何語でコンテンツを残すか

2015/5/2 seren arbazard

アルカは世界一作りこまれた人工言語を目指している。で、仮にそれが作れたとして、歴史に残らないと、というか現代人と未来人にその存在を認知されないと、誰もその価値がわからないという問題がある。2015年現在アルカの辞書のdiaklelは幻日辞典という名で、日本語とアルカでのみ書かれている。しかし今後日本の人口が減っていくことを考えると、やはり国際語の英語で情報を残しておくべきかな、とも思う。ただ英語だってかつてのラテン語やフランス語のように凋落する日が来るかもしれず、というか今までの人類の歴史を見ている限り恐らくそうなるはずで、記述言語自体が古くなって使えなくなる可能性もある。そうなると未来に残らない。それに英語が仮に永久に国際語だとしても英語も自然言語なので当然100-200年経てば今の英語は古文になってしまう。それは日本語も同じだ。漱石の明治時代の原文ですら現代人には古文に思える。
英語の支配がいつまで続くのかわからないし、続いたとしても今の英語は未来では古くて人々は読めなくなっている可能性が高い。となると、どうするべきかなぁと考えたところ、人工言語は作りたては変化が大きいがある程度作り切ると自然言語より変化が少なくなるという法則を活かして、では人工言語たるアルカで書いておけば良いのではないかと思った。しかし全文アルカだと、それは凄いことなのだろうけど誰も読めないわけで、人々に認知されなければ歴史には残らない。というわけで、辞書の一部、たとえば語義などは日本語や英語で残しつつ、かつ宣伝は日本語や英語を使ってやればいいという結論に至った。
もちろん語義が日本語や英語である以上、語義に使った自然言語の方の意味が変わるリスクがある。
たとえば「タブレット」は2000年代は絵を描くのに使うガジェットという認識だったが、2015年現在はもはや大きめのスマホ的な意味で使われている。leizenという語の語義(訳語)を「タブレット」とした場合、未来で「タブレット」がどういう意味で使われるかわからないので、誤解される恐れがある。
そこで考えたのが、有形な名詞ならなるべく写真などの画像を載せつつ、かつ語釈でそれがどういうものか伝えればいいという結論になった。

そういうわけでdiaklelはアルカで書きつつも訳語は日本語・英語で残しておいて、誤解がないようアルカで語釈を書いておく。
日本語、英語は変化するから語釈が日本語・英語だと語釈も未来で誤解されるので、変化のない人工言語で語釈を書くべきである。語釈にかぎらず、訳語以外の情報はすべて人工言語で書いたほうが安心だ。それにそうしたほうがその人工言語のコーパスも増えてよい。

脱線するが、ラテン語が長く国際語だったのは、権威とかそういうのはもちろんあるとして、ラテン語が死語だったことも原因ではないか。死語のメリットはもう変わらないということである。
つまり歴史に残すのに便利だというわけである。
英語のように生きた言語はすぐ変化するから、情報の保存という観点で考えると、ラテン語が長く国際語だったのは分かる気がする。

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