未来人との戦い
人工言語と人工世界をアプリオリでゼロから作り込む。
人工言語制作において最も難易度の高い分野である。
この分野を実践している人間は2012年現在地球上にほぼおらず、アルカ規模になると全く存在しない。
アルカとカルディアは時代の特異点であり、オーパーツである。
本来ならこの時代に存在するのはまだ早い。もう少しコンピュータやインターネットが進化してから生まれてくるはずだった。
アルカが人工言語史の本来あるべきだった歴史を先取りしているのは、作者が未来を見据えているためである。
端的に言って作者は現代人など相手にしていない。戦っている相手は未来の自分たちである。
なぜそうしているのかというと話は単純で、まず現代にアルカの相手になる言語が存在しないためである。
そしてもうひとつの理由は、アルカを人工言語史に遺すことを考えているためである。
現代にはアルカと戦える相手がいない。現代人などハナから相手にしていない。
私が他の人工言語にも人工言語制作者にも関心を示さないのは、ライバルになりえるほどの人材がいないためである。
ライバルがいるとすれば遥かに技術の進歩した未来にしかない。だから常に未来人から見て今の自分はどう見えるかしか意識していない。この感覚が一般人には分からないようだ。
私は未来人と戦うにはどうすればよいかをずっと考えて作業してきた。これは古い刀で新しい銃と戦うにはどうすればよいかという問題に似ている。
人工言語の制作は、言語自身や辞書やコーパスという一次データの制作と、小説やイラストや漫画やゲームやサイトなどといった客寄せのための二次データの制作に大別される。
後者の作業は――少なくとも私にとっては――現代人に自らの言語を知らしめることで未来に自言語を繋ぐために行うものである。
あくまで後者は未来人と戦う土俵に上がるための作業にすぎず、言語自体の作り込みは前者でしかありえない。
言語作者の仕事はあくまで前者。後者は宣伝にすぎない。
だからできるだけ作者は限られた労力を前者に充てるべきである。
しかし悲しいことに後者を他人に外注できるほど、最初のうちは理解者や賛同者が現れない。
従って作者はオールラウンダーにコンテンツを作る能力を持っている必要がある。
小説、絵、漫画、歌など、全てそれなりに作れる必要がある。言語以外に、である。恐ろしく器用である必要がある。
さてその後者のコンテンツ作りであるが、この点において未来人は我々より優っている。
例えば2012年現在漫画を個人で外注して作ろうとなると、一冊当たり100万前後の金額を要する。
外注しない場合、漫画という技術を自分で身に付ける必要がある。その上何年かの時間をその作業に宛て、言語制作をストップするリスクを負わねばならない。
漫画をセミプロなどにネット経由で依頼すると、ページ単価が5000~10000円程度になる。5000円だとしても200pで100万円である。
ページ単価の高さの内訳はほとんどが人件費である。
漫画を書くにはネームを作成し、下書きをし、線画をし、ベタやトーン貼りをし、背景を描いて吹き出しに写植をせねばならない。
知人の漫画家によると、1ページにつき6時間ほどはかかるそうである。
だがこれは10~20年もすれば状況が一変していることであろう。
3Dデータでキャラや背景素材などを作り、ポージングをして配置をし、写植をする。
一度モデルを作ってしまえばどの角度でもどのアングルでも簡単に描ける。
この方法なら従来よりも遥かに効率よく漫画を制作することができる。しかもカラーでである。
そして何より絵を描けない人間にも漫画を作ることができる。
この構想は2000年代に思いついてそのように将来なっていくだろうと考えていたが、コミPOというソフトの出現により、自分の予想が正しいことが証明された。
恐らく今後はこのような3Dモデリングを用いたカラー漫画が10~20年の間に台頭してくることだろう。従来の漫画の制作方法は変化していくものと思われる。
そうなった場合、白黒の2D漫画は現在の白黒映画と同じく古めかしいものになるだろう。
つまり未来の人工言語制作者は今より簡単に、しかもフルカラーで漫画を作ることができるのである。
もし現在我々が何年あるいは何百万もかけて漫画を作ったとしよう。それを未来人はあっさりと短期間で済ませてしまうわけだ。
これではコンテンツ制作という面において未来人と張り合ったところで絶対に勝ち目はない。
未来人から見ればしょせん現代のコンテンツなど時代遅れにすぎないのだ。
現在コンテンツを作ることは現代人に自言語を知らしめる方法として有益であり、現代人に普及させることは未来人に自言語を繋ぐという点において有益である。
しかしそのコンテンツで未来人を魅了することはできない。あくまで未来人にバトンタッチさせるために現代人を引き込む――そのためだけの道具にすぎない。
さて、コンテンツ作りで未来人と対抗しても勝ち目がないとは述べた。
では我々は未来人とどう戦えば良いのだろうか。
それは未来人といえど決して機械化・自動化できない分野において渡り合うことである。
未来には良い翻訳機が作られていることだろう。遠い未来には自言語を作ったら今より簡単に各国語に変換できるものと思われる。
コンテンツも簡単に作れるだろう。漫画だけではない。アニメもゲームも簡単に作れるようになっていることだろう。
だが辞書・コーパス・小説・世界設定の制作は人間が自分で作業しなければならない。
将来的には文書さえ機械が膨大なコーパスとパターン分析を用いて自動で作成するだろう。
だがそれは定型的な文書に限られる。ゼロから異世界や異言語を作るといったイレギュラーかつクリエイティブな文書の作成は機械ではできない。
そこはあくまで、たとえ何百年経とうと、人間がやる仕事なのである。
つまり異世界と異言語をゼロから作ろうとすると、その一次データは結局人間が作らねばならないということである。
ここに我々原始人が未来人と対抗できる唯一の糸口がある。
結局コンテンツというのは他人を魅了する道具にすぎず、一次データこそが言語や世界そのものの作り込みの尺度になる。
その一次データの制作は未来人でもサボることができない。つまり言語と世界の作り込みは何人たりとも横着することができないのである。
だからこそ我々が行うべきことは、一次データの制作なのである。
結局一次データが作りこみの度合いを反映し、そこだけは自動化できないので、最も重要な部分がいつまで経っても自動化できないということになる。
そう、幸いなことに制作作業において最も重要な部分がいつまで経っても自動化できないのである。すなわち核の部分は未来人だろうと我々だろうと横着できない、平等ということである。
もっとも、未来人は今より簡単で便利な入力デバイスを用いるだろう。
音声入力で文書制作をし、腰や肩を痛めずに大量の文書を打てるようになるだろう。
ネットで得られる情報もさらに豊富で便利になり、造語をするときに行う概念に関する調査も今より簡単に行えることだろう。
そういう意味では一次データの制作もやはり未来人のほうが有利である。
有利ではあるが、決して自動化はできない。だからこそ我々はこの核の部分で戦うしかないのである。
私は現代人など眼中に無い。未来人と対抗すべく、一次データを作り込む。そこに信念と命をかけている。そうして生きてきたし、これからもそうするだろう。
人工言語のような金にならないものをここまで作り込むのはイェフダー以来であり、芸術言語においてはトールキンを抜いて初めてであろう。
トールキンでさえここまでの精度と量で世界と言語を作り込むことはしなかった。
自分が戦っているのは未来の自分である。正確に言えば、未来のある時点で台頭するであろう自分のような人工言語屋である。
もし自分が未来人で同じような熱意を持って人工言語を作ったらどうなるか。その自分と渡り合うにはどこで勝負すればよいか。
そればかりを考えて何年も何年も作業してきた。その答えが膨大な一次データの制作である。
ときにコンテンツ制作においては漫画が一番効果的である。
他者を魅了するコンテンツとしては音声・小説・漫画・アニメ・ゲームなどが考えられる。
このうち簡単に作れるのは小説だが、小説は文字ばかりで読みづらい。敷居が高い。
音声はリスニング能力をユーザーに要求するので敷居が高い。
ゲームは遊ぶには良いが、言語の習得や学習という面では遊びに意識が行ってしまうので、あまり効率的でない。
ではアニメと漫画のどちらが優れたメディアか。
人工言語の普及という点では圧倒的に漫画である。
アニメはまず視聴者にリスニング能力を要求する時点で敷居が高い。
仮に字幕を付けるとしても問題は解決しない。というのも、一定の時間で自動的に字幕が流れてしまうためである。
初心者と熟練者では文を読む速さが全然違う。にもかかわらず一定の速度で流れてしまう字幕は言語の普及には不向きである。
漫画の場合、読者が自分の速度で読むことができる。リスニング能力も要求されない。この点でアニメより言語の普及においては優れている。
ただし、アニメが唯一優っている点がある。それは権威である。
アニメを作るほうが漫画を作るより労力がかかる。自言語にはオリジナルのアニメもあると喧伝したほうが権威付けにはなる。
ただ、それもせいぜいここ数十年の話にすぎない。やがて個人でも簡単にアニメを作れる時代になれば、権威付けとしてのアニメも意味を成さなくなる。
そうなると単純に漫画の持つ利便性のほうが高く評価される。
よって総合的に考えて普及のツールとして見た場合、漫画が最も優れたメディアといえる。
しかるに我々はまず漫画の制作を行うべきである。恐らく最初は労力か金をかけてでも2Dで作るべきであろう。
そして個人でも簡単に漫画が3Dモデリングなどで作れるようになった暁には、3Dでフルカラーで作るべきであろう。
コンテンツ作りはただの客寄せだが、それでも未来人と戦うための切符としては必要である。まずは未来人に自言語を知ってもらえないことには戦うことすらできないのだから。
|