リアルファンタジー小説『アルディア』

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2012年10月19日

 セレンは風邪を引いて病院にいた。メルも付き添いで来ていた。
 感染るからいいと言ったのだが、心配だからと言ってついてきた。
「こんな季節の良い時期に風邪引くなんてな」
「夏の疲れが溜まってたんだよ、きっと。それに、季節の変わり目だから」
「しばらく孤児院には顔を出さないほうがいいな。子供たちに感染ってしまう」

 セレンはぼーっと診察室のドアを見た。まだ順番は来ない。
 病院の入り口からスーツ姿の男が入ってきてカウンターに声をかける。所作からしてMRだろう。
 MRは受付と話した後、入り口の脇で立っていた。席が空いているから座ればいいのにとセレンは思った。

「……病院も改革しないとな」ポツリと洩らした。
「え?」
「MRは製薬会社の営業だ。製薬会社はいくつもあり、同じ効果の薬はこの世にいくつもある。そして医師は患者に処方する薬を選ぶ。となると製薬会社としては当然自社の薬を使ってほしい」
「売上になるもんね」
「薬を売り込むのは営業だ。自社の薬を採用してもらうため、各社のMRがこぞって医者の機嫌を取る」
「医者の好みを把握して贈り物をしたり、あと、女のMRはディナーに誘ったりして色気も使うとか?」
「そう。医者のワガママを何でも聞くわけだ。アイドルのコンサートのチケットを医者のために苦労してゲットするなんてこともある」
「枕営業なんてこともあるのかもね」
「あぁ、当然この世にゼロではなかろうな。それと、MRは看護師にも気を使うらしい」
「どんな風に?」
「こんな話がある。A社のMRは看護師にスイーツの差し入れをする。B社はしない。ある日、医者の機嫌が悪いときがあった。A社が来たとき、看護師は気を利かせて今は機嫌が悪いから出直したほうがいいと教えてやる。でもB社には教えない。B社は八つ当たりを医者から食らって退散した」
「スイーツのお礼ってことなんでしょうけど、意地悪な看護師だね」

 セレンはパンと右拳を左掌に打ち付けた。
「なぁ、これって事実上の賄賂じゃないか? 医者は接待なんかなくても最も患者に適していてローコストな薬を採用すべきだ。看護師は菓子をくれなかったMRにもバッドタイミングだと告げるべきだ」
「そうだね」メルは頷いた。
「MRの大半は医者より学歴が低い。社会的身分も年収も低い。つまり弱者だ。医者は強者だ。強者が賄賂を貪り、弱者は強者の顔色を伺いながら同時に搾取もされる。これが現実だ」
 じっと診察室のドアを見つめるセレン。口調が苛立つ。
「汚ねぇんだよ、やり口が! 医者に媚びへつらい他社を出し抜こうとするMRも、平然と賄賂を受け取り要求する医師も看護師も」
「うん、分かる……」

「ミロクがいた頃、こんなに社会は腐っていたか?」
 メルは首を振る。
「ミロク様だったら間違いなく粛清してたと思う。お兄ちゃんみたいにそういう汚いことが嫌いな人だったそうだから。実際彼がいた頃はもっと世の中は平等だったそうだね」
「だろ? 要領よく立ち回ることで生き残る汚い弱者、それを搾取する強者。ワリを食らうのはいつも正直者で要領の悪い純粋な心を持った弱者だ。こんなのが許されていいのか」
「よくないと思う」
「正直で純粋な心を持った綺麗な人間が損をして、更なる弱者層に貶められる。こんな世の中じゃ汚い人間しか生き残れず、欲で太った豚ばかりが笑う。こんな世界は間違っている」

 メルはセレンの拳を両手で包みこんだ。
「お兄ちゃんは世の中を変えたいんだね。ミロク様のように」
「クソッ、俺に力さえあれば善政を敷いてやるのに……!」
 苦々しくセレンは呟いた。

「お兄ちゃんが医者だったら、賄賂を贈ってくるMRなんか怒鳴り帰していただろうね。清廉潔白な医者なんだろうなぁ。……カッコいい」
 セレンの腕にしなだれかかるメル。
「なんだ、俺が学者じゃ嫌か? 医者の奥さんが良かったか?」
「ううん。医者なお兄ちゃんもカッコ良かったんだろうなってだけ。お兄ちゃんには学者や芸術家が一番似合ってるよ。それも、売れないほうの――ね」
「売れなくてもいいのか」
「むしろ売れないほうがいいんだよ、お兄ちゃんらしくて。売れてるってことは、それだけ汚い俗世間に迎合してるってことでしょう?」
 メルは微笑んだ。セレンはメルの頭を優しく撫でた。

1992年10月21日

「今日は私の家で遊ぼうよ」
 学校が終わったリディアはセレンを家に誘った。リーザの寺子屋で暮らしているセレンにとっては外出だ。
 寺子屋を離れて木立を抜けて川を越えたところにリディアの家はある。リディアは慣れた足つきで石を跳んで川を渡る。

「ただいま。お母さん」大きめな声で耳の遠いナルムに声をかける。「今日はセレン君を連れてきたよ」
「いらっしゃい」ナルムは椅子から立ち上がった。
「あ、おじゃまします」
「ホットミルクを入れてあげましょうね。シャイナさんが今朝新鮮なのをくれたから」
 ナルムは台所へ立った。

 セレンとリディアは居間のテーブルの椅子に腰を掛けた。
 翼の生えた白猫クエリがリディアにすり寄る。
「なぁ、お前の父さんって見たことないんだけど」
「遠くで働いてて滅多に帰ってこないの。ふだんはお母さんと二人だよ」
 娘のリディアも父親のアムルとは疎遠らしい。ふだん父親の話をしているのを見たことがない。

「ねぇお母さん、今日の夕御飯は何?」
「リディアの好きなシチューよ。グランゼさんが良い野菜を売ってくれたの」
「わーい、シチューだー!」にこにこする。「あ、カバンにパンが入ってるからね、お母さん。コッペルおじさんが包んでくれたの」

「リディアって村の人に愛されてるよな」
「うん、みんな大好き!」純粋な笑顔を見せる。
「特別可愛がられてるように見える」
「そうかな。ふつうだと思うけど」

「ところでリディアって父親似なの?」
「どうして? そんなことないと思うけど」
 セレンはナルムを見ながら小声で言った。
「いや、お母さんにはあんまり似てないから」
「うーん? わたし、お父さんにも似てるって言われたことないけど?」
「そっか……」セレンは頭を掻いた。「……ま、いいか」

「なぁ、お前ってこの村で生まれたの?」
「そうだよ。セレン君はどこから来たんだろうね」
「……」
「まだ何も思い出せない? あれから一年以上経つけど」
「分からない。自分が何をしてたのか、どこにいたのか、親がいるのかすら」

「もしかしてユマナからだったりしてね」
「何それ?」
「知らない? この世界カルディアによく似たユマナっていう世界があるっていう説。神代から受け継がれてきた伝承だよ」
「本当にそんなのがあるのか?」
「分からないけど、あるかもしれないね。もしかしたらセレン君はそこから何かをするために、カルディアのアトラスにあるこのアルバザードに来たのかも」

「何かって何?」
「分からないけど……戦争を終わらせるため……とか?」
 ヴェルンサールの悲劇に端を発するユーマの一族と悪魔族との戦争は年々激化する一方だと学校で習ったことがある。
 アルバザードの主な敵国は魔族の国ヴェルシオンやベルガンドだが、これらの国と戦うということは、最悪その背後にいる悪魔との交戦をも意味する。
 つまり、宇宙にいるテームスを始めとする悪魔の一族との戦争に発展する可能性があるということだ。悪魔の力はヴェルシオンなどにいる魔族の比ではない。とても今の人類に対抗できる相手ではない。
「最終的には悪魔テームスを倒してすべての魔族を滅ぼせば戦争は終わるのか……?」
「子供のわたしたちには難しくて分からないけど、そんな英雄が現れてユーマの一族を救ってくれたらなぁとは思うよ」
 リディアはポツリと呟いた。


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