lantahaal
[数学]
数列における数学的帰納法、数学的帰納法
[レベル]
5
19:seren:ドミノ倒しの手法で演繹していくことから。アルカでは帰納とは呼ばない。
[文化]
<地球でのアルカが数学に弱い理由>
アルカの主幹はセレンなので、どうしてもセレンが苦手な分野は手薄になる傾向にある。もともと女性向きな化粧や美容などは特に弱い。手薄な分野に関しては他人の発言を聞いて幻日に転記したり、幻英辞典から適宜流入するなどといった対処をしている。→vetladan, 凡例
数学も比較的手薄である。下手の横好きで、できたら格好いいと思うのだが、まったくできない。苦手意識を持ったきっかけとなったのがこのlantahaalだ。
セレンが最初に数学的帰納法に触れたのは、間接的にではあるが、中2のことであった。田舎の公立中の授業があまりに退屈だったのでアルカやプログラムの内職をする日々であったが、あるときプログラムの関係で数列を書いていて、奇数を足していくと整数の二乗に等しくなることに気付いた。
例えば1+3+5=9である。3回奇数を足したら、3の二乗になるというわけだ。1+3+5+7のように4回足せば、4の二乗の16になる。
この現象を一般化すれば、1+3+5+・・・+2n-1=n2となる。これに気付いたとき、面白いと思う反面、なぜこうなるのだろうと考えた。
当時はゲームのプログラムでドット絵を扱っていた。ドット絵というのは縦横のブロックの集まりでキャラを表現する手法だ。その考え方に慣れていたため、以下のような発想に至った。
まず1回目は縦横1列の範囲にブロックを置いていく。当然、置ける個数は下記のように1つだ。
■
次に2回目。ブロックを置ける範囲は縦横2列に広がる。■の右辺と下辺に這わせるように新たなブロックを置くと下図のようになり、大きな正方形ができる。
■□
□□
これで合計4個。足したのは□が3つだ。
次に3回目。縦横3列のブロックを作る。
■□■
□□■
■■■
合計9個。もともとあったのが4個で、足したのが5個だ。ここまで来れば一般化できる。
n回目の場合、縦横n列のブロックを作ることになる。n-1回目までにできたブロック群の右辺と下辺にブロックを足していけばいい。
右辺に足すブロックの個数はn列目なのでn個。同じく下辺に足すブロックもn個。しかしこれだと右下のブロックが重複するので1つ分減らす。
つまり前回までにできていたブロックの周りに2n-1個だけブロックを置けばいい。すると縦横n列の正方形ができあがる。当然その正方形の面積はnの二乗だ。だから、1+3+5+・・・+2n-1=n2なのだ。
こうして問題は解決した。ところが疑問が残った。もしこの等式の右辺がnの二乗のような単純な項にならなかったらどうすればいいのだろう。正方形だから幾何的に簡単に考えられた。もし幾何的に説明しづらい複雑な例ならどのように対処すればよいのか。これを考えたが分からなかった。
当時はネットもない時代だし、大型書店の存在を知ったのも中3のことだった。図書館もろくなものがなく、調べる術はなかった。
結局疑問を風化させたまま高校に入り、やがて数学的帰納法に出会った。そして「あぁ、あのときのブロックの話か」と思い出した。
数学的帰納法は文系脳のセレンでも分かるほど言葉に置き換えやすいドミノ倒しのような理論で、非常に面白かった。だが同時にこの瞬間、自分には数学のセンスがないことを強く自覚した。
なぜ自分は応用の効く数学的帰納法を中2のあのとき編み出さなかったのだろう。なぜ個別の例にしか対処できない幾何的な手法で思考停止してしまったのだろう。愚かだ。
自己嫌悪に陥りながら、その後メルに英語と日本語と古アルカ混じりで同じ問題を出題した。わずか9歳ほどだったメルは大した時間もかけずに、中2のときのセレンと同じ解を出した。
だがその後彼女は「『n回目が正しければ、nの次の回も正しい』ということを証明できないかな?」と言い出した。そして「それさえ証明できれば、あとはn=1回目を手動で計算すればいいんじゃない?そしたら楽できるよね」と述べた。それはまさに数学的帰納法の考え方であった。そしてその考え方なら、奇数の和算という個別事例以外にも対応できる。
この「楽できるよね」の台詞にショックを受けたセレンは、それから数学に苦手意識を強く持つようになった。自分には彼女のような合理的な手法が思い浮かばなかったからだ。
「どうしてお前はそんなこと思いつけるの?」と聞いたところ、いつもどおりの返答が帰ってきた。すなわち、「だって考えるの面倒くさいから。なるべくとっとと片付く方法のほうがいいじゃん。そのほうが楽でしょ」だ。楽ができるものならとっくにしているさ。単に俺の頭じゃそれが思いつかないんだよ――そう思った。
<アプリオリにおける命名の厳しさ>
ところで数学的帰納法はlantahaalというわけだが、アルカでは帰納ではなく演繹だ。
高校の頃、これが帰納だと聞いて違和感を覚えた。むしろ演繹ではないかと。しかしネットもない時分、裏を取るのはたぶんに面倒であった。結局リュウに問い合わせたところ、数学的には演繹だと教わった。それでアルカでは現在でも数学的帰納法のことを帰納ではなく演繹に分類している。
アプリオリ言語の場合、自然言語から単語を借りられない。それはつまり自然言語が持つ間違いを借りることもできないということだ。
例えば有理数はrationalという英単語の誤訳が原因でできた単語だ。有比数が正しい。もし数学的帰納法や有理数という日本語を元にアルカの単語を創ったら、間違いを継承してしまう。それはアプリオリな造語ではない。
もちろんアトラスの学者も間違える。アルカにも間違いが元でできた単語があるべきだ。しかしそれが一々地球でできた間違った単語と重複するのはおかしい。
つまり、アプリオリの人工言語屋はあらゆる学問に広く浅く通じてなければならないというわけだ。従ってひとつの単語を作るにも一々細かく裏を取り、内容を理解した上で、さらに自分の異世界ではどのような時代にどのような語源で名付けられたかを考えねばならない。非常に骨の折れる作業だ。
この件について後年愚痴ったセレンにメルはこう言った。「世の中は甘くない。天才であっても努力しないで第一人者になれることはない。そんな漫画のようなことは起こらない。そして逆にバカがどんなに努力しても第一人者にはなれず、所詮はマシなバカでしかない。結局この厳しい現実において第一人者というのは、もともと頭の良い人間がさらに不断の努力をして掴み取る地位なのだ」と。
またこうも言われた。「いつも言ってるとおり、お兄ちゃんはメルが許せる最低限度のバカで、ギリギリ生きていてもいい境界線にいるわけよ。だけどまぁ、人工世界を作っていくのに必要な広く浅い知識と知性という面で見れば、及第点じゃない?」と。
アプリオリな命名より妹のほうが厳しい。
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