オヴィの月
1992年1月23日
リーザの寺子屋。暖炉の前でリディアは静かに呟いた。
「セレン君ってどこから来たのかな?」
セレンはここ半年でアルバザード語を順調に習得してきている。リディアの言うことが理解できたようだ。だがその答えは「分からない」だった。
すると椅子に座っていたリーザがくすくすしながら喋りだした。
「セレン君にアルバザード語を教えてて思ったんだけど、単語の最後に子音が来ると聞き取りづらいようね。例えばuniは聞き取れてもketは聞き取れないことがあったわね。あと、lとrの区別も苦手みたい」
リディアは少し考え、「凪語みたいだね」と言った。リーザは「そうねぇ」と言いながらくすくす笑った。
「顔もどっちかというと凪人風な感じがするよね。アルバザード人の血も入ってそうだけど」セレンを覗き込むリディア。
セレンは「分からない」と再度呟いて下を向いた。
2012年1月23日
大学の池に呼び出されて来てみたら、橋の上にメルが立っていた。
「よぅ、どうした」と言いながらセレンはメルに近付く。珍しく神妙な顔つきをしている。
メルは橋の手すりに手を置くと、水面を見て、それからセレンに真剣な眼差しを向けた。
「ねぇ、私のことどう思ってる?」
「なんだよいきなり」セレンは目を左上に動かすと、「そうだな、可愛い妹みたいな感じか」と答えた。
「妹……か」表情が暗くなる。
「うん?」
「あのさ……。私の気持ち、気付いてるでしょ?」
単刀直入だった。セレンは一瞬ぴくっとしたが、落ち着いた声で「まぁ、なんとなく」と返した。
「いつから?」
「――気付いてたかって? 好かれてるのは最初から気付いていたよ」
「異性として好かれてるということにはいつ気付いたの?」
「いつごろだろうなぁ。かなりお前が小さいころかもしれないし、ある程度大きくなってからかもしれないし」
池に目をやる。
「もう私……大人なんだよ。そろそろ妹やめてもよくない?」
「……かもしれないな」
「ベンチ……」奥のほうのベンチを指さす。「座ろうか」
二人はベンチに座った。
「お兄ちゃんは好きな女はいないの?」
「好きというか……」
「あぁ、ミーファ先生や先生に憧れてるのは知ってるから」
「そ……そうか」
「でもそれはあくまで憧れでしょ?」
「うん、まあ。じゃあ好きな人はいないと言っていいかな」
メルは意を決したようにセレンを見つめた。
「私じゃダメかな……?」
「……いや、そんなことはないけど」
「何か問題ある?」
「何も……ないな」
「女として見れる?」
「多分大丈夫だと思う。でも今までずっと妹だったから、急には無理かもしれない」
「じゃあ、ゆっくり時間をかけて関係を変えていこう?」
メルはセレンの手を握った。セレンはその手を握り返した。
「そうだな。いつかこうなるんじゃないかとはずっと思っていたし、そろそろいい時期かもしれない」
「ありがとう。……それにしても、なんだかあっさり決まっちゃったね」
「だな……。まぁそんなもんなんじゃないか。あまりに俺たちは親しすぎてさ」
「そういえばお兄ちゃんって、私が大人になるのを待ってて女を作らなかったの?」
「別にそういうわけじゃないけどな」手に顎を載せる。
「やっぱりミーファ先生のことが頭を離れなかったから?」
「う……」渋い顔になる。「それもある。でもそれだけじゃないよ。女性に囲まれて育ったから、あんまり積極的に彼女を作ろうと思わなかっただけ。女が身近にいなかったらもっとガツガツしてたと思う。この世界線の俺は常に満たされて幸せだったよ」
「そっか……。ともあれ、私と付き合うってことでいいのね?」
「あぁ、そうだな。じゃあ付き合おうか」
「ならちゃんと言葉に出して。私はお兄ちゃんのことが好き。お兄ちゃんは?」
セレンはゆっくり頷くと、「すきだよ」と答えた。
メルは脚を伸ばすと嬉しそうな顔で「あぁ、良かった。これでもだいぶ緊張してたのよ」と言った。
「そうなのか?」
「そりゃそうよ。断られる理由はないって知っていたけど、今までの関係を変えるわけだから緊張はしてた」
「俺も俺でいつ言われるだろうかとはずっと思ってたよ。けど急に言われて急にOKして、なんか拍子抜けな気分だ」
「……ねぇ、子供はどうする?」
「気が早いな。まぁ自然な流れに任せればいいと思うよ」
「ふふ、そうね」
「というか、お前と子供を作ることになるのか。なんか妹として一緒に育ってきたから不思議な感じがするな」
「そうだねー」とメルは朗らかに笑った。「私もヘンな感じ。でもイヤじゃないよ。むしろ嬉しいかも」
「そっか。で、お前は幸せなのか?」
メルはセレンの肩に頭を載せた。
「うん、幸せだよ。お兄ちゃんに会えて良かった」
「そりゃ嬉しいな。俺でも人に受け入れてもらえるんだ」セレンは静かに呟いた。
原文
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