで、椅子取りゲームが苦手だったんだな。  捨て犬を助けすぎて家に何十匹も犬を飼っていたらしいが、それと同じなんだな。  しかし、そういう所は俺と違うんだな。俺と親父の決定的に違う所は、丈士が指摘した所だ。俺は親父と違って優しくない。なんてったって「れいこく」だもんな(←これは言われ過ぎだよなー)。  俺は敵味方の区別が付き過ぎている。味方には甘いが、敵には厳し過ぎる。加えて、俺の世界には敵か味方かしかない。あとは全て「その他」扱いだ。みんなに注意されても、中々直らない。  恋人のリディアでさえ、俺を怖がっている。俺より何周りも大きいあのオヴィが怖がってるって話しを聞くと不可解でならない。力で俺がかなう筈ないし、喧嘩だってリディアには多分勝てない。なんで怖がられるんだろう。一様に曰く「お前の眼には逆らえない」んだそうだ。敵を恐れさせるなら誉れ高いガン飛ばしだが、守るべき味方にそう思われるのは苦痛でしかない。まして、リディアやメルだ。  あの娘達は俺の感情の起伏に敏感で、なんでかやたらと伺ってくる時がある。俺のこの目を、俺は結構気に入っている。やや茶色がかった黒目で、切れが鋭い。二重で、大きくて、女だったら多分美人だっただろうな(だからこそ男で良かったが)。特に左目が気に入っている。と思ったら、リディア達が問題にしているのは左目なんだと。そっちに感情が出るんだと。  ま、なんにせよ、俺は目の前の3億の現実があるわけだ。何度目かな、人生変わるの。 1 引っ越した(実はこの引越しも親父の借金の為だったと今日知った)。 2 リディアに会った。 3 ルシーラになった。 4 クミールさんとかの事で死にそうになった中3の夏から高1の終わり。 5 城玉が上福にあった→市高さんがいた→歩き屋アルシェになった。 6 リュウに理系に行くなといわれて大学受験をやる気なくした高3。 7 そのくせ浪人してから大学行けと半ば命令されて、嫌々大学受験。 8 7月15日:魔都にて。 9 長野で2〜3度目の脱日本を試みるが、失敗。奴辺りで土方がより嫌いに。 10 リディアがレーテだった。 11 俺の命の話。 12 3億。  大小合わせるとこんなもんかな。順序を挙げると、一番辛くて一番消したいものは、間違いなく即答で4番だ。  次が10かな。あの時は本当に別れるかと思った。俺も自分自信もメルみたいな子供までも巻き込んで死なせてしまうような愚行を恋心の成したものと言って許せる筈がない。そのうえ携帯まで使った離反行為。非公認で勝手に日本に来ていたっていうこと。その上問題起こして警察に捕まりそうになったこと。余りに愚かな行動に100年の恋も冷めた気がした。でも、俺の心からリディアを抜いて、何も残らない事を気付いたら、それが凄くつらい事だと思って、随分依存している事を知った。その分辛かった。  しかし、一番慌てたのは10だろうな。俺は元気の良いガキだったが、4以降、驚いた振りをする事はあっても、驚けなくなった。ああいう目にあった人間はもう2度と普通の人間の感覚を取り戻せないんだろうな。    それで次が多分12だろうな。アランが可哀想だな。あれでも俺の弟だしな。流石にメルだけが可愛いわけじゃないからな。  うん。しかし、奇遇も奇遇だよな。一体どれくらいの確率なんだろう。俺が出て行こうと思った日にこんな事が起きるなんてな。  さっきといっても、今もう6:20になっちまったから、もうかなり前だが、大河原君に事を告げて、話しを聞いてもらった。何かいいたげだったが、言葉が見つからなかったそうだ。けど、俺としては聞いてくれただけで十分だ。  親父の件と、俺の今日本当はする筈だった事。親父は後1〜2分神主が遅かったらもう駄目だったったそうだ。60秒で救える命ってあるよな。いや、60もありゃ、むしろ暇がある方か。  大河原君がそれを聞いて、今ウチの目の前にこれから立つ家の鉄筋に腰かけながらポツリと言った台詞があった。「もし、君が後一日早く行くつもりで、また、神主が後1分遅れてたら……どうなっていたんだろうな」。俺は「部屋が余っちまうな」と返した。  そんな事言ってたら、ふと、重大な事を思い出した。余りに大き過ぎることで見落としていて、ずっと話しを聞いていた大河原君でさえ指摘しなかったことだ。  突然思い出して、俺は夜中に叫んでしまった。大河原君が驚いて俺を見た。 「……リディアの事、忘れてた……」  また日本から出れなかったか、仕様がない、明日は大学へ取りあえず行こう。中国語をそれじゃやらなきゃなといって中国語をやった。そしてリディアの話しを大河原君にしさえした。にもかかわらず、すっかりリディアとメルを横浜に呼びつけておいた事だけは丸っきり記憶が飛んでいたんじゃないかと思うほど綺麗さっぱりそこだけスポッと忘れ去っていたのだ。  しかし気付いた時にはもう夜中。もう2人は帰っただろう。連絡はない。多分、心配してるだろう。しまった。また、失敗しちまった……。  とかいいつつ打ち込んでいる俺は今か今かとアンシャンテを待ちつづけ、寝様寝ようと思いながらもずるずる起きて、今から大学。はぁ……。  また、俺の人生は変わるのか。11/1に外交が成立して、その後レーテの正体がわかって冷や冷やしたが、異常はなくて、ほっと安心して、6年振りに2ヶ月休んで、ミールをやって、もう俺は危ない目に会うことはないだろうと思っていたら、リュウに宣告された上に、3億……。  俺、この記録を単に独り言として自己満足でこうして終えてるから良いけど、これが本にでもなってエッセイになったら、俺の人生がどれだけ数奇だったかってことがわかるな。  はぁ……。まぁ、例えどうなっても、リディアがいる限り。