kaldia
[地名]カルディア、幻界、人工世界カルディア
[レベル]
21:古kal/dia(夢幻の地)
[語法]
アトラスは惑星、レカイは「この世」、アルデルは「あの世」。カルディアはレカイとアルデルの総称。アルカルテとの違いはユマナを含まないこと。
[文化]
<カルディアの基本方針・芸術性と嗜好・価値観の相違>

・「リアル異世界ファンタジー」と「経験主義」

カルディアの基本方針は「リアル異世界ファンタジー」である。理論上はファンタジー要素が1個のとき、最もリアリティが高くなる。架空の要素が少ないほど現実の要素が相対的に増えるためである。カルディアではviidのみを公理として肯定し、そこから神や魔法などを演繹させている。リアリティが高まることのメリットはその世界がまるで本物であるかのように感じられる点で、これは没入感等に貢献する。デメリットは作成に手間がかかる点である。
星の形や大陸の大きさなど、アトラスの環境は地球に似ている。もしアトラスが火星の位置にあったら人間は生存できない。また、もし陸と海の比が8:2だったら人間の生きられる気温にならない。さらにパンゲア大陸の崩れ方もある程度プレートなどから定まり、恣意的ではない。リアリティを高めていくと自由に弄れる部分は案外少なくなる。
100%リアルにすると地球のコピーになってしまうので、ある程度学問的に矛盾のないか少ないレベルでオリジナリティを持たせ、いわゆる遊びの部分を作る必要がある。こうした方針に基づいてアトラスはできている。もちろんほかにも異世界の作り方もあるだろうしそれは否定しないが、あくまでカルディアは「リアル異世界ファンタジー」という基本方針を遵守している。

もうひとつの基本方針に「経験主義」がある。セレンは環境が人間社会に与える影響力を高く評価している。簡単にいえば、例えば地球をもう一度作っても日本に当たるところには日本語のような言語ができるだろうし、地球のような星があったら日本に当たるところの言語は日本語のような言語になるだろうということである。中にはそう思わない人もいるだろうが、カルディアはこの考えに即している。
アルティア語が日本語のような構造をしているのもこの考えに則している。もちろんあくまで異世界なので、リアルに作り込んでいっても作者の側で自由に設定できる余白も存在する。そういった遊びの部分は例えばアルティア語の京極がヴェマ発祥でなくアルティア(ハーディアン)発祥であることなどに現れている。
同様に、用言である動詞と形容詞が日本語では互いに異なる活用を持つ一方で、アルティア語では同一の活用を持つ。これもまた余白の部分でできるアレンジといえよう。もちろんこのアレンジも適当に取ってつけたわけではない。日本の隣国である韓国では動詞と形容詞が活用を共有する。アレンジをするにもなるべく風土の近いものを調査して行っている。ラテン語がカッコイイからという理由で無理やりラテン語の特徴を持ってくるようなことはしない。リアル異世界もそうだが、この辺りは極度の神経質のなせる業ということができよう。

個々の人間は環境に逆らおうと思えば逆らえるが、人間全体でみればそんな天の邪鬼は少なく、環境に黙って適応するほうが圧倒的に多いため、個人の意思に関わらず社会全体は環境に沿って作られる。
衣食住は分かるだろうが、セレンは言語にもある程度これが及ぶと考えており、大学院のテーマも風土が言語に与える影響についてであった。これは言語学の潮流ではなく、無視されたテーマのひとつであった。証明のしようがないからというのが理由のひとつである。しかし現象が存在する以上は理由があるはずで、研究の対象である。だが成果の出しようがなければ研究者によって無視されるのはやむを得ないのだろう。それでも世界や言語を作っていたセレンにとってはこのテーマは興味があった。
風土と言語の関係というと、例えば中国語は南に行くほど声調が多く、印欧語は北に行くほど母音率が下がる傾向にある。なぜ東西ではないのか。なぜ声調数がランダムにバラけないのか。なぜ南北なのか。南北で風土というと気候ということになるが、ランダムに声調が配置されない以上は気候が言語に何らかの影響を与えていることは確からしい。だが言語学はこの現象にそれ以上物を言おうとしない。
風土と言語が関わっているのならカルディアを作ったときにアルティア語は日本語風にすればよいという指針が持てる。指針がないと何語風にすればリアルな異世界になるのか分からない。それでセレンにとってこのテーマは重要であった。
このテーマを支えるのは環境決定論であり、広く言えば経験主義である。従ってカルディアの基本方針に経験主義が挙がっている。

・芸術的嗜好性

確かに作者側で弄れる遊びの部分は少ないが、少ないからこそその部分を大切に作り込めるという見方もある。どうせ作るのだから遊びの部分には理想や嗜好を反映させたい。ここは作者の意思が明確に現れる部分といえる。
アルカとカルディアは日常生活を送ることにも用いられるが、むしろ芸術用途に向いているとセレンは考えている。従って遊びの部分は主に芸術的視点で作られることになる。例えばセレンは世界中の様々なデザインを見た結果、結局のところ和風とフランス風が好きだという結論に達した。北欧のデザインが好きだという人がいるのももちろん分かる。ただセレンの場合、奇しくも自分の血に嗜好が沿っていた。理由の内訳は血が半分で、物事を穿って見ない性格が半分だと感じた。
その嗜好が反映されているので、アルバザードはフランス風なデザインのほかにカレン県経由の和風なデザインが存在する。別に風土的にはカレンはアルティア人でなくてもよいのだ。もちろんアルティア人が住んでいるのは彼らがsmで大きな軍事力を有していたからという歴史的な理由がある。だがそれでもメティオ人が入っていけない理由はない。このように、遊びの部分をどうするかは嗜好が大きく影響を与えているといえる。矛盾が生じない程度であれば嗜好を反映させるのは問題ないし、モチベーションを維持できる。
文字にも嗜好が絡んでいる。アルティア人に京極を与えたのは歴史的な理由以外にも作者の理想がある。意外かもしれないがセレンはアルカと同じくらい日本語が好きで、甲乙の付けがたい存在と考えている。その日本語はほとんどの語彙を中国語などの外国語から借りているが、もし日本語が和語を巧く発達させ、かつ漢字も借りずに独自に漢字のような文字を作っていたらどうなっていただろうかと考えることがある。またセレンはアルファベットのデザインも好きだが漢字のデザインも好きで、どちらにも良さがあると考えている。だから幻字のほかに京極のような文字を望んだし、それが地球で中国に相当するヴェマでなく日本に相当するアルティアの文字であることに面白みを覚えた。
アトラスの場合、ヴェマはサールの本拠地であったため、幼字から脱却することは政治的に難しい。一方アルティア、当時のハーディアンは神との繋がりが弱く、かつ大陸の端という防衛に適した位置にあったことからも独特の文化を生むのに適していた。京極がアルティアの文字であることにはそれなりの理由がある。ただ最終的な理由は嗜好によるものだろう。例えば京極ができたのがケヴェアの辺境でなかった理由はないからだ。なぜいくつかの矛盾しない選択肢の中からアルティアが選ばれたかという点に関しては嗜好が関与しているといえよう。

・価値観

また、セレンとリディアは20代後半までは自分の正しいと思う価値観以外を世界から排他するタイプの人間だった。しかしその後自分の嗜好を遊びの部分では優先させるものの、遊び以外の部分ではリアルに即して作っていくという方針に転換した。自分の嗜好よりも世界の安定を優先させた結果である。どんなにリディアのことが好きだろうと彼女と自分は別の個体であり、同じ価値観を共有することはできない。メルやルシアについても同様だ。その個体と関係を持ちたいと思うのならば、異なる価値観を受け入れる必要がある。ゆえに異なる個体が共有する世界はある程度寛大でなければならないと考える。そして寛大であるがこそ、様々な作品が創れる。

・混血児リディア

混血児は日本ではモテるが欧米ではモテない。リディアはモテずに暗い思春期を過ごした。どこにも自分の居場所はないと感じ、どの国にもアイデンティティがないと感じた。だから自分のための世界を作ろうと考えた。もしリディアがモテモテだったら、カルディアは存在しなかったろう。劣等感はバネになる

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