『人工言語学・アルカ』序文


序文

●構成

 本書は人工言語学研究会(URL: )が掲載している記事を取りまとめたものである。人工言語学研究会とは人工言語を言語学の範疇として研究することを主旨とした非営利団体である。
 本書の内容は大きく4章に分かれる。
 1章では人工言語とは何かから説明しつつ、人工言語の作り方について解説する。
 2章では言語学では一般に範疇として扱われない人工言語を言語学の範疇として研究することを目的とした人工言語学について概説する。
 3章では、アプリオリ自然主義世界を持ったアプリオリ自然主義人工言語の中で世界一深く作り込まれた人工言語アルカについて概説する。
 4章では人工言語アルカのみで書かれた初の出版物となる小説『夢織』(melidia)を掲載する。

 2章の途中でアルカの知識が必要になる箇所があるため、先に3章を読むか読み飛ばすことをお勧めする。

 なお、文体はHPに記載されたものをそのまま継承する。説明調の1章については「ですます調」を用い、それ以外では「だである調」を用いる。
 行頭の全角スペースによるインデントの有無もHPの様式に準拠する。

●本書の特長

1:人工言語の作り方について解説された国内初の書籍である。
2:人工言語学という新しい言語学の分野を提唱するものである。
3:人工言語史についてまとめてあり、人工言語の歴史を通覧できる。
4:アプリオリ自然主義世界を持ったアプリオリ自然主義人工言語の中で世界一深く作り込まれた人工言語アルカについて解説してある。すなわち人工言語アルカは出版された書籍を持った人工言語である。
5:人工言語アルカのみを使って書かれた小説『夢織』を収録してある。すなわち人工言語アルカは自身の言語で出版された書籍を持った人工言語である。

●出版企図

 本書の内容、とりわけ1, 2章は2005年に新生人工言語論という名のもとにウェブ上に公開されたものを改訂したものである。
 3章に関しては1991年から作りはじめられた言語を2005年にウェブ上で公開し、様々なHPを経て現在のHP(URL: arka/)に辿り着いたものであり、2011年に本書という形で初めて出版されたものである。
 4章に関してはウェブ上で2007年に公開されたものを改訂したものである。

 本書を出版した企図は「いつどこで誰が何と発言したか」の証明を行うことである。出版物は国立国会図書館に納本され、ISBNで管理される。奥付には出版した年も記される。
 ウェブ上で情報を公開しているだけでは悪意ある人間が盗作をしなおかつ著作権を主張したときに対抗できない。こちら側は自分が著作権者であることを証明しなければならないが、仮にこちらが2005年からやっていると主張しても相手が2004年からやっていると嘯いて偽の証拠をでっち上げればそれまでだ――というのがこの国の著作権管理団体に直に問い合わせた際に得られた結論である。
 この国では著作権は著作物を作ったと同時に発生するが、それが現実面守られるかまでは保証されないということである。その気になれば誰かが著作権者であると騙ることも可能であるというのが著作権管理団体の返答であった。またこれに対し国民の権利を守る気がないのかと尋ねたところ、そのような法律はないとの返答であった。
 このなんともお粗末な法整備の中、確実に自分の著作権を主張するには出版という方法が最も有効であるという結論に達した。国立国会図書館に納本してISBNを取得すれば、ウェブ上の情報と異なり、国家が背景となって著作権が保護されるためである。

 人工言語には公的な機関もなければ学会も存在しない。人工言語史を刻む機関というものが存在しない。ウェブ上でいくら喚こうがアルカのように知名度を獲得しようが、ウェブ上の情報である限りその存在は軽い。読者の記憶には残るかもしれないが、歴史に名を刻むことはできない。
 名を刻んでくれる機関がないのであれば、個々の作者が公的に発言をして自分の名を歴史に残すのみである。出版という行為を通じて「いつどこで誰が何と発言したか」という記録が公的に残り、それにより公的に歴史上に自分の功績が刻まれることになる。出版物が持つこの公的な性質は、出版業界が衰えていく中で出版物の最後の有力な力といえよう。

 なお、ネットで無料で閲覧できる内容なので有料にする意味などないと考えたが、版元の意向でそれは不可能となった。実際筆者が無料にしたかろうが、出版業界の常識を考えると有料になるのはやむを得ない。それでも専門書にしてはかなり価格帯を下げてある。

●おわりに

 筆者が人工言語アルカに携わってから今年でちょうど20年が経った。その節目として本書を出版することにした。
 20年の間にアルカに関わった人物は大なり小なり合わせて優に3桁に及ぶ。こちらが把握していないインターネット上の読者を含めればどれだけの人数に上るのか分からない。
 20年という長い期間の間、アルカには非常に苦しい思いをさせられてきた。まるで子供のように手のかかる言語であった。
 それでもここまで捨てきれずに継続し、言語として一旦の完成を見ることができたのは、様々な協力者のおかげだと考えている。

 アルカの制作に区切りがつくとともに、筆者はアルディアという小説の執筆に取りかかることとなった。これは人工世界カルディアにおける最後の20年間の歴史を、文字通り20年かけてリアルタイムに綴った物語である。
 一見すると史記であるが、実際のところは筆者が恋人のために綴った恋の物語である。これを書くことが筆者にとってアルカに次ぐ人生の意味や意義であり、目標となっている。

 ときに、アルカには大勢の人間が関与しているので、作られた理由やレーゾンデートルをひとつに絞ることはできない。ただアルカの主な制作者である筆者に限っていえば、恋人と自分を繋ぐための特別なものという存在意義があった。
 「最初は共通の言語がなかった」「遠距離である」「様々な言語に触れた」という思春期時代を通して、筆者とその恋人は自然言語を用いて愛情を伝えることに違和感を感じた。既製品の言語で気持ちを伝えたところでそれが本当に自分の気持ちを伝えたことになるのだろうかと考えた。
 単に日本人同士の日本語での恋愛だったら、このような発想には至らなかっただろう。また、筆者が純粋な日本人だったら、このような疑問を抱かなかったかもしれない。
 ともあれ筆者らは、自分たちで創り上げた言語で気持ちを伝えることが真の意味で自分たちの気持ちを伝え合うことになると考え、そこにアルカの存在意義を見出した。筆者及び恋人に限れば、アルカのレーゾンデートルはそこにある。

 さて、言語の創造とはすなわち世界の切り分けである。アルカを作る際に兄と弟を細分化するか、稲と米は細分化するかなどといった世界の切り分けをしなければならなかった。この際に必要となったのが言語の背景となる文化と風土、すなわち世界である。そこで恋人が主にこの人工世界の創造を担当した。
 つまり、自分たちの真の気持ちを伝え合うことというのが最大目標であり、そのためには言語が必要なので言語を筆者が担当し、言語を作るのに背景となる世界が必要なので世界を恋人が担当したというわけである。
 遠距離で会うことが困難だったからこそ、精神的な絆で深く繋がることが関係の維持に絶対必要であった。このようにして生まれた強い絆のもとで、アルカという言語は長きに渡って、ほかの言語制作者なら行えないほどの作り込みを持った言語として成長してきた。
 結局、筆者の視点では、アルカのレーゾンデートルは突き詰めれば、彼女との関係性である。何をおいても彼女との繋がりが自分の中で最高の価値観であり、ここまで作業を続けることができた。

 失ったものは大きかったが、有意義で意味のある人生だった。

 20年目の夏、我が最愛の恋人リディアに捧ぐ