幻日辞典の書式のアプリオリ性
幻日辞典の書式は独特で、英和辞典などとはしばしば異なっている。これには理由がある。
もともと紙でなく電子辞書からスタートしているので、紙辞書の古い書式を踏襲せず、アルカに合ったオリジナルの書式が作れた。
なお、幻日辞典は地球の辞典なのでアトラスの歴史に関わらないため、いきなり電子辞書からスタートしてもかまわない。
ただ、大御所の英和と異なっていると、それだけで幻日が間違っているかのような印象を与えかねない。
そこで幻日の書式と英和の書式を比べてみる。書式を比べることで、幻日の書式がアルカに適しているかどうか検証できる。
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●幻日書式
aav
[名詞]鎖、チェーン
[動詞]yulを鎖で巻く、繋ぐ
[メタファー]つなぎとめておくもの
rd;raavyu.a.xik
13:古raavyu(鎖)
[文化]
ふつう金属製。身近な鎖はネックレスの部品か、立ち入り禁止に使われる鎖。
【成句】
yun aav 芋づる式に
【用例】
aav oma a nial 犬を鎖につなぎとめる
gil at aav soven la tianal. あの2人の恋愛関係は金によるものだった。
diretan fosat yu yun aav 犯人が芋蔓式(芋づる式、いもづる式)に捕まった。
●英和(紙辞書風)
aav
/Aav/[名詞]1 鎖、チェーン。ふつう金属製。身近な鎖はネックレスの部品か、立ち入り禁止に使われる鎖 2 [メタファー]つなぎとめておくもの:gil at aav soven la tianal. あの2人の恋愛関係は金によるものだった。
yun aav 芋づる式に:diretan fosat yu yun aav 犯人が芋蔓式(芋づる式、いもづる式)に捕まった。
[動詞]yulを鎖で巻く、繋ぐ:aav oma a nial 犬を鎖につなぎとめる
13:古raavyu(鎖)|rd;raavyu.a.xik
●英和(電子辞書風)
aav
発音 /Aav/
[名詞]
1 鎖、チェーン
ふつう金属製。身近な鎖はネックレスの部品か、立ち入り禁止に使われる鎖。
2 [メタファー]つなぎとめておくもの
gil at aav soven la tianal. あの2人の恋愛関係は金によるものだった。
3 【成句】yun aav 芋づる式に
diretan fosat yu yun aav 犯人が芋蔓式(芋づる式、いもづる式)に捕まった。
[動詞]
yulを鎖で巻く、繋ぐ
aav oma a nial 犬を鎖につなぎとめる
13:古raavyu(鎖)|rd;raavyu.a.xik
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幻日を英和風にすると上のようになる。英和といっても色々書式があり、約物の使い方も異なる。
しかしこれが全体的に英和風の書式であることは一目瞭然である。
では、これらの書式の長短を列挙していこう。
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●英和(紙辞書風)
・長所
省スペース
番号があるので後方参照するときに「第何義は~」と説明できる
・短所
読みづらい
用例が見つけづらい
訳語が見つけづらい
成句が成句だと分かりにくい
訳語と用例が通覧しづらい
●英和(電子辞書風)
・長所
読みやすい
番号があるので後方参照するときに「第何義は~」と説明できる
・短所
スカスカしすぎて一画面に収まらないことがある。ケータイなどXGA以下の画面では特にスクロールの手間が増える。XGA以上の解像度であっても同様で、パソコンモニタでもしばしばスクロールが煩雑である。さらにここから解像度が上がってもモニタのサイズが変わるわけではないので今度は字が小さくなり、拡大することになる。するとまたスクロール回数が増えるというイタチごっこになる
訳語が密集していないため、訳語を目で探しづらい。訳語、用例、訳語、用例…という順番なため、目的の訳語を探すのにスクロールしながら目視する必要があり、時間がかかる。従ってCtrl+F検索をするがその手間が無駄であり、検索欄への訳語の手入力も煩雑である
紙の辞書と違って電子辞書は調べた項目が常に画面の一番上に来るので、一行目の注目度が高い。一行目が語源欄やアクセントだと違和感がある
訳語と用例が通覧しづらい
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これらを踏まえた上で幻日の書式を分析する。
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●幻日書式
・長所
適度に省スペース。紙より見やすく、電子辞書よりスクロールが少ない
訳語を目で探しやすい。用例は用例、語法は語法…というように項目ごとにまとまっているため読みやすい。特に訳語と用例を通覧しやすい
正直言って番号は語義の後方参照をしない限り使いどころがない。大抵の場合、読むときに目障りなだけである。訳語の頭を示す効果があるが、幻日には几帳面にタグがついているのでその役目も果たさない
文化欄や語法欄が独立しているため、文化や語法記述を長大にできる。語義と語義の間に挟む形だと、長大な解説は全体の歯切れを悪くして読みづらくする。幻日はこれ一冊で語法辞典や百科事典も兼ねるため、文化欄等の独立には固執せざるをえない。英和と違って異世界の辞典なので実際に旅行に行くわけにもいかないから、語法や文化など本来肌で感じる部分を言葉で説明しなければならない。そのため、語法や文化欄を独立させる意味は大きい
一行目に即最重要語義が来るので、検索した瞬間に訳語が理解できる。大抵の読者はアルカの小説を読みながら辞書を引くので、知りたいのは訳語。それを踏まえると、一行目にごちゃごちゃとアクセントなどが書いてある辞書は使いづらく感じる
・短所
番号がないので後方参照できない。例えば語法欄での説明がどの語義について述べているのか分からない。ただし厳密に言えば文面を読めばどの語義について述べているのか明らかなため、事実上分からないということは起きない
用例がまとまっているのでどの語義の用例か分かりづらい。これも同上。翻訳文がついているので、実際にはどの語義の用例であるか分からないということはない
多義語に弱い。番号がないので、どの語義の用例であるかを探す場合、語義が多いと検証に時間がかかる。しかしそれでも番号を付けないのは、アルカが英語やフランス語に比べて多義性の少ない言語であるため。多義語のない言語は存在しないが、多義性の多寡は言語ごとに異なる。もしこれがフランス語のような分析的な言語であったら、この書式は維持できなかったであろう
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●経験談
以上が幻日の書式がいかにしてこうなっているかの説明であったが、筆者個人の体験談も交えておく。
中学のときに英和辞典を引きながら、なんて引きづらいのだろうと思った。
こっちは訳語が知りたいのに、まぁ出てこないこと。ごちゃごちゃと色々なカッコ書きがあり、用例もごちゃっと混じっており、改行もない。
「いいから一語一意で訳だけ書いとけ」と思い、結局匙を投げて単語帳を辞書代わりにしていた。
実際中学の単語帳というのは中学の試験で出る語義を載せるので、単語帳だけ見ていれば学業的には問題なく、むしろ効率的ですらあった。
そんな折、ほとんどの人は辞書のほとんどの部分を読まないということを本で読んで知って驚いた。
それなら何のための辞書なのかと思った。死にデータが多いのでは、いくら厳密であっても作り手側のエゴでしかないではないかと感じた。
その後自分が多くの辞書を読み込むようになるなどとは夢にも思わなかったし、ましてや自分で辞書を作るなどとは思いもよらなかったが、今考えればこのときの経験が現在の幻日の書式に繋がっている気がする。
辞書を作ることになったとき、自分も周りも使わなかったような辞書の書式に合わせ、大御所に右へ習えして安心するだけでいいのかと考えた。その結果がこれである。
●動線
自分だったら何が知りたいか、更にそれがどう書いてあれば読みやすいかを考えた。そして現在の書式に辿りついた。
例えばアクセント。辞書はふつう何かを読んでいて引くだろう。なかなか会話の途中に引けるものではない。そして知りたいのはたいていの場合、語義である。
そうなるとアクセントが最初に来るべきか?という疑問が起こる。しかし大抵の英和はアクセントが最初に来る。そこでこれは後方でいいだろうと考えた。
また、ふつうの辞書は訳語の後に用例が来る。そして次の語義へ移る。
しかし皆さんに問いたい。正直辞書の用例を役立てたことはそんなにあるだろうか。
私は英語で仕事をするときも、あまり英和の用例を使いたがらない(もちろん使うけど)。
用例が役立たないのではなく、載せ方が読者の動きに合っていないのではないかと考えた。
人が辞書を引くときはたいてい目的を持って引く。つまり、目的ごとに読者の動線が変化する。
訳語なら訳語、用例なら用例、語源なら語源と、そのときごとに引きたい目的が定まっていることが多い。
何となく〇〇という語の全貌を知りたいと思って引くことは少ない。
〇〇にこういう用例やコロケーションってあるのかなと思って辞書を引いたとき、英和の書式だと訳語、用例、訳語、用例となっているので、用例だけを通覧するのが非常にやりづらい。
正直、こういう作業をしているときは訳語が邪魔である。逆に訳語を探しているときは用例が邪魔である。
読者の動線を考えると、用例は用例、訳語は訳語となっていたほうが読みやすいのではないか。
読者が調べたいことは時と場合によってまちまちであるのに、必要な部分を必要な時に引けないから、「辞書っていまいち使えない」という評価をされるのではないだろうか。
英和の書式だったら文化を知りたいなと思ったとき、各語義の間を目で縫っていかなければならない。用例や語法についても同様である。つまり、情報へのアクセシビリティが悪い――と私は思うのである。
そういうわけで幻日は動線を考えた書式を採用しており、項目はモジュール化されて独立している。
ただ英和と異なるというだけで「良くない」という評価を受けるとしたら、それは残念なことである。
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