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人工言語学

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論文

高度な作り方

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人工言語学研究会

自動詞と他動詞

 動詞には主語と目的語を取る他動詞と、主語しか取らない自動詞がある。
 他動詞において通常主語は目的語に何らかの働きかけをし、その働きかけの意味は動詞によって異なる。
 自動詞は更に非能格動詞と非対格動詞に分かれる。非能格動詞は主語になるものが外項(動作主ないし意味上の主語)であり、laughなどがこれに当たる。非対格動詞は主語になるものが内項(意味上の目的語)であり、dieなどがこれに当たる。

 日本語や英語など、自然言語では通常動詞に自動詞と他動詞の区別があり、動詞ごとに動詞の自他を覚えねばならない。このことは言語を学習する際において労力がかかることを意味する。例えば日本語の「結婚する」は「*太郎を結婚する」とは言えないため、自動詞である。一方英語のmarryはI married herのように目的語を取れるため他動詞であり、日本人の英語学習者はI married to herなどと間違えることがある。動詞に自他を持たせると、動詞ごとにこれは自動詞か他動詞かというのを覚えねばならず、学習効率が悪くなる。そこで人工言語にはすべての動詞を自動詞ないし他動詞にまとめるものもある。例えばアルカはすべての動詞が他動詞であり、「いる(xa)」などの動詞もすべて他動詞である。
 因果律によれば、出来事には原因と結果がある。何かが起こればそこには必ず原因と結果がある。動詞は「何がどうなったか」を表す言葉なので、本来的に出来事を表す言葉である。ゆえに動詞にも原因と結果がある。例えば「太郎がコップを割った」という出来事において原因は太郎であり、結果はコップが割れたことである。こういった文は通常他動詞で表される。「コップが割れた」という自動詞文は結果だけを表現した文であり、原因については言及しない表現である。しかし言及されないからといって原因が存在しないわけではない。結果があれば必ずそこには原因がある。
 「太郎がコップを割った」のような他動詞文は原因と結果について言及するので因果律を表している。一方「コップが割れた」のような自動詞文は原因が述べられておらず、因果律を表していない。この世に起こるあらゆる出来事は因果律の上に成り立っているので、あらゆる出来事は他動詞文で表現することができる。

 人工言語を制作する際、あらゆる動詞を自動詞か他動詞にすれば動詞の自他を覚えずに済み、学習効率が良い。その際どちらに固定すべきかという問題が発生するが、この世のあらゆる出来事が因果律の上で成り立っていることを考えると、それを表現できる他動詞を選ぶほうが論理的といえよう。
 むろん、すべての動詞を自動詞にすることも可能である。ただし自動詞には非能格動詞と非対格動詞があるので、動詞ごとにこのどちらかを覚えねばならないという新たな学習効率上の問題が発生する。例えばlaughは非能格動詞であるが、dieは非対格動詞であるといったように。他動詞を基底にすればlaughは「誰かが自分を笑わせる」という表現で「誰かが笑う」を表せるし、dieは「何かが誰かを死なせる」という表現で「誰かが死ぬ」を表せる。他動詞を基底にすれば動詞ごとに非能格動詞か非対格動詞かといったことは覚えずに済む。他動詞を基底にしたほうが学習効率が良く、更に因果律にも沿っていて、より論理的な体系になる。

 言語によって他動詞を好むか自動詞を好むかは異なる。例えば「寝る」は日本語では非能格動詞で自動詞であり、英語sleepと同じだが、フランス語だとcoucherは他動詞であり、これは本質的に「寝かせる」という意味である。フランス語では「私は寝る」と言う場合、Je me coucheと言う。これは直訳すると「私は自分を寝かせる」であり、これで初めて「私は寝る」という意味になる。

 他動詞を基底にすることに短所も存在する。他動詞は最低2項を要求し、自動詞は最低1項を要求する。なお、天候動詞などの場合は0項の場合もある。例えばイタリア語Piove(雨が降っている)のように。本来的に自動詞のほうが要求する項が少ないので、その言語を使用したときに同じ文をより短く早く言えるし書けるようになる。例えば「コップが割れた」のほうが「誰かがコップを割った」より短く合理的である。先の「寝る」の例も同じで、I sleepという英語の自動詞文はJe me coucheというフランス語の他動詞文よりも短く合理的である。
 この短所を解消する方法がある。例えばアルカはすべてが他動詞なので、「寝る」はなく「寝かせる(mok)」しかない。「私は寝る」はan mok nos(私は自分を寝かせる)のように表現する。フランス語と同様である。しかしアルカの場合このnos(自分)は自明であるという理由で省略でき、an mokで「私は(自分を)寝かせる→私は寝る」を表すことができる。再帰動詞の場合は「自分」という目的語を無標にして省略することで、実質必要な項を1つに減らし、自動詞文と同じだけの合理性を得ることができる。

 さて、他動詞しかない言語ではどのように自動詞文に相当する表現を表すのだろうか。laughのような非能格動詞を表現したい場合、「誰かは誰かを笑わせる」という他動詞を基底とし、「誰かはφを笑わせる」と変形する。φは「削除」ではなく「不特定の人やものや出来事」を表す。φに主語と同じものが来ればそれは再帰動詞となり、フランス語のJe me coucheのようになる。こうして自動詞「笑う」や「寝る」に相当する表現を得る。一方dieのような非対格動詞を表現したい場合、「誰かは誰かを死なせる」という他動詞を基底とし、「φは誰かを死なせる」と変形する。こうして自動詞「死ぬ」に相当する表現を得る。このφは生成文法でいうproに近い。
 非対格動詞の主語φを仮にproとすると、John diedはPro died John(誰かがジョンを死なせた)と表現できる。このproを無標にすればDied Johnという文が得られる。これは他動詞を使った自動詞文に相当するものであり、項を1つしか取らないので自動詞文と同じだけの合理性がある。ところが言語作者によってはこの表現に不満を感じるものもいるだろう。というのもこの文の話題の中心は死んだジョンであって、その話題の中心は文のより早い段階で示されるべきだと考える人がいるかもしれないためである。つまりdiedよりJohnのほうが先に来るべきだという考えである。ところがこれをJohn diedにしてしまうと、このdiedは他動詞「死なせた」が基底となっているので、「ジョンは誰かを死なせた」という意味に変わってしまう。
 この問題を解消する方法はいくつかある。ひとつはジョンという対格に対格マーカーを付ける方法。日本語で「ジョンを死なせた」で「ジョンが死んだ」を表すがごとく、John-wo diedという風に述べる。話題の中心であるジョンが対格の位置から主格の位置に繰り上がった場合、対格マーカーを付けてそれが主格でないことを明示する。こうすれば話題の中心を文の早い位置に持ってきつつ、他動詞を基底としながら自動詞文並みの短さを表せる。ただしこの方法だと対格マーカー(ここでは暫定的にwo)の分だけ文が長くなり、冗長になるという欠点がある。それならば英語のように動詞の自他を区別してdieは自動詞という風にして、John diedと自動詞文を作ったほうが文は短くなる。ただしこの場合は動詞の自他を復活させるので、学習効率が悪くなる。つまり対格マーカーを入れる分の運用効率の悪さを取って学習効率の良さを取るか、動詞の自他をいちいち覚えて学習効率の悪さを取って運用効率の良さを取るかの二択である。
 対格マーカーを付ける以外にも上記の問題を解決する方法がある。例えば「φはジョンを死なせた」という構造を「ジョンは死なされたものである→ジョンは死んだものである→ジョンは死んだ」という繋辞を使った構造に置き換える方法である。つまりDied Johnという構造をJohn was dieという繋辞を使った構造に置き換えるのである。つまりJohn was a killed thingのような文でJohn diedを表すということである。こうすれば話題の中心を文の早い位置に持ってきつつ、他動詞を基底としながら自動詞文並みの短さを表せる。ただしこの方法だと繋辞を挟む分、文が長くなる。先の方法と同じく学習効率を取って運用効率を捨てたやり方である。
 ただ繋辞を使ったやり方には思わぬ長所がある。この体系だと形容詞を動詞から規則的に派生させることができ、動詞と形容詞を別々に覚える必要がなくなる。例えばbigを「大きくする」という動詞だとするとI big itは「私はそれを大きくする」であり、This is bigは「これは大きくされたものである→これは大きい」となる。This is bigのbigは動詞bigの過去分詞のようなものであり、この体系上では過去分詞は無標となっている。この体系ではあらゆる形容詞が動詞から規則的に派生されることになる。英語だとlargeに対するenlarge、deadに対するdieなど、形容詞と動詞は別個に覚える必要があるが、このシステムを採用すれば動詞と形容詞をいちいち個別に覚える必要がなくなり、学習効率が大幅に向上する。これは動詞の自他の問題を通り越した大きな長所である。

 言語学では自動詞と他動詞のうち動詞としてより原始的で本来的なのはどちらかという問いが投げかけられることがある。それに対する回答は言語学者ごとにまちまちであり、全員の一致を見ない。本来的な動詞が自動詞なのか他動詞なのか言語学的に分かっていない以上、人工言語はどちらを採用しても構わないし、自然言語同様両方採用しても構わない。どのような体系を採用するかによって長所と短所が変化する。あらゆる面において長所しかないやり方は存在しない。学習効率を取れば運用効率は一般に減るし、逆もまた然りである。

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