leznant
[名詞]家庭教師、ガヴァネス
[類義語]ralk
[レベル]
20:lan/kor/zana/lantis(左に立つ人)。生徒はたいてい右利きなので、教師は左後ろに立ってノートを見ることになる。このことから左に立つ人と呼ばれるようになった。
[語法][文化]
アズゲルで高官たちの子女に主に魔法を指導するとともに学問を教えた人間のこと。地球と異なり、魔法の指導がメインとなるため、講義はあまり役に立たない。集団で講義するのではなく、一対一で魔法をかけたりかけ返したりしてやる必要がある。そのため、アトラスで最初に現れた教師は家庭教師であった。
アズゲル初期は一対一が基本なので、高官の子女などにしか教育は与えられなかった。それ以降は高官の子女たちや貿易で力を付けた商人の子女にも教育が施されるようになった。
メルテナでは召喚士の子女にも教育が施された。カコは戦乱のため、教育の枠は広がらず、むしろ軍隊生活が学校の代わりとなった。そういう意味でアトラスにおける最初の学校は軍隊である。アトラスには明確な神が存在するため、宗教に乏しく、教会が存在せず、教会が学校の代わりにはならなかった。
セルメルになると太平の世の中になり、経済活動が活発になった。貴族や商人の子女は教育を受けられたが、中産階級の子女にまで教育が与えられるようになった。しかし中産階級の親は高い授業料を支払うことができない。また、逆に教師志願率が高くなるにつれて、貴族の家庭教師になれなかった教師が出てくる。そこで貴族につけなかった教師は中産階級の子をたくさん集め、少人数制の家庭教師を行った。中産階級は安い授業料で教育が受けられ、教師は安い額でも複数人分集まるので旨みがあった。
この時点で家庭教師といっても複数の家庭の子供を集めるわけだから、家にいくわけにはいかない。逆に生徒達を一定の場所に集めねばならない。そこで当初は教師の家が選ばれ、別の意味で家庭教師となった。これが軍隊とは異なる独立した学校の始まりである。
やがて生徒数が増えると教師の家では対応できなくなるため、広場などを用いて教えるようになった。国民に教養を与えるのは国家の反映に繋がると考えたアルバ二世は、これを保護した。教師にとって困る点は雨天など、天候であった。夏は暑いし、雨が降ると広場では授業にならない。そこでアルバ二世は校舎を立て、felka(学校)と名付けた。最古の学校はfelius kretisがアルバ二世の協力の下、アルナに建てたarnafelkaである。学校は各地に建てられ、中産階級の子女が集められ、教育が進んだ。
rdでは学校が優勢になり、貴族の子女は学校に行きながら家庭教師を受けた。一部、特に位の高い子女は家庭教師のみを受けた。
ナディアになるとアシェットが貴族の位を廃したことで、家庭教師は衰退。代わって元貴族の子女を専門的に扱う私立校が出て、一時期王立アルナ学校を凌駕する人気を博した。
アルティルとヴェレイでは学校が優位だったが、ヴェレイではたびたびの経済不安定から授業料の安いアルナ学校の人気が戻り、倍率が上がった。その結果一位の学校に戻り、富裕層の子女もアルナ学校に進むようになり、アレイユに至る。
ヴェレイで人口が増え、進学率も増えたことで、受験戦争が大きな商売として成立し、結果、家庭教師が蘇り、塾が起こる。この時点での家庭教師はralkと呼ばれ、leznantとは区別された。

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