人工言語事典の拡張とその意義

2015/11/8 seren arbazard

REAの不可能性やRELやNATの中途半端さ、不完全性に気づき、SHAという分類素性を見つけた後、私は00年代に始め、2011にまた再考してそれから4年停滞させていた人工言語事典を、人工言語学の一環として研究することにした。
人工言語学は言語学の一種だが、人工言語にしか見られない事象も多い。言語学辞典だけでは不十分である。人工言語にしかない事象や、言語学にあっても人工言語学的には扱いや振る舞いが異なる概念について収録しようと考えた。

どういうことを収録するか、例を挙げる。1991以降に作られた人工言語の多くは「ソノシート」にあたる言葉を持たない。同じく2010年代に作られた人工言語の語彙に「MD」が入ることは少ない。これは、その人工言語の作者の生きた時代、作者の生活に身近でなく、造語する必要がなかったか、単に作者がそのものを知らなかったかが理由である。
作者の生きた時代まで生き残っていれば、そのものがどのくらい古く作られたものであっても語彙に入る確率は高い。例えば「振り子時計」は1654にオランダでできたが、これは古い洋風な家には残っているし、私の小手指の生家にもあったので、2015現在の人工言語の語彙に入る可能性は十分にある。一方「八分儀」は1730にイギリスでできたので振り子時計より新しいにもかかわらず、その後の技術の進化とともに不要になり、現代ではほぼ全く使われていない。そのため、八分儀を持たない現在の人工言語は多いと思われるし、実際そうである。「計算尺」も同様で、電卓が普及する前は人工言語をやるような知的クラスタの家庭にはもしかしたらあったかもしれないし、家になかったとしてもその存在はもちろん知っていて、その利便性も理解していたはずで、昔の人工言語の語彙に入った可能性が高い。しかし計算尺は電卓により急速に絶滅していったので、昨今の中高生でこれを知るものは少なく、自然と彼らの人工言語に採用されない概念となる。
アルカは異世界における架空の歴史についても考察していたので、2013より前の時点で計算尺は造語されていたが、このような人工言語は少ない。人工言語の語彙を見ていると、だいたいいつぐらいの時代にその人工言語が作られたかがわかる。「MD」のように極端に短い間に流行って廃れたものなどは特にその人工言語の年代を測定するのに役立つ。また、これらの語彙はその人工言語がどのくらいの長きに渡って作られてきたかを推定するにも役立つ。つまり人工言語の語彙は考古学のように、特定の人工言語の作成年代や使用年代を測定するという目的で使うことができる。
こういう年代測定は古代から現代まで続く自然言語には使えない。自然言語は歴史の地層が欠けることなく続いている。ある時期の語彙のみ作られるという現象は起きない。OEDや日本国語大辞典を読めばここ1000年以上の歴史が欠けることなく書いてあるので、語彙を見ても英語や日本語がいつ制作されたかわからない(というかこれらは自然言語なので「作られた時期」という概念自体がナンセンス)。一方、数年~数十年しか製作期間を持たない人工言語については、語彙を見ることで製作年代や使用年代が測定できる。こういったことは自然言語にはなく人工言語にしかない。そのため、人工言語学にしか論じられない技術ないし概念がある。そこに自然言語学と人工言語学の違いがあり、人工言語学のレーゾンデートルがある。

と、このような人工言語特有の現象ないし「言語学的視点では捉えられない人工言語的な概念」を集めたものが人工言語事典である。人工言語事典は人工言語学の一環として研究される。

ここ一年、niasとやりとりをし、自分のやるべきことが何か分からず悩み続けた。いろいろ案を出したものの、どれも意義を感じられず、潰えた。
REAのように不可能と分かったり、RELやNATのように中途半端と分かって諦めたものもある。この事典が自分が生き延びた意義になってくれれば良いが。

(追記)
ちなみに、今当たり前に存在し造語される語が、未来ではその存在すら知られず造語されない可能性がある。スマホの登場により腕時計は徐々にアンティークになっていっている。30年後、腕時計が「当然造語すべき語」かというと、少し怪しい。アナログ時計も怪しく、未来ではデジタルのみが一般人の間では生き残っている可能性がある。日本人は幼い子供以外はほぼ必ずアナログ時計が読めるが、未来では読めないほうが普通かもしれない。腕時計もまた時代指標の一つである。

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