百科事典と造語
アプリオリの場合、造語するときに百科事典を使うことがある。
原子を命名するとき、我々はすでに原子より小さな単位を知っているので、「切れないもの」という意味を持つatomのような単語を作ることは恐らくない。
また、誤訳によってできた有理数のような造語をすることもない。有比数のように造語するだろう。
ただでさえアプリオリは事典を首っ引きにして作るので、労力がかかる。
その上ここに文化や歴史が絡むとさらに複雑になる。
その世界で原子が発見されたとき、クオークの存在はまだ知られていないだろうから、やはりatomのように命名する可能性がある。
当時のその世界の科学水準で命名せねば、自然といえない。
切れるのに切れないものと命名すると、覚えづらく理解しづらい。
小惑星だって一見すると惑星の一種かと思ってしまう。命名は大切だ。非合理的な命名はできるだけ避けたい。
しかし世界を持つ人工言語では、文化や歴史を反映してあえて非合理的な命名をする必要が出てくる。
アルカで道しるべはalzamだが、意味を考えればjetkonだけでよさそうなものである。
また、里程標をnaldolとしているが、これはnaltaという固有の単位が背景にある。
同じく灯油はferakmで、安い油という意味である。これはアルバザードがそれ以前に用いていた鯨油より安価であるからにすぎない。
百科事典を使って命名すると、恐らく灯油の性質を用いた命名になるだろう。しかし世界を持つ人工言語はそうとはかぎらない。
よって、アルカのような言語は必ずしも合理的な造語をしない。もちろん、世界を持たない言語の場合は別にかまわないのだけど。
私自身、作っていて「このように命名すればわかりやすいのだけど、当時の技術や社会背景や古語を反映すると、こうせざるをえないなぁ」と思うことが多い。
単語の覚えやすさでいえばアポステリオリが一番として、次は世界のないアプリオリになるだろう。
アポステリオリの参照言語が自分の知らない言語である場合、むしろ世界のないアプリオリのほうが覚えやすいかもしれない。
だが、世界を持つアプリオリは依然として覚えづらく作りづらい。だが、頑張った分は無駄にはならない。その分はやがてリアリティやクオリティになる。
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