ランジュ – 2014年3月8日 エトアの箱 1/2

seren注:前倒し記事です。

2014年3月8日 エトアの箱

「セレン革命では世界中の生活水準をアレイユのアルバザード並に引き上げる」
「70億人全員を?資源問題はどうするの?よく『牛肉やビールなどの贅沢品を減らせば貧困国の食糧事情が~』とか言うけど十分じゃないし、水産資源等には限度がある。第一エネルギー問題をどうするの?石油資源をアレイユ並に世界中で使ったら、あっという間に枯渇するし、それ以前に短期的に半端ない高騰を招くよ」
「石油は石油製品の生産には使うが、エネルギーとしては使わない。依存からの脱却だ」
「じゃあ原子力?アルバザードは80%が原子力だけど、プレート境界にある凪等では地学的に無理よ。アルバザードだって原発はリスキーだし。まさか太陽熱とか夢見てないよね?」
「原子力はリスキーすぎる。それに核分裂のエネルギー効率も2%程度だしな。理想のエネルギー効率は言うまでもなく100%だ」
「100%……?ありえない。何らかのエネルギーを――」
メルははっとした。
「――まさか」

「そう、反物質。1gで20キロトンのエネルギーになる。TNT2万トン分だな。初期の原爆に匹敵する」
「キロトンってあのね……兵器でも作るつもり?」
「エネルギー利用ならジュールを使うべきだったな」と笑う。「たった1gでアルナ中のエネルギー2、3日分になる。原子力と違って放射線もないしな。対消滅時、全ての質量が光子に変わるのでエネルギー効率は100%というわけだ」
メルは頭痛を抑えるように手をやる。
「それはいいけど、どうやって反物質を作るのよ」

「枢軸原子核研究機構、通称月の雫。レスティリアにあるお馴染みの機関だが、ここがかつて反物質粒子を生成したろ?一から説明しようか。まず加速器を使って粒子を光速くらいまで加速させる。直径8km、円周28kmほどの巨大な円形の装置さ。管の中では磁石がオンオフを繰り返し、粒子を加速させる。2つの粒子を逆方向に衝突させる。そして――」
「私相手に科学の授業?これだから教師って人種は。あのね、月の雫が反物質を作ったのはだいぶ前。なんでそれが実用されてないと思う?安く大量に作り、安全に運用できなければ意味がないからよ」

「月の雫はランジュで多くの反物質を作れるようになったが、現代魔法学を使えばもっと簡単かつ大量に生成できる」
「なんですって……?」
「そもそも反物質は電荷が逆なだけで、それ以外は正物質と何ら変わりない。なら正物質の電荷を魔法でひょいと変えてやればいい」
「ひょいとって……そんなの誰ができるのよ」
「俺」
「は?」
「現代魔法学と科学の知識があって神以上の魔導士ならできるだろ」
「……作れるの?」
「実はもう実験した。西ダマスク病院ってあるだろ?」
「あぁ、院長と息子が死んでニュースになってたとこ?」
「あそこはヒドくてさ。不必要な投薬や検査はもちろん、不要な手術までして利益を上げてる。手術だってさ、例えば心臓でバイパスで済むケースなのに政治的経営的な理由で開胸にしたりさ。指揮したのは院長だ。それと、アマリーシャ病院って覚えてるか?」
「えっと……かなり昔だよね。健康な女性患者に嘘ついて子宮摘出して儲けてたとか」
「そこの院長が西ダマスク院長の息子だ。アマリーシャは潰れたが、今平気な顔で西ダマスクにいるよ」
「へえ。でも院長も息子もこないだの爆発事故で亡くなったし…って…実験…?まさか…」
セレンはにやっと笑う。
「あ、あれの犯人、お兄ちゃんだったの!?」
「法が裁かないなら俺が裁くまでだ。人誅だな。ま、声明を出さずに一件やっても無意味だがな。実験ついでに悪人を退治しただけだ」
「家を反物質で爆破とか……」
「なに、生成したのはほんの千万分の一グラムだ」
「それでキロトンとか物騒な単位を使っていたわけね。ただ、エネルギー利用をするには保存できないと。反物質を生成しても崩壊してしまうんじゃ……」
「逆極性の真空中で陽子を抽出すればいいだろ」
「そしたら正物質も抽出されるじゃない」
「磁場を使って正物質を左に、反物質を右に篩うんだ」

「ときに極性について思うことがあるんだよ。エルトとサール、陽と陰、正物質と反物質。万物は対で成り立っている。なら『世界』の対は?」
「……世界もペアになってるってこと?」
「お前、ユマナの存在って信じるか?」
「オーディンでセレンがやってきた世界という認識ね」
「カルディアとユマナって双子の宇宙じゃないかと思うんだよ。この世界で反物質と呼んでるものがユマナでは正物質と呼ばれてるんじゃないかって思うんだ」
「つまりユマナだと正物質は右に、反物質は左にってこと?」
頷くセレン。
「おかしいでしょ。10歳だった少年セレンが30kgだったとして、その質量の反物質――ユマナでは正物質――がカルディアに来た瞬間、対消滅を起こしてアンシャルが吹き飛ぶよ」
「うん、それでな、異界の門を管理するヴァンガルディや世界を維持するメルティアの能力ってそこなんじゃないかと思うんだ。つまり、現代魔法学的に言えば、魔法で60兆個の細胞――子供だからもっと少ないか――その全てを構成する物質の電荷をひっくり返すってこと」
「極性を反転させて異世界へ帰らせる……?」
「彼らはその理屈を理解してはいないだろうがね。ヒトが理解せずとも食物を消化吸収できるように」

メルはほうっと息をついた。
「閑話休題。生成した反物質をどう保存するの?」
するとセレンは机の引き出しから透明な箱を取り出した。中では小さな球が浮いている。
「試しに1g生成して保存してみた」
「ばっ!」
メルが慌てふためく。「馬鹿じゃないの!?それが落ちたらアルナが消し飛ぶよ!?」
「大丈夫。中は真空だ。これはエトアの箱という。atoeの音節――というかモーラをひっくり返しただけだ。その名の通り重力の魔法がかけてある。上下と左右から逆方向の重力をかけて重心で安定させている。ミソは容器の壁面だ。ここにも魔法がかけてあり、万一球が壁面に接触した際、球の負荷が反転して正物質に戻る。生成と保存の問題は解決したろ?」
メルは引きつった笑みを浮かべる。

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