ランジュ – 2011年9月20日

※nias注:旧版からの移植記事です。太字は変更箇所。

2011年9月20日

「ねえさん、来てたんだ」
風花院の一室に足を踏み入れたセレンは嬉しそうな顔で茶色い髪の女性に声をかけた。
「久しぶりね、セレン。研究は順調?」
このミーファという女性もまたメル同様、数少ない現代魔法学の理解者だった。
もともとリーザと一緒に孤児院の手伝いをしており、セレンより5つ年上だ。出会ったときはまだ15歳という若さだった。
セレンはミーファを姉として慕うようになった。メルがセレンを兄として慕うように。しかし不思議なことにメルはミーファのことをねえさんとは呼ばず、ミーファ先生としか呼ばない。
「リディアちゃんはもうここに慣れたかい?」
セレンはリーザには丁寧語で話すが、ミーファには姉相手のように話す。彼女はリーザよりも活発でハキハキしている。
ミーファは緑の右目と青の左目でセレンを見つめると、「リディアちゃんか……まるで眠り姫のようね」と首を振った。「一日中ぼーっとしてる。話しかけても心ここにあらずって感じよ」
「池で初めて会ったときと同じか……心に傷でも負ってるのかな、やっぱそこは親に捨てられたわけだし」
「捨てられたとは限らないわ」
「え?」
セレンは首を傾げる。
「……なんでもない。リーザ先生がそんな風に謎めいた言葉を言っていただけ」
「そっか……」
「あと、私の印象としては傷ついているというよりも……」
「――?」
「傷つくための心さえ失ってしまっているように見えるのよね」
「つまり感情の受容体がないってこと? まるで人形のように」
「人形とは少し違う。命は宿っているもの。でも精神が眠ってしまっているように見える」
「それで眠り姫か……」
セレンは腕を組んだ。

「他の子たちも話しかけてみたんだけど、反応がないから最近はそっとしておいているみたい」
「皆とうまくいってないってことか」
「まぁ悪い関係ってほどではないわ」
ミーファはセレンに近寄った。肩を寄せる。
「セレンだって最初の頃は暗い子だったよ。それどころか自己中で我慢知らずで手の付けられない子だった」
「ねえさんと先生のおかげで変われたんだ。特にねえさんが……」
ねえさんが僕を厳しく優しく包み込んでくれたから歪まないで済んだんだ――そう言おうと思ったが、恥ずかしくて言えなかった。
と同時に、今度は自分がリディアにそう接してやらなければなと思った。

「ねぇ、セレンってこんなに背高かったっけ?」
「ん?」
「ほら、昔は私より小っちゃくて」
「ねえさん、いつの話だよ」セレンは苦笑した。「ねえさんなんか簡単に抱っこできる」
「うそ」
「嘘なもんか」
セレンはふっと笑うとミーファの脇と膕に手を当て、軽々とお姫様抱っこした。ミーファの柔らかで甘い香りがする。
「わぉ! 細身の学者のくせにずいぶんな腕力じゃない」
ミーファを床に降ろすと、「僕だって男なんだぜ」と囁いた。しかしミーファはあははと笑うと、「なっまいきー!」と返した。セレンはそんな彼女を愛おしそうに見つめた。

その夜、自宅に帰ったセレンは机からノートを取り出すと、ペンで日記を書いた。時代遅れも甚だしいアナログ作業だ。
「9月20日。久々にねえさんに会えた。
相変わらず綺麗だった。良い匂いがした。優しい声だった。
でも俺のことはまだまだ小さい弟みたいに思っているようだ。
……うん、それでいい。それに、そうでなければならない。
ねえさんが我慢知らずで根性なしで自己中なクズの俺を変えてくれた。生来クズだからまだマシなクズにしかなれなかったけど、それでも大きく道を踏み外さなかったのはねえさんのおかげだ。
ねえさんは感謝の対象だ。それ以外であってはならないし、俺なんか見てもくれないだろう。
ねえさんは綺麗だ。
ねえさんは優しい。そして厳しい。
ねえさん、ねえさん……俺はねえさんのことが……」

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