人工言語にはたくましい想像力が必要か
人工言語や人工世界の制作、特にアプリオリでゼロから作る言語や世界には相当な想像力が必要なのではないかと思われることがある。
だが自分を振り返ってみるとあまりそうは思わない。筆者は小説のネタを考えるのが苦しく、いつも良いアイディアが出ずに苦しんでいる。むしろ「自分、想像力弱いなぁ」と思うことがしばしばある。
小説を読むのも苦手で、漫画を読んでしまう。字から絵を起こす想像力がないので、既に絵になっている漫画を頼ってしまうのだ。
筆者は人工言語をゼロから作ったわけだが、その経験から言ってあまり想像力は必要ないと思う。
もっとも、荒唐無稽な人工言語の場合、想像力が大きなウェイトを占めるかもしれない。だが言語学に矛盾せず自然言語と錯覚するような出来栄えのリアルな言語を作ろうと思うと、想像力はあまり必要ではない。
リアルな言語を作る場合、その作業の殆どは調査と考証だ。ひとつの単語を造語する際も、その概念について書籍やネットで調べ、理解を深めた上で、自分の世界と言語の内容に矛盾しないよう考証しながら造語しなければならない。
どちらかというと必要なのは、「こういう造語をすることで他の部分に綻びが生じないか」と注意する能力である。
設定Cを作ったことで既存の設定AやBの内容に矛盾が生じるようでは、言語に綻びが出てしまう。
具体的にはどういうことか。
仮にあなたが赤が嫌いだとしよう。
自分の人工言語なのだから色彩語は自分の好きに設定していいはずで、実際自然言語を調べると赤という色彩語を持たない言語も存在しているので、赤という色彩語を作らないことになんら問題はないように思える。
さてあなたは白という色彩語を造語する。次に青という色彩語を造語する。すると、ここであなたの言語に綻びが生じてしまう。なぜか。
実は色彩語には階層があり、青という色彩語を持つ言語は必ず白や黒や赤といった色彩語を持つということが言語学的に明らかになっているのだ。
設定C(青)を作ったことで既存の設定A(白)やB(赤がないこと)の内容に矛盾が生じるようでは、言語に綻びが出てしまう。
白があって赤がない状態は別に構わない。しかしその状態で青を作ると言語学的に破綻する。
つまり何か一語造語するという行為は、ただその一語だけを作る行為ではないということである。
一語作るたび、既に作ったあらゆる設定に矛盾しないよう考証しながら全体を俯瞰して作る必要がある。
ということは、語彙が大きくなるほど考証作業は大変なものになるわけだ。アルカは万単位の語彙を持つ人工言語なので、その細やかな考証作業はもはや地球上で筆者ほか数名にしかできない職人技である。
こういう点で人工言語はますます芸術作品としての性質が強いように感じられる。
上記を踏まえれば納得できるだろうが、人工言語制作には想像力よりも「全体の辻褄を合わせる能力」のほうが圧倒的に必要なのだ。
正直、何かを空想する力は大して必要ない。むしろ今まで自分が作ってきた数多くの設定を把握し、それらに矛盾しないよう新規の設定を作る力のほうが必要である。
綻びを生じさせないためには造語するたび書籍やネットで几帳面にその概念について調べる必要があり、同時に広範な知識と弛まぬ学級意欲といった調査力も必要となる。
そしてまた、得た知識を自分の作品に矛盾なく組み込むための深い考証能力も必要になる。
人工言語や人工世界を制作していて必要なのはこれらの能力であり、門外漢の予想に反して想像力はあまり必要でない。
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