リディアの月
2012年12月5日
「わぁっ、ここがガヴランスの風洞なんですね!」
コノハが感動した声を上げる。
ミルハは帽子を手で押さえ、セレンの袖を不安げに引く。
「セレンお兄ちゃん……ここって元はただの平地だったんだよね?」
「あぁ。メル408年クリスの月パールの日午後7時31分。隣国のディミニオンに謎の巨人が降り立った。
化物はディミニオン国を滅ぼしながらアルバザードを目指して侵攻。
ここレスティリア県シェラザード市で神々に封印され、その勢いでこの巨大な地下風洞ガヴランスができた」
セレンは高台から風洞を見下ろしていた。一般人は風洞に立ち入ることができない。
「その化物が第一祠徒ユリウス……」
忌々しげに呟くフェアリス。彼女の眼差しは気丈なものだった。
リーザがなびく髪を押さえながら続ける。
「神々はアトラスへの道を無理にこじ開けてユリウスを封印し、神々の世界アルフィへ帰った。
無理をした結果、アルフィと私たちの星アトラスを繋ぐ道は壊れてしまい、408年から人類は神との交信ができないでいる」
メルは「召喚省は神との交信は問題なく継続していると発表したけど、とても信用できませんよね」と補った。
ミーファが言葉を繋ぐ。
「人は第二祠徒の襲来を恐れた。祠徒によりユリウスの封印が解かれれば、神の助けを借りられない人類は今度こそ滅ぶ。
だからこそ人はここガヴランスに対祠徒機関アヴァンシアンを設立した」
「アヴァンシアンの存在こそ、もはや召喚省が神と交信が取れない証左……」
ぽつりとイシュタルが言葉を紡いだ。
そのときだった。
イシュタル「セレン兄様」
ミルハ「セレンお兄ちゃん」
コノハ「セレンさん」
フェアリス「セレンにぃ」
孤児の少女たちが同時にセレンの名を呼んだ。
ガヴランスの向こうに封印されたユリウスに思いを馳せて眺めていたセレンはふと少女らに目をやる。
次に少女たちがあげた声は「リディアちゃんが!」というものだった。
見ると、ずっと大人しくついてきたリディアが急に項垂れ、その額が光っていた。
訝ってセレンがリディアの前髪を掻き分けると、光は消えてしまった。
「……なんだったんだ?」
「急におでこが光ったんです」とコノハ。
「あたしはまたこの子が眠り姫状態になっちまうのかと思ったよ」フェアリスが胸を撫で下ろす。
「ミルハ……心配だったよ」
「今の光は……」イシュタルが目を細める。
「さて」膝を折っていたリーザがゆっくり立ち上がる。「社会科見学はこれくらいにしましょうか」
ミーファは去り際にガヴランスを指さし、「これがランヴォルトの爪痕よ……」と静かに述べた。
1992年12月19日
この日セレンは一人で寺子屋にいた。
リーザは数日前から故郷に帰っており、寺子屋は休みになっていた。
朝6時。セレンはベッドの中でぐっすり寝ていた。その安眠を妨げたのは木の燃える匂いだった。
火事かと思ってベッドから起きた。村の大人たちが水をかけるだろうから、手伝いに行こうと思った。
寝間着のまま行こうと思ったが、外が寒いので手早く着替えることにした。
部屋を出る際、ふとベッド脇の剣に目が行った。
なぜかは分からない。虫の知らせというやつだろう。セレンは剣を手に取ると、ソードベルトを巻いて腰に差した。
この日は雪も降っておらず、地面は乾いていた。
空を見上げるとセレンは異変に気付いた。
村の入口から中央広場にかけて黒い煙が立ち込めている。一軒ではない。様々な地点から黒煙が立ち上っていた。
耳を澄ませると中央広場のほうから怒号や悲鳴が聞こえる。
――嫌な予感がした。
セレンは中央広場に駆け寄った。そしてそこで思わぬものを見てしまった。
眼前に広がっていたのは燃える民家と逃げ惑う村人、そして魔物の群れだった。
ある子供は逃げ惑い、ある女は魔法で応戦し、ある男は武器を手に魔物と戦っていた。
「なんだこれは……一体」
セレンは呆然と立ち尽くした。
一匹のヴェイガンがセレンを見つけ、ダガーを持って襲ってきた。
セレンは思わず剣を抜き、ダガーを弾いた。
「生意気なやつだ」
せむし男はそれでも子供のセレンより身長があり、ダガーも血に濡れていた。
ヴェイガンは再びセレンに襲いかかる。セレンは剣でダガーをさばくので手一杯だった。
「小僧!」
ヴェイガンのダガーがセレンの腕を掠める。ダガーはユノの壁を貫き、ズキっという痛みとともに血が滲む。
「くく、覚悟しろ、小僧。この村の子供は皆殺しだ」
ヴェイガンがダガーを振り上げる。
そのときヴェイガンの目がカッと見開き、そのまま前方に倒れた。背中には斧が深々と突き刺さっていた。
「大丈夫か、セレン!?」
オヴィだった。セレンに気付いて遠方から斧を投擲したらしい。
駆け寄ってくるオヴィ。
「ありがとな。助かったよ」
「いいってことよ。それより皆は?」
「今日は寺子屋が休みだからそれぞれの家だろ。この惨状じゃ安否は分からない……」
「とりあえず中央広場はもう駄目だ。魔物に占拠されてる。寺子屋まで一旦後退しようぜ」
オヴィと寺子屋まで走った。が、既にここにも魔物の手が伸びていた。
寺子屋には火が付けられ、魔物が中を荒らしていた。
オヴィは物陰にセレンを引っ張って隠れる。
「くそ、ここも駄目だ。おいセレン、どうする!?」
「戦力を分散させるのは良くないな。みな一箇所に集まったほうがいい。中央広場も寺子屋もダメとなると、後は村の外れの木立か」
「川の近くだな」
「あそこなら木があってゲリラ戦しやすい。大人たちは今中央広場から徐々に後退してる。非戦闘員には川向うに避難するように伝え、大人たちには木立に集まって応戦するよう呼びかけよう」
迅速かつ適切な判断だった。オヴィは頷いた。
「ところでオヴィ、リディアを見てないか?」
「見てねぇ。だがあいつの家は入り口から遠いし川向うだからまだ安全なはずだ。なんだお前、あいつと仲良かったのか?」
「まぁな。俺を最初に拾ってくれた子だし」
「よし、じゃあ俺が中央広場に戻って大人子供を木立に先導する。お前はリディアを守れ」
「分かった」
セレンは木立へ急いだ。川を飛ぶように渡ると、リディアの家へ急ぐ。
だが川を越えた先には魔物の群れがいた。
リディアの家の扉は開いており、中からは男性の怒号がした。
セレンは剣を握り締め、入り口にいたヴェイガンに後ろから突撃し、一匹を奇襲で刺し殺した。
ヴェイガンが断末魔をあげると、周りの魔物がセレンに気付いた。
「リディア! 大丈夫か!?」
魔物を無視してセレンは家の中に飛び込んだ。
「セレン君!?」
中ではカイラのほかに男性と女性とリディアがいた。女性はナルムだ。
男性はカイラの棍棒を剣で弾き、腹部に剣を刺し込んだ。カイラは雄叫びを上げて床に沈んだ。
「君はっ!?」
男性が荒い息で尋ねてくる。
「セレンです! リディアの友達です!」
「そうか。私はアムル。リディアの父だ。久方ぶりに家に帰ってきたと思ったら突然の魔物の襲撃だ」
小柄なベルヴィドがリディアに襲いかかる。
リディアは思わず身を縮めた。
「危ない!」
ナルムはとっさに強力なサーゼの魔法をかけ、ベルヴィドを吹き飛ばした。衝撃で魔物は動かなくなった。
アムルとナムルの強さには驚かされた。この村の大人たちより遥かに強い。
カイラやベルヴィドはそう簡単に大人といえど倒せる相手ではない。この二人がいれば魔物を撃退できる。
「こいつら一体何なんですか。一体何が目的で……」
しかしアムルとナルムは硬い表情でリディアを見つめるだけだった。
「寺子屋で習いました。今アルバザードは魔族の国ヴェルシオンと戦争中だって。でも魔族がこんな辺境の小さな村に攻めてくるなんて……」
ナルムが首を振る。「違うの、セレン君。実はね……」
そのときだった。
黒い影がぬぅっと現れたかと思うと、リディアを中空に持ち上げた。
「きゃっ!」
「リディア!?」
アムルとナルムが血相を変える。リディアは宙に持ち上げられていた。
黒い影は果たして魔物だった。
「カカカ……ようやく見つけたぞ。この娘か」
「リディアを放しなさい!」ナルムは渾身の力でエーズを撃った。しかし魔物は余った手で氷柱を蒸発させた。
続いてアムルが斬りかかる。黒い影はすっと身をかわして剣戟を避けた。
「くっ、流石に使徒2人も相手にするのはいささか分が悪いようじゃの」
白髭をたたえた魔族は苦々しい顔をした。
「お前は誰だ!? この村に何をしにきた!?」
叫ぶセレン。魔物は皮肉げに笑った。
「わしはファルアモンのバイアス。悪いがこの村の子供たちには皆死んでもらう」
「貴様ら、ヴェルシオンの者ではないな」アムルが剣を構える。「やはり奴らの手先か……」
「おっと、動くでないぞ。剣とロッドを捨てよ。さもなくばこの娘はこの場で殺す」
「くっ……」
アムルとナルムは武器を捨てた。バイアスは不敵な笑みを浮かべると、二人に火の魔法を放った。
「お父さんっ! お母さんっ!」
リディアがバイアスの腕の中で叫ぶ。
「セレン君! 君だけでも逃げるんだ!」
アムルは炎の中で崩れた。
「リディア……あなたを守れなくてごめんなさい」
ナルムは泣きながら炎の中に消えた。
「お父さんっ! お母さんっ! いやっ、死んじゃいやああああ!!!!」
悲痛なリディアの叫びにセレンは動けなくなっていた。
バイアスはリディアを抱えたまま外に出る。カイラとベルヴィドが寄ってきた。
「そこの小僧の始末をせい」
「へぃ」
カイラが棍棒を持ってやってくる。
「セレン君……逃げて」
リディアが震える声で呟く。
「……かよ」
「あん、聞こえねぇなぁ? おい、小僧、俺様にビビって声も出ねぇか」
カイラが笑う。
その刹那、セレンの額が光を発した。
「リディアを置いて逃げられるものかよ!」
突如セレンの体から大量のユノが噴出された。
「なっ!?」
突然のことにカイラが慌てた瞬間、セレンは光の早さで剣を抜き、カイラを真横に斬り捨てた。
「バカな……。なんだこのガキは!」
ベルヴィドが声をあげ、セレンに突っ込んでくる。
セレンは静かに右手を伸ばすと、強力なユノ波を照射した。
ベルヴィドは一瞬のして光の中に消えた。
「小僧……その額の紋章……もしや」
バイアスは目を細め、セレンに強力な火の魔法を撃った。
だがセレンは炎に身を包まれながらも、溢れ出るユノでそれを全て防ぎきった。
「な……わしの魔法を正面からまともに食らっておいて無傷だと……。バカな!?」
セレンは剣を持った腕をくの字に曲げると、ブワッと横薙ぎにした。
横薙ぎにした剣の軌跡から刀身状のユノ波が出て、バイアスの胸を斬り裂いた。
「ぐああっ!! ば、ばかなっ!?」
セレンのユノ波はバイアスのユノの壁を突き破り、胸から血が溢れでた。
バイアスは思わずリディアを手放し、うずくまった。
「く……こんな小僧にしてやられるとは……。仕方ない、今回は出直そう。
だが小娘、貴様のことは諦めん。絶対にこのわしの手で始末してやる」
憎々しげにリディアを睨みつけると、バイアスは空を飛んで逃げていった。
「セレン君! 大丈夫!?」
リディアはセレンに駆け寄って抱きついた。
その瞬間、セレンの額から光が消え、セレンは意識を失った。
次に目覚めたとき、セレンは寺子屋のベッドにいた。
「あれ……俺は」
「あ、セレン君、気付いた?」
上半身を起こすと、そこにはリディアがいた。どうやら横にいてくれたようだ。
「大丈夫?」
「あぁ……。それより魔物は?」
「さっきのバイアスっていうのがリーダーだったらしくて、一緒に引き上げていったよ。
木立で戦っていたコッペルおじさんたちがセレン君をここまで運んでくれたの」
「そうか……」
セレンは部屋を見回す。だがところどころ柱は燃え、壁は穴が空き、今にも崩れそうだった。
「この寺子屋はもうダメそうだな。リーザ先生、悲しむだろうな」
「私の家もボロボロにされちゃった。村で被害を受けなかったところはほとんどないよ」
「オヴィは?」
「無事。でも、寺子屋のみんなは何人か……」
「……そうか。あの、リディア……。その……残念だったな、両親のこと」
リディアは下を向いた。そして顔を真っ赤にして泣きだした。
ひとしきり泣いた後、リディアはセレンの手を握った。
「ありがとう。あのときセレン君が助けてくれなかったら私も殺されてた」
「せめてリディアだけでも無事で良かった」
「セレン君、強いんだね」
セレンはリディアの頭をぽんぽんと撫でた。
「でも、お前の親のことは守ってやれなかった。……ごめん」
リディアは目に涙を溜めたまま必死の笑顔を作り、首を静かに振った。
透明な雪のようなリディアの涙が宙に舞った。
1992年12月20日
「姫、サプリの村が襲撃されました」
サプリの村襲撃の報を受け、リーザは愕然とした。だが持ち前の度量ですぐに冷静さを取り戻した。
「ユーア、それで住民の安否は?」
「死者多数。建物もかなり損壊しました。ただ、リディアとセレンは無事です」
「そう……」
「その代わり、アムルとナルムが戦死しました」
「!! ……そう、残念ね。リディアを守って逝ったのね」
「いえ、それが守ったのはセレンのようです。額にダルハを浮かべて、とのことです」
「ダルハ……。じゃあやっぱりあの子は本物の……」
「――の、ようですね」
「それにしても私の留守を狙うとは、やはり先のテューレンスへの侵攻は囮だったのね」
「かといってあの情勢では姫が帰国しないわけにはいきませんでした。また、戦力的に私もルティアを離れるわけにはいきませんでした。
なお、実際に侵攻を行ったのはヴェルシオン系の魔族ですが、裏で糸を引いていたのは恐らくソーンの残党でしょう」
「過激派の報復、というわけね。いいわ、そんなに死にたいならこの手でアヴェランティスを渡らせてあげる」
リーザはランプの火を手で揉み消した。
1992年12月23日
サプリの村は損傷が激しかった。
リディアとオヴィの家と寺子屋はもはや使い物にならなくなったため、リーザはセレンとリディアとオヴィを連れ、アシェルフィへと引っ越した。
オヴィは元々親がおらず、隣家の住民に見守られながら一人で暮らしていた。
リディアは親をなくし、セレンは過去の記憶すら持たない身寄りのない子だ。
リーザは3人を養育することに決め、アシェルフィの一軒家を借りた。
アシェルフィはサプリから東に行った街だ。
街の中央の噴水からさらに東に行ったところにリーザは家を借りた。
リーザの寺子屋は廃止され、リーザはアシェルフィの小学校で教師として働くこととなった。
サプリの村の子供たちはアシェルフィの学校に通うことになった。
原文
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