| メルの月 
1992年6月9日
 リーザの寺子屋。休み時間の間、女子たちがセレンを見てきゃっきゃと笑っていた。
 セレンは自分が笑われているのかと思って不機嫌な顔でいた。
 するとリディアが近寄ってきて、「あの子たち、セレン君のことが好きなんだって。かっこいいんだって」と告げた。
 それを聞いたセレンはますます不機嫌そうな顔をしてそっぽを向いた。
 
 
 
2012年6月13日
 
 「お兄ちゃん、これ……」と呟いてメルが差し出したのは妊娠検査薬だった。結果は陽性。
 セレンは目を開き、「あのときのか?」と聞いた。
 「うん。5月3日以来してないから、あのときの……」
 「そうか……」
 「どう思う?」
 「え、ふつうに嬉しいよ」
 
 その刹那、セレンの部屋の入口にリディアが立っているのに気付いた。
 眠れる姫君だったはずの彼女はあどけない顔の中に冷たい表情を宿していた。
 「私が……許さない」呟くリディア。
 「……え?」困惑するメル。
 
 リディアはセレンに手をかざすと、「この子を産むことは許さない」と静かに述べた。「それにこの子はセレン君の研究の邪魔になる。あなたは研究に人生を捧げるべきだよ」
 「何を言ってるんだい、リディアちゃん……?」
 「それに貧乏研究者のセレン君に子供を養う力はない」
 そう言われるとセレンは黙った。
 
 「この子は貴方を救わない。貴方には他にやるべきことがある。この子は諦めて」
 リディアは氷のように言い放った。
 メルはセレンとリディアを交互に見た。リディアはメルを見ると、「どう思う?」と水を向けた。
 メルは自信なさげに「そりゃ……まだお兄ちゃんがこんな状況で子供なんて……無理かなって。でも、私は産みたいとも思うし。どうすればいいのか分からない」と答えた。
 
 そしてメルはセレンを見やると、「お兄ちゃんが決めて」と言った。リディアもまた「セレン君が決めて」と言った。
 セレンはそれからしばらく悩み続け、悩みに悩んだ末、「堕ろそう……。俺がこの子を殺す」と言った。
 メルは泣きながら頷いた。
 
 リディアは「じゃあ、産まれてこれなかったけど命はしっかり宿したこの子に、名前を付けてあげないと」と言った。
 するとセレンはしばらく考えたのち、「リディア……と名付けようと思う」と答えた。
 メルは驚いた顔で「どうして?」と尋ねた。するとセレンは首を傾げながら、「なんとなく……前世でそんな約束をした覚えがあるんだ」
 「約束?」
 「あぁ。前世で愛した人と。もし自分以外の誰かを愛して子供ができ、俺に命名権が与えられた場合は、自分の名を名付けろと。その彼女がそう俺に言って、俺は約束した。――そんな気がする」
 「そう……」メルは深く頷いた。「じゃあこの子の名前はリディア。産まれなかった私の子……」
 
 「すまない、メル……」
 「……いいの。でも、お兄ちゃんはきっと父親になんかなれない。私、今回のことでそう確信した」
 「俺もしたよ……」
 すると堕胎を言い出したリディアまでもが「私もそう思う」と感想を口にした。
 
 原文
 
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