ランジュ – 2013年6月27日 2/3

だが2005年12月19日にエスタは突如セレンを捨てて出て行った。
セレンは最初事件に巻き込まれたのかと思って警察に駆け込んだが、やがて弁護士を通して離婚してほしいという手紙が来た。
彼女は妊娠していた。セレンは子供のことを相談させてほしいと頼んだが、一切話し合いには応じてくれなかった。
きちんと別れ話をしてほしいと言ったが、弁護士を通じての冷たいやりとりしかしてくれなかった。
結局セレンは捨てられ、彼女は子供を産んで第2の人生を歩み始めた。

リーザらはそれ以来塞ぎこんで精神安定剤に頼って生きるようになったセレンを憐れんでいた。
2011年にセレンが子供の顔を見たいのでエスタの居場所を知りたいと言ったとき、リーザはすぐに調べてやった。
今セレンは彼女の居場所を知っている。彼女は知られていることを知らない。

離婚の本当の原因は分からない。彼女の言葉は信用できない。
ただ言えることは、セレンは離婚当時、彼女との性格の不一致ですでに彼女に愛想を尽かし、もう愛しておらず、冷たく当たっていて、彼女もまたセレンに嘘の笑顔を浮かべていたということだ。

彼女は今看護師になるべく学校に通っているようだ。
息子のアルシェは6歳になった。元気に学校に行っているようだ。5歳の時点でルティア語の数が言えたり、1/3などの分数が分かったようで、自転車も乗れるようだった。

離婚自体は自分に問題があったと思っている。ただこちらを不快にさせ続けた彼女にも問題はあると思っている。まぁそれでも総合的に見れば最初に二人の恋愛を裏切ったのは自分だ。
彼女は最初に「私そんなに頭良くないよ。勉強が出来るだけ。期待しないでね」と言った。セレンは「過度な期待はしない」と約束した。だが彼女は想定外に頭が悪かった。そしてトロかった。セレンはそんな彼女に苛つくようになっていった。
約束を最初に破ったのはセレンだった。だから離婚は仕方ない。だが子供のことを何も相談をせずに勝手に決めたこと、父親である自分を徹底的にコケにし馬鹿にしたこと、子供を奪ったこと、本人と手紙でもメールでもいいから別れ話がしたいと何度も長文で懇願したのに無視し弁護士を通して冷たい対応しかしなかったこと。

許せなかった。

結婚していた頃、ある日セックスが終わって彼女の顔を上から見ていたとき、ふと「いつかこの女が一番殺したい相手になるかも」という予感がした。

人工言語辞典と、俗幻について

nias注:人工言語掲示板アルカスレ、人工言語掲示板2アルカスレ、俗幻連絡板を読んでのセレンさんの所感です。

人工言語辞典について

人工言語辞典について。
クラウドでの作業は俗幻のように複数人が編集するには向いていますが、一人の場合はローカルアプリのほうが楽です。
俗幻で検索するよりPDICのほうが早いし、登録もPDICのほうが早く確実です。
クラウド作業だとcgiが通信エラーして登録が反映されないことがあるし、レスポンスもローカルより遅いです。

なので皆ローカルで作業をしますが、そうなると人工言語辞典にクラウド登録するのは二度手間なのでやらないかと。
ローカルの作業が人工言語辞典に自動的に反映される、そんなローカルアプリがあるといいかと。
PDICにオンラインシステムがあったかもしれないが、
できれば各作者のローカルでの作業をクラウド上の全人工言語の辞書を一つに集約した人工言語辞典ファイルに反映し、
ユーザーはクラウド上の人工言語辞典を使って検索できるようにできればいいなと。
例えばWYUさんがローカルでした作業は人工言語辞典上のメイユラングのデータとして反映されるというように。
むろん登録だけでなく修正も反映されます。

また、人工言語辞典のフォーマットはWiktionaryに即したほうがいいかなと。
ローカルのアプリのフォーマットはPDICで。
デメリットはあって、幻日のもしかして検索は外して、活用形をいちいち登録する手間が作者にかかることなんですが、
まぁそれはWiktionaryと同じかなと。
このシステムなら各言語によって品詞名が違うことも問題になりませんし。
Wiktionaryは訳語検索とか用例検索とか向いてないので、
場合によっては幻日のシステムをフォーマットに採用したほうがいいかも。

まぁ誰がPGやんのよという問題もありますが、問題はむしろできた後の管理。
人工言語を何十年もやるだろう人でないと。2~3年で去る人の集まりでは厳しいかと。
本来なら僕が責任者なのかもしれませんが、自分は咎人ですから。

俗幻について

BBSのログ読みました。
活動の方向性はこれでいいと思います。
カルディアの設定を大きく覆すような二次創作は派生サイトでやるという現状に賛成です。

オーディンでセレンが去った後、残されたアルバザード人が俗アルカを作っていったのは
ユマナで言うとこんな感じだったんだろうなと思うと、この活動が2~3年しか続かないとしても、
俗化はアルカという言語の最終フェーズとして必要だったのだろうなと思いました。

ありがとうございます。

ランジュ – 2013年6月27日 1/3

2013年6月27日

セレンはフェリシア大のほたる池のベンチに座っていた。時間は11時に近い。
ちょうど十年前、セレンはクラスメイトのエスタという女とこの場所で付き合った。
言語学のゼミで知り合った子で、言語学の演習で一緒になったのはこの年が初めてだった。
他の授業で顔と名前は知っていたが、初めて話したのはその一年前で、授業でペアワークをしたときだった。その後クラスの女子に「うちの学年で誰が一番頭良いか」と聞いたら、その子は「エスタさんかな」と答えたので、何となく興味を持った。

言語学の演習がきっかけで授業後も話すようになり、それからわずか2ヶ月あまりの6月27日に付き合うことになった。
エスタは卒業後はヴェマに行こうとしていたが、セレンは大学に残るよう願った。男がいれば残る理由になるかと思い、男を紹介しようとした。しかし彼女は興味がないと言った。
セレンが最後に「俺でもいいから」と言ったら、彼女は「セレン君ならいいよ」と言った。セレンは照れ隠しのつもりだったので「え……?」と意外そうに聞き返した。すると「私、セレン君ならいいよ」と言った。
「それって付き合うってこと?」と聞いたら「うん」というので、じゃあ付き合おうかという話になった。
ちゃんと告白しないとよくないなと言ってセレンが「好きだ。付き合おう」と言ったら彼女も同じように返した。ちゃんと告白して女の子と付き合うのはこれが初めてだった。
その日、フェリシア駅の前でキスをした。彼女にとっては初めてのキスだった。
それから1ヶ月もせず、彼女にとって初めてのセックスをした。彼女の方からホテルに誘ってきて、カリーズ駅の近くのホテルでした。何時間も掛けてゆっくり広げていったので血は出なかった。

その後付き合いは順調に進み、メルはどんどん塞いでいった。そして次の3月には結婚した。

ランジュ – 2013年5月14日

※nias注:旧版からの移植記事です。

2013年5月14日

 イシュタルが無表情でアニメを見ていた。
 セレンはレイゼンを覗きこむ。
「面白いの、これ?」
「セレン兄様……。そうですね、今季の注目作みたいです。現代魔法学が出てきます」
「ふぅ……ん」
 セレンは眉をひそめた。イシュタルは悟ったような顔でレイゼンを消した。

「兄様、お暇があるなら私とお話でもしましょう」
 それはセレンを気遣ってのことだった。
 アニメなどサブカルにはたまに現代魔法学が登場することがある。
 セレンが現代魔法学のノウハウをネットで公開してからというもの、その数は年々増えている。恐らくセレンの影響がそれなりにあるのだろう。
 ただ問題は、サブカルの中で使われる現代魔法学理論が娯楽仕様のなんちゃってご都合主義設定でしかないということだ。
 しっかり理論立てて研究して作ってあるセレンの理論は世間から見向きもされない。見向きされるのは娯楽性のあるなんちゃって魔法学だけ。ちゃんとしたセレンの理論は採用されない。
 それでセレンは世の中を怨んでいる。そのことは孤児院のみんなが知っていた。

ランジュ – 2013年4月14日

※nias注:旧版からの移植記事です。一部削除。

2013年4月14日

 セレンはフェリシア大学の朱塗りの橋の上に一人でいた。
 池を眺めながらため息をつく。

 十年前、恋をした。
 十年後、誰がこんなことになっているとあのときの自分たちは思っただろう。

 彼女はもう新しい道を見つけ、自分はまだ止まった時の中に生きている。

ランジュ – 2013年3月5日

※nias注:旧版からの移植記事です。

2013年3月5日

今日はユーマの日で休みだ。
セレンは孤児院に来ていた。イシュタルが図書館に本を返しに行くと言って出て行ったが、肝心の本を玄関に忘れていったのに気付いた。
本を取ってイシュタルを追いかけようとしたセレンだったが、そのときちょうどコノハが玄関に出てきた。
「あれ、セレンさん、どうしたんですか?」
「あぁ、イシュタルがこれを忘れちゃって」
「じゃあ私が届けてきますっ!」

セレンは一抹の不安を感じながらも本を手渡した。
コノハはにこにこしながら外に出た。雨が降っていたので傘を差して外に出る。門のところにいるイシュタルに声をかけ、近寄っていく。
「イシュタルさん、本、忘れてます~」
明るい声をかけた瞬間、イシュタルは眉をひそめた。「あ……コノハ、気をつけて」
ところが案の定コノハはずっこけ、本は水たまりの中に勢い良くダイブした。

「きゃーっ!? イシュタルさんの本がっ!?」
慌てるコノハ。セレンとイシュタルは「やっぱりな……」と言いながら額に手を当てる。
本を拾うイシュタル。
「ごごご、ごめんなさい。私のせいで……!」あたふたするコノハ。
「いや、もう慣れた。図書館には私から謝っておく」
「そんなのダメです! 私も一緒に謝りにいきます!」
コノハはイシュタルの腕を取って懇願した。イシュタルは苦笑しながら「分かった」と言って二人は去っていった。

セレンがため息をついて玄関を閉めると、後ろにフェアリスがいた。
「なんだい、またコノハのやつ、やっちまったの?」
「あぁ。まったく、あいつは人助けが趣味なのにすべてが裏目に出ちまうからなぁ」
そう、コノハはそういう子だったのだ。

ランジュ – 2012年12月31日

※nias注:旧版からの移植記事です。太字は変更箇所。

2012年12月31日

セレンが孤児院の居間に入ると、4人の孤児が夕飯を食べていた。
ミルハ「あ、セレンお兄ちゃん。おかえりなさい」
「リーザ先生とミーファねえさんは?」
「今日はいないよ。だからミルハがお夕飯作ったの。お兄ちゃんも食べていって」
「ありがとな。そうするよ」

セレンは席についた。横目でミルハを見る。室内でも帽子をかぶっている。
ミルハは魔族ディーレスと精霊のハーフだ。猫耳を持って生まれてきた。小さい頃にからかわれ、それがコンプレックスで人見知りになってしまった。学校でも友達がいないらしい。
「ミルハ……まだ帽子、取れないか」
「うん……」きゅっと帽子を握る。
慣れ親しんだ孤児院の中でも帽子を脱げないほど、耳にコンプレックスを持っているようだ。

夕飯を済ませると、孤児はそれぞれの部屋に去っていった。
セレンはミルハの部屋を訪れた。
「あ、お兄ちゃん」
パジャマ姿のミルハ。慌てて帽子をかぶる。だがセレンはその手をさえぎる。
「ミルハ。お兄ちゃんにも見せたくないのか」
「え……だって……ヘンだもん、これ」

セレンは黙ってミルハの目をじっと見つめた。
「……ヘンだと何か悪いのか?」
「……いじめられる」
「俺はしない。俺はお前の耳が可愛いと思う」
赤くなってうつむくミルハ。

「……撫でるぞ?」
ミルハは小さく頷いた。
頭を撫でるセレン。耳に手を触れるとピクッとするが、嫌がりはしない。
「お前の耳をからかわない奴の前では、帽子を取ってもいいんじゃないか。徐々にコンプレックスは克服していけばいい」
「いつかは克服しなくちゃいけないの?」と不安そうな表情。
「いいや、そうでもない。コンプレックスは人間につきものだ。人は自分のコンプレックスをすべて乗り越えられるほど強くない。
もしお前がコンプレックスを克服できなかったとしても、乗り越えようと努力した事実さえあれば、お前はお前を誇っていい」

ミルハはセレンの胸に顔をうずめた。腕を回してぎゅっとしがみつく。
「ミルハ……お兄ちゃんになら、見せてもいい」
「そうか、ありがとうな……」
セレンは微笑むと、ぽんぽんと頭を撫でた。

ランジュ – 2012年12月5日

※nias注:旧版からの移植記事です。太字は変更箇所。

2012年12月5日

「わぁっ、ここがガヴランスの風洞なんですね!」
コノハが感動した声を上げる。
ミルハは帽子を手で押さえ、セレンの袖を不安げに引く。
「セレンお兄ちゃん……ここって元はただの平地だったんだよね?」
「あぁ。メル408年クリスの月パールの日午後7時31分。隣国のディミニオンに謎の巨人が降り立った。
化物はディミニオン国を滅ぼしながらアルバザードを目指して侵攻。
ここレスティリア県レスティリア市で神々に封印され、その勢いでこの巨大な地下風洞ガヴランスができた」
セレンは高台から風洞を見下ろしていた。一般人は風洞に立ち入ることができない。

「その化物が第一祠徒ユリウス……」
忌々しげに呟くフェアリス。彼女の眼差しは気丈なものだった。
リーザがなびく髪を押さえながら続ける。
「神々はアトラスへの道を無理にこじ開けてユリウスを封印し、神々の世界アルフィへ帰った。
無理をした結果、アルフィと私たちの星アトラスを繋ぐ道は壊れてしまい、408年から人類は神との交信ができないでいる」
メルは「召喚省は神との交信は問題なく継続していると発表したけど、とても信用できませんよね」と補った。

ミーファが言葉を繋ぐ。
「人は第二祠徒の襲来を恐れた。祠徒によりユリウスの封印が解かれれば、神の助けを借りられない人類は今度こそ滅ぶ。
だからこそ人はここガヴランスに対祠徒機関アヴァンシアンを設立した」
「アヴァンシアンの存在こそ、もはや召喚省が神と交信が取れない証左……」
ぽつりとイシュタルが言葉を紡いだ。

そのときだった。

イシュタル「セレン兄様」
ミルハ「セレンお兄ちゃん」
コノハ「セレンさん」
フェアリス「セレンにぃ」

孤児の少女たちが同時にセレンの名を呼んだ。
ガヴランスの向こうに封印されたユリウスに思いを馳せて眺めていたセレンはふと少女らに目をやる。
次に少女たちがあげた声は「リディアちゃんが!」というものだった。
見ると、ずっと大人しくついてきたリディアが急に項垂れ、その額が光っていた。
訝ってセレンがリディアの前髪を掻き分けると、光は消えてしまった。

「……なんだったんだ?」
「急におでこが光ったんです」とコノハ。
「あたしはまたこの子が眠り姫状態になっちまうのかと思ったよ」フェアリスが胸を撫で下ろす。
「ミルハ……心配だったよ」
「今の光は……」イシュタルが目を細める。

「さて」膝を折っていたリーザがゆっくり立ち上がる。「社会科見学はこれくらいにしましょうか」
ミーファは去り際にガヴランスを指さし、「これがランヴォルトの爪痕よ……」と静かに述べた。

ランジュ – 2012年11月15日

※nias注:旧版からの移植記事です。

2012年11月15日

セレンは出版した自著をコミカライズするため、出版社に持ち込みをかけていた。
どの編集者も現代魔法学に関するセレンの見識の深さには驚いていた。
しかしどこも商業化はできないと判断した。

そんな中、コンセプトと理論の出来は認めるため、半年ほど商業化の可否を判断するために待ってほしいと言ってくれるところがあった。
セレンはどちらかというと自身の著作物を認めてもらったことのほうが嬉しく、それだけで十分幸せな気持ちになった。

ちょうどその日今年度のエヴァンジュランが解禁となり、貧乏学者のセレンはお祝い代わりに買って帰った。
メルは「売れないけど高尚なお兄ちゃんのほうがお兄ちゃんらしくて素敵だけど、お兄ちゃんの業績が人に認められたのは嬉しい」と言って喜んだ。

その日は慎ましやかに祝いをし、エヴァンジュランを二人で一本空けた。
メルは酒豪だが、この日は気分がよく、「気持よく酔った」と言って陽気になっていた。
セレンも心地よく酔い、二人で床の上で転がってはしゃいだ。

気分が良いので二人は気持ちよく酔い、そのまま抱き合って眠った。
久々に幸せな一日だった。ボロアパートが愛おしく思えた。

ランジュ – 2012年10月19日

※nias注:旧版からの移植記事です。

2012年10月19日

 セレンは風邪を引いて病院にいた。メルも付き添いで来ていた。
 感染るからいいと言ったのだが、心配だからと言ってついてきた。
「こんな季節の良い時期に風邪引くなんてな」
「夏の疲れが溜まってたんだよ、きっと。それに、季節の変わり目だから」
「しばらく孤児院には顔を出さないほうがいいな。子供たちに感染ってしまう」

 セレンはぼーっと診察室のドアを見た。まだ順番は来ない。
 病院の入り口からスーツ姿の男が入ってきてカウンターに声をかける。所作からしてMRだろう。
 MRは受付と話した後、入り口の脇で立っていた。席が空いているから座ればいいのにとセレンは思った。

「……病院も改革しないとな」ポツリと洩らした。
「え?」
「MRは製薬会社の営業だ。製薬会社はいくつもあり、同じ効果の薬はこの世にいくつもある。そして医師は患者に処方する薬を選ぶ。となると製薬会社としては当然自社の薬を使ってほしい」
「売上になるもんね」
「薬を売り込むのは営業だ。自社の薬を採用してもらうため、各社のMRがこぞって医者の機嫌を取る」
「医者の好みを把握して贈り物をしたり、あと、女のMRはディナーに誘ったりして色気も使うとか?」
「そう。医者のワガママを何でも聞くわけだ。アイドルのコンサートのチケットを医者のために苦労してゲットするなんてこともある」
「枕営業なんてこともあるのかもね」
「あぁ、当然この世にゼロではなかろうな。それと、MRは看護師にも気を使うらしい」
「どんな風に?」
「こんな話がある。A社のMRは看護師にスイーツの差し入れをする。B社はしない。ある日、医者の機嫌が悪いときがあった。A社が来たとき、看護師は気を利かせて今は機嫌が悪いから出直したほうがいいと教えてやる。でもB社には教えない。B社は八つ当たりを医者から食らって退散した」
「スイーツのお礼ってことなんでしょうけど、意地悪な看護師だね」

 セレンはパンと右拳を左掌に打ち付けた。
「なぁ、これって事実上の賄賂じゃないか? 医者は接待なんかなくても最も患者に適していてローコストな薬を採用すべきだ。看護師は菓子をくれなかったMRにもバッドタイミングだと告げるべきだ」
「そうだね」メルは頷いた。
「MRの大半は医者より学歴が低い。社会的身分も年収も低い。つまり弱者だ。医者は強者だ。強者が賄賂を貪り、弱者は強者の顔色を伺いながら同時に搾取もされる。これが現実だ」
 じっと診察室のドアを見つめるセレン。口調が苛立つ。
「汚ねぇんだよ、やり口が! 医者に媚びへつらい他社を出し抜こうとするMRも、平然と賄賂を受け取り要求する医師も看護師も」
「うん、分かる……」

「ミロクがいた頃、こんなに社会は腐っていたか?」
 メルは首を振る。
「ミロク様だったら間違いなく粛清してたと思う。お兄ちゃんみたいにそういう汚いことが嫌いな人だったそうだから。実際彼がいた頃はもっと世の中は平等だったそうだね」
「だろ? 要領よく立ち回ることで生き残る汚い弱者、それを搾取する強者。ワリを食らうのはいつも正直者で要領の悪い純粋な心を持った弱者だ。こんなのが許されていいのか」
「よくないと思う」
「正直で純粋な心を持った綺麗な人間が損をして、更なる弱者層に貶められる。こんな世の中じゃ汚い人間しか生き残れず、欲で太った豚ばかりが笑う。こんな世界は間違っている」

 メルはセレンの拳を両手で包みこんだ。
「お兄ちゃんは世の中を変えたいんだね。ミロク様のように」
「クソッ、俺に力さえあれば善政を敷いてやるのに……!」
 苦々しくセレンは呟いた。

「お兄ちゃんが医者だったら、賄賂を贈ってくるMRなんか怒鳴り帰していただろうね。清廉潔白な医者なんだろうなぁ。……カッコいい」
 セレンの腕にしなだれかかるメル。
「なんだ、俺が学者じゃ嫌か? 医者の奥さんが良かったか?」
「ううん。医者なお兄ちゃんもカッコ良かったんだろうなってだけ。お兄ちゃんには学者や芸術家が一番似合ってるよ。それも、売れないほうの――ね」
「売れなくてもいいのか」
「むしろ売れないほうがいいんだよ、お兄ちゃんらしくて。売れてるってことは、それだけ汚い俗世間に迎合してるってことでしょう?」
 メルは微笑んだ。セレンはメルの頭を優しく撫でた。