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人工世界と倫理観

人工世界を作るには倫理観に左右されないようにしなければならない。

例えば奴隷制と聞くと悪いイメージがあるが、奴隷制がなければギリシャ哲学はありえなかった。
底辺が雑務をしている間にインテリが研究するからこそ学問も技術も発展する。
共産的に平等に暮らしていた場合、国内ではいいかもしれないが、いずれ強力な力を持った他国に滅ぼされ、植民化されてしまうだろう。

当然レスティルのような強い国は、奴隷制を持っていただろう。
しかしそれで現アルバザードが悪い国とはいえない。

いや、別に悪い国だと思うのは勝手だが、こっちは現代日本の倫理に従って世界を創るわけではない。
それではまるでリアルにならない。
リアルに作るなら奴隷だろうがレイプだろうが、あって自然なものはなければならない。

倫理的にはないほうがいいものであっても、当然世界の歴史を創るなら、虐殺も戦争も強奪も殺人も拷問もあるはずで、作らねばならない。
人工世界を作るには倫理観に左右されないようにしなければならない。


同時に、社会の発展に伴って、婉曲も創らねばならない。
現代日本に奴隷がいないといえるだろうか。時給換算数百円の派遣やブラック企業の正社員は奴隷と大差なかろう。
薄給激務で挙句過労死でもすれば、奴隷のほうがまだマシということもあろう。

アルバザードにも下流もいれば低所得もいて奴隷もいる。
しかし高度に発達した社会は婉曲的な表現を好む。表向きの顔が国際的にあるからだ。
そこで奴隷という単語ではなく派遣社員だなんだと言葉を変えねばならない。そこに作者の倫理観を挟んではならない。
「言葉が違うだけで実態は奴隷じゃないか。ごまかしの単語などアルカには必要ない」
――と思っても、高度に発達した社会は当然そういう婉曲的な言い回しを持つもので、作る必要がある。

虐殺と拷問の歴史を調べて設定を創りながら、『いま、会いに行きます』的な感動話も創らねばならない。
まこと人間は善と悪が混在した生き物で、邪悪な面と聖なる面を持ち合わせているものだ。

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