2015/10/7 seren arbazard
『ジーニアス和英辞典第3版』をアルカに訳していこうという作業をしていた私は、p1ですぐ手が止まってしまった。「アーモンド」の用例として「アーモンドチョコレート」(an almond chocolate)というのが載っていた。和英というのは日本語話者が英語で言いたいと思うであろうことを載せた本であるか、紙の辞書では紙面の都合があるため、日本語話者が引きそうにないと思われるものは捨象される。
ここで私はふと考えた。「アーモンドって何と組み合わせて食べるものなのかなぁ」と。
日本で34年過ごしてきた私の経験では、アーモンドはくるみやカシューナッツやマカダミアナッツとのアソート木の実として袋詰で売られていたり、給食にも出たアーモンドフィッシュと言って小魚とアーモンドを混ぜた小袋、そしてコンビニなどでも頻繁に見かけるアーモンドチョコレート、この3つくらいしか日常生活でアーモンドを頻繁に見ることはない。
多くの日本人にとっても、アソート木の実やアーモンドフィッシュは馴染み深いだろう。それでもこの中で最も見かけるのはやはりスーパーやコンビニで見かけるアーモンドチョコレートであろうと思う。おそらくジーニアス和英の編集者や執筆者も同じように検討して、アーモンドチョコレートのみを用例にしたのだろう。
さて、ここからが人工言語学者としての疑問。言語学者にはない視点。
つまり、「あれ?アルカにおいてもアーモンドはチョコレートと組み合わせるのが最もポピュラーで、辞書に載せるべきなのか」と。アルカの場合は、カルディア特にアルバザードの文化や風土が背景にある。
日本人にとってアーモンドチョコレートが用例になるほどだったとしても、もしアルバザードにおいてアーモンドフィッシュのほうがよく見られるのなら、dkにおいてはアーモンドチョコレートではなくアーモンドフィッシュを用例として立てたほうがいいのではないかと思ったのだ。というのもdkはカルディアを反映しているので、つまり迂闊にdkにアーモンドチョコレートを載せるとカルディアにもアーモンドチョコレートがあると誤解されるので。
これは一部の工学言語以外のすべての人工言語においても重要な疑問ではなかろうか。そしてもしアーモンドチョコレートがアルバザードでも最も一般的としても、果たしてアーモンドチョコレートをアルカに訳してdkに載せて良いのだろうかというさらなる疑問が起こった。つまり、本当にアルバザードにはアーモンドチョコレートがあるのかということである。
サイコロカレンダーのように、その世界or国に無いとして、捨象するか、最低でも[ユマナ]タグを付けるべきものではないか。大らかな人の目から見ればアーモンドチョコレートはどこにでもあると考えるかもしれない。では本当にアーモンドチョコレートはどの世界にも当たり前にあるものだろうか。それについて私は考えた。
まず、アーモンドはバラ科の高木で、西アジア原産である。BC8000頃にはギリシャで食べられており、BC3000頃には地中海東部で栽培されていた。ところがアーモンドの野生種はアミグダリンが含まれ、これが体内でシアン系毒物になるため、有毒である。つまり、本来アーモンドが食用として栽培されていない可能性がある。我々の世界では、突然変異として無毒なアーモンドが人に発見され、その種が後に栽培されたため、たまたまアーモンドはある。しかし、本来有毒なアーモンドがどの世界でも栽培されているかは怪しい。この世界では上述の通りBC8000頃ギリシャで食べられており、それは考古学だけでなく、言語学的にも語源的な裏付けがあり、almondを遡るとギリシャ語のαμυγδαλήまでは特定可能であり、これは考古学上の推論と合致する。
一方チョコレートは17世紀のナワトル語のxocoatlまで遡れる。xococは苦いという意味で、atlは飲み物という意味で、ネイティブアメリカンの間では薬用などとして飲食されていた。少なくともこの時点では現在の我々が想像する甘いお菓子ではなかった。チョコレートの原料はカカオであり、カカオは中南米原産のアオギリ科の高木である。
アーモンドを持つヨーロッパ人がカカオに出会ったのは16世紀のことである。以上から、アーモンドチョコレートができるには、まず本来有毒なアーモンドの中から無毒なものを栽培し、かつカカオがあった新大陸に行き、さらにそこから甘いチョコレートを製造し、かつそれらを組み合わせなければならない。BC8000のアーモンドから16世紀以降のチョコレート、この要素が集まるまで9500年ほど掛かっている。21世紀の日本人がコンビニで当たり前にアーモンドチョコレートを買い、アーモンドとの組み合わせと言ったらフィッシュやナッツよりチョコレートだなと判定し、ジーニアス和英辞典第3版にアーモンドチョコレートという用例が立つまでに実に1万年の時間がかかっているのである。こうした歴史的な事情を勘案すれば、カルディアないしアルバザードにおけるアルカにおいて、その辞書であるdkにアーモンドチョコレートを載せるのは当然のことなのだろうか?と疑問に思ったわけである。
さて、人工言語作者諸兄に問う。言語というのは積み重ねてきた歴史を反映しているので、あなたの人工言語に日本語や英語に当たり前にあるものを何も考えずに取り入れるのは、果たして妥当だろうか、辻褄が合うだろうか?言語というのは世界の上に乗っている。世界は文化、風土、歴史からなる。世界を欠く人工言語は一部の工学言語にしか無い。それ以外の人工言語を作る人工言語作者は、一つの語、一つの項目、一つの用例を書くにも、検討が必要で、このアーモンドチョコレートが教えてくれる教訓を常に意識すべきではないだろうか。
ちなみにアーモンドチョコレートのもう一つの深さを言うと、この語はアーモンドについてギリシャ語から英語にまで引き継がれ、日本語にも外来語として入り、チョコレートについてはナワトル語から英語を経て日本語に入っている。言葉の歴史の複雑さも眼を見張るべきである。
RELはもちろんのことNATにおいても、いかに一つの人工言語を作るだけでは不十分かということを痛感させられる。人工言語を作るということは世界を作ることなのだなということが身に沁みた。