『アルカの書』〈かみさまの懺悔〉

かみさまの懺悔

 ――こんな夢を見た。
 俺はどこか建物の屋上にいた。辺りは暗く、夜だと分かる。少し離れた所に一人の青年がいた。それがどうも俺によく似ている。……というか、俺の成長した姿のようにみえる。ということはあれは俺なのかと思って見ていた。
 一方、屋上の柵には一人の少女が座っていて、彼女は月を見上げていた。その少女は亜麻色の髪に深い緑の目をしていた。それは先程出会ったリディアという子によく似ていた。こちらも「似ていた」というより、正確には先程のリディアの成長した姿に思えた。中学生くらいにみえる。
 そよ風が吹く夏の涼しい夜だ。少女の髪が月の光を浴びながらさらさらとなびく。青白い月の灰明かりに映えた彼女はとても美しかった。

「ねぇ、どうして世界はあるの?」
 唐突に、少女の口から言葉が紡ぎ出される。
 すると青年は静かに答えた。
「最初の神さまがこう思ったんだ。ひとりはさびしい――って」

「そうして世界はできたの?」
「そう。創造主はうそをついたんだ。たったひとつの小さな嘘を。
 そして嘘の上にもうひとつ嘘を作ったんだ。
 いつの間にか嘘は空高く積みあがって、塔になった」

「誰も嘘を咎めなかったの?」
「だって最初の嘘がばれてしまったら、世界は消えてしまうから。
 みんなは嘘を吐き合うことで安心したんだ。みんなが同じ嘘を言えば、いつかその嘘が本当になるんじゃないかって思ったんだ」

「それじゃあこの世界は嘘という無でできているの?」
「そう、嘘でできている。だけど無じゃない。嘘が集まると、ごく稀にだけど、何かが生まれることがあるんだ。そして世界はその『何か』でできている。決して無ではないんだ」

「難しいんだね」
「そうだね。たくさんの嘘はややこしいんだ。きっと、ついた本人も分からなくなってしまうほどに。
 そうして神さまはひとつの嘘にすがったんだ。
 ただの強がりも嘘さえも、願えば『ほんとう』になるんじゃないかって思ったんだ。
 これは、そんな寂しがりの神さまが見ている夢なんだ」

「だけど、カミサマ、言ってたよ」少女が微笑む。「最近は夢を見ることができなくなったって。神さまね、もうあまり眠れないんだって」
「じゃあ……」青年は首を傾げる。「世界はどうなってしまうんだろう?」

「それで、神さまは自分の夢を人に喋ったのよ」
「なぜ?」
「人の記憶に残ることが、夢を生かすことだから」

「あぁ」青年は寂しそうに微笑みながら頷いた。
 少女は青年に近付くと、慰めるようにそっと手を握った。

「誰かの中で生きることで、嘘は命を持つの。
 そのために神さまはどれだけの犠牲を払ったのかしら。
 これはそんな寂しい神さまのおはなし。
 かみさまの、懺悔」

 ふっと画面が切り替わった。どこかの屋上ではなく、先程の公園だ。さっきと同じく暗く、俺は赤レンガと時計の間に立っていた。
 時計を見る。8時過ぎだ。
 (セレン君)
 声に振り向くとそこには先程出会った少女リディアがいた。
 「あれ……俺、今どこかの屋上にいたような……」
 (屋上で何を見たの?)
 「なんか大きくなった俺とお前みたいなのがいて、喋ってた」
 (あれは1991年6月24日午後8時に私が見た夢なの)
 「夢?先月お前が見た夢を今日俺が見たのか?」
 (ちなみに今この私たちが話しているのはセレン君の夢なんだけど……)
 明晰夢だ。夢のなかで「あぁこれは夢だ」と分かってしまうやつだ。俺は眠りが浅いからか、昔からよく明晰夢を見てきた。でも――
 「でも夢のなかで誰かに『これは夢だ』と言われて気付いた明晰夢は初めてだ」
 するとリディアはくすくす笑う。(これは私の夢でもあるからね)
 俺の夢であり、リディアの夢でもある。一体この子は何者なんだろう。聞きたいことは山ほどある。しかし時間がない。俺は知ってるからだ。明晰夢というのは気付いてほんの少ししたら目がさめてしまうことを。
 そして結局俺は夢のなかのリディアに何も問いかけることができないまま、気がついたら朝になっていた。

『アルカの書』〈夜8時〉

夜8時

 ふと背後から声がした。後ろで誰かが会話でもしているかのように聞こえた。
 (seren sou, soonoyun)
 また背後から声がした。どうも俺に話しかけているようだ。大人の声ではない、子供の声だ。気になって振り向くと、夜闇の中、街頭に照らされた女の子が立っていた。一瞬ハッとした。その子の髪が亜麻色で、目は深い緑だったからだ。
 ――外人
 そう、明らかにその子は外人だ。小手指は外人や有名人が何気に多いので外人は見慣れているのだが、金髪碧眼か黒髪が多く、亜麻色の髪で緑の目は初めて見た。
 女の子は俺と同じくらいの歳だろうか。背が同じくらいだからだ。しかしそれにしては顔が幼く見える。俺は背が小さいほうだが、実際の彼女はサンダルの分を引くとその俺より小さいので、いくつか年下だろう。髪は肩までかあるいは肩下まで伸びている。ビー玉みたいな綺麗な2つの玉のついた髪ゴムを頭につけている。髪型を整える為というより、単にアクセサリーとしてつけているようだ。クラスの女子もよくやっている。外人も同じことを考えるようだ。
 俺は無言を返す。
 何も言えないのは、丁寧に制作された人形のように、およそ日本人では再現不可能ではないかと思われるほどその子が可愛いからだ。白い肌、緑の瞳、亜麻色の髪、高くも低くもなく、細くも広がってもいない鼻、猫を思わせる口、色素の薄い桃色の唇。少しだけピンクに染まった頬。柔和な目つきと二重のまぶた。しっかりとした眉。夏なのに長袖で、ピンクのスカートを履いている。
 女の子は何も言えず固まっている俺を見て、なぜかとても嬉しそうな顔をした。
 (seren sou, soonoyun)
 「えっ、外国語!?」と思った俺は慌てる。いや外人なのだから外国語を喋るのは当たり前なのだけれども。あいにく俺は外国語ができない。この世に日本以外の言語があると知ったのも4,5歳になってからだ。その頃は世界中で日本語が使われているのだというか、そもそもこの世には自分たちの話しているコトバしかないものだと思っていた。最初にこの世に外国語があると知ったのは父が原因だ。フランス人クォーターの父はフランス語を話すことができ、俺が小さいころ上新井の家の風呂でフランス語で話しかけてきていた。結局父の努力は虚しく俺はフランス語を少ししか話せるようにならなかったのだけれども。しかもカタカナ発音で。
 またファミコンはソフトの容量の問題でカナを全部搭載することができない場合があって、「ドラゴンスクロール」というゲームのOPや「スーパーマリオブラザーズ」のEDなどに英語を使うことがあった。
 ファミコンの画面の文字が分からないと母に言ったところ、これは英語だと言われて訳してくれた。このとき英語というコトバがあることを知った。この話は小1のときのものだ。しかし存在を知っていても俺は日本語以外喋れない。なんなら東京生まれでそのベッドタウンの所沢に住んでいる時点で日本語の方言すらしゃべれない。俺が喋れるのは日本語の標準語だけだ。

 彼女の言ったコトバは聞き取れなかった。なんというか、日本語にないような音というか、言い方というか発音というか、日本語の音にしか対応していない俺の耳はつまるところカナ文字の音しか聞き取れないのだ。
 この子は日本語ができないのだろうか。だからこそ外国語で話しかけてきたのだろう。しかしその予想を裏切るように彼女は囁いた。
 (……やっと見つけた……あなたを)
 それは普通の日本語、うちの家族もクラスメートも使っている標準語の日本語だった。しかし俺の中では「なんだ日本語できるじゃん」という安堵より、「やっと見つけたって何だよ。俺のこと探してたってことか?」という謎のほうが強い。女の子は自分の胸に手のひらを寄せる。
 (私、リディア)
 「リディア?」
 初めて声が出た。女の子はリディアというらしい。変わった名前だ。何人なのだろう。
 (来て)
 リディアは左手で左前にある長野公園を示した。俺は背後の公園に目をやる。こんな時間に公園に行ったことなどない。安全だろうか。公園に不良がいないかという心配もあるが、夜に一人で外を歩いている謎の小さな女の子に対しても警戒すべきだろう。しかし結局は状況に飲まれ、公園に行ってしまった。幸運なことにそこは無人だった。リディアは背の低い積まれた赤レンガと時計の間に立つと、時計を見て(8時だね)と言った。
 時計は公園の明かりで照らされていてよく見える。リディアはレンガに座る。俺はその前に立ってファンタオレンジの缶をあける。
 (1991年7月19日午後8時。7歳になっちゃった)
 今日で7歳ということは小1か。小5からみると幼い。でも小1にしてはやけに大人びてみえる。
 「あの……さっき俺のことセレン君とか呼んでたし、俺を探してたみたいなこと言ってたけど、悪いがそれ人違いだよ。だって俺の名前は――」
 スッと右手の人さし指を自分の唇に近付ける。「しーっ」と言いたいようだ。
 (知ってる。でもそれはあなたの本当の名前じゃない。確かにそれはあなたの戸籍名だけど、あなたの本名はセレン。セレン=アルバザードよ)
 12016月5月22日(日)記セレン……セレン……そんなコトバ聞いたことない。一体何語なんだろう。でもなぜかその名前、しっくりくるのだ。まるで魂が最初からそれを知っていたかのように。
 (今日私がすることは、この場所であの時計を見て8時を一緒に迎えること。最初の7月19日をね)
 時計をふり返る。最初の7月19日?どういう意味だ?午後8時?それに何の意味がある?ただこの子が生まれた時間ってだけのことだろ?
 「なぁリディア」首を回すと、そこには誰もいなかった。
 「あれ!?え!?」
 一瞬パニクった。俺が時計を見てる間にリディアは公園を去っていた。どういうことだ?俺に用があるからここへ呼んだんだろ?なぜいきなりいなくなる?
 「あ……」
 そうか。ここで俺と8時を迎えるのがあの子の目的だったと言ってたな。それが終わったから去った、と。しかしこちらとしてはせめて説明くらいしてほしいものだ。そもそもなんだよセレンって……。
 それにしてもリディアはあの数秒の内によくもまぁ俺の視界から外れたものだ。走りにくそうなサンダルだったのに。
 家に帰った俺はファンタを空にしつつゲームを始め、やがて夜になったので歯をみがいて寝ることにした。眠りに落ちる前にリディアのことが頭に浮かんだ。
 「それにしてもあの子……かわいかったな」

   [ + ]

1. 2016月5月22日(日)記

人工言語学事典記事:【設計的と発生的】

人工言語学事典記事:【設計的と発生的】

2016/6/10 seren arbazard

カテゴリー:分類

イラストレーターに人の絵を描かせると、大抵の場合、絵の教本に従って、人体の骨格から考え、それに筋肉をつけていく。そうしてやがて皮膚や髪などができ、目が入る。このようなものの作り方は設計的といえる。人が何かをデザインするときは大抵骨子となるものから順に設計的に作る。人工言語も同じで、音、文法など、ジャンルに分けてその人工言語の骨子を設計していく。
翻って現実の生き物はどのように進化してきたかを考えると、生物は元々単細胞であり、後に多細胞になった。この時点では各細胞に役割分担はない。しかし進化にともなって細胞に役割分担ができるようになり、生物は多様性を獲得するようになった。最初は今でいうミミズのような無脊椎動物だったが、一部の細胞が固くなって骨を形成するようになると、魚のような脊椎動物が生まれた。骨や臓器や肉が最初からあったわけではない。多細胞生物は元は均質な細胞を複数持つだけのものだった。均質な細胞が分業化し、あるものは骨になりあるものは肉になった。こういう進化の過程は発生的である。言語でいうと、自然言語は発生的である。
人工言語は本来設計的なもので、自然言語は元来発生的なものである。ふつうイラストレーターは設計的に人を描くが、人は元々発生的である。生物の進化と全く逆のベクトルでイラストレーターは人を「創って」いる。人工言語屋も同じで、音や文法などジャンルに分けて設計している。「人工言語を自然発生させる」という発想をふつう人工言語屋はしない。
RELは「人工言語を発生させる」人工言語である。RELは世界ができて宇宙ができて星ができて知的生命体ができて言語が生まれるという手順で、すなわち発生的な手順で作られる。REL以外の人工言語は設計的で、RELは発生的といえる。生命の進化、イラストレーターの物の描き方、人工言語。これらはすべて無縁ではない。2016年現在の科学では人類はRELを作ることはできないが、そのような人工言語が存在可能であるということは現段階で予想できる。

私の服装

私の服装

2016/6/10 seren arbazard

通言語オフで「セレンさんあの格好でビジュアル系興味ないんですか?」とniasさんに仰ってる方がいたようなのでそれについて。たぶん私のイメージはルシアンや発勁動画のイメージで固まってると思いますが、あれはリディアの趣味です。メルや他の子達はロン毛よりベリショが趣味で、私自身もそのほうが好きです。服はスーツが好きです。学生服と同じで、「それ着とけばどこに行ってもドレスコードを通過できる私服を選ばなくて済むから」です。冬はスーツの上にトレンチを羽織るくらいで、通年スーツです。なのでオフ会もはじめはスーツでしてたんですよね。古参のniasさんですら知らないだろうけど、月丸(がちまる)さんという人とブクロでオフした時にスーツでしたが、逆に「なんでオフなのにスーツ?」という目で見られてしまったので、その後は仕方なく別れた嫁さんがかつて選んだ服を着てオフに行っていました。なので私の中で自分の格好というと、紙を短く切ってスーツを着ている仕事中のままのイメージで、みなさんのイメージと異なるかもしれませんね。

『アルカの書』〈はじまりとおわりに〉〈1991年7月19日〉

はじまりとおわりに

 リディアが最初にセレンにかけたコトバは”seren sou, soonoyun”。
 リディアが最後にセレンにかけたコトバは――。

1991年7月19日

 1991年7月19日金曜日。埼玉県所沢市上新井小学校は夏休みを迎えるにあたって半日で下校となった。
 うだるような暑さの下、児童らは大荷物を抱えて帰路へついている。長期休暇の間、学校のロッカーや机の中にあるものは全て自宅へ持って帰らなければならない。要領のいい子供は終業式を迎える前から予め少しずつ荷物を家へ運ぶのだが、面倒臭がり屋は往々にしてそういったコツコツとした努力を行わず、終業式かその前日あたりに大量の荷物を持ち帰る羽目になる。俺もまたそうしたギリギリまで現実と向き合わないタイプの人間だ1この頃は学校は休日でない時代なので、終業式はこの翌日かもしれない。
 夏の半ドンはありがた迷惑だ。一番暑い時間帯に陽光に晒されながらコンクリートで固められた地面を歩かなくてはならないからだ。
 俺は友達と2人で汗だくになって、落ちそうになる荷物のバランスを何度も取りながら歩いている。ただ、肉体的苦痛に対し、心の中は期待で一杯だ。まず夏休み自体がカレンダーをにらみつけながら指折り数えていた楽しみだし、数日後に控えた5年生の林間学校というお泊まりイベントも待ち遠しかった。そして何より今日は心待ちにしていたゲームの発売日だ。
 ”Final Fantasy 4″
 スクウェア社の看板といえるこのゲームはナンバリング4作目にして初のスーパーファミコンでのリリースとなった。
 スーパーファミコン。クラスの皆はこのゲームハード機をスーファミと呼んでいる。スーファミは1990年、つまり去年発売されたばかりのハードだが、生産が追いつかないほどの人気で、やっとの思いで親がプレゼントしてくれたのは去年のクリスマスのことだ。当日風邪で熱が出てしまっていたのに、無理をして「スーパーマリオワールド」をやっていた。
 俺は小学校低学年の頃からゲーム少年で、ファミコンが得手ということを除いては至って凡庸な子供だ。
 「なぁ」横を歩く友だちに声をかける。「今日ってFF4の発売日じゃん?」
 FF4と書いてファイファンフォーと読む。ファイナルファンタジーのことだ。このゲームの略し方は2種類あって、たいていの人間はファイファンかエフエフと呼ぶ。どうして俺がエフエフでなくファイファンと呼ぶようになったのかは覚えていない。
 「そうだね」と友だちは俺のコトバに返事した。
 「今度のFFって2人プレーができるんだって。だから昼飯食ったら俺ンチで遊ぼうぜ」
 FF4のことはかなり楽しみにしているし、それは俺だけじゃない。学校から帰った後でゲーム屋に行くのでは遅い。かといってウチの親はゲームを朝一で買う為に学校を休む許可は出さない。しかたがないので祖母に午前中買いに行ってくれないかと頼んだ。祖母は母方の祖母だ。
 友だちと別れた俺は気持ち足を速めた。炎天下での行軍を切り上げて早く家で扇風機に当たりたいというのもあるが、何よりFF4をやりたい。
 ウチの最寄り駅は西武池袋線の小手指だ。西武線の終点の一つでもある。なので近くに操車場があり、待機中の電車を眺めることができる。
 家の近くに長野公園という少し大きめの公園がある。この公園を斜めに歩くと道路を使うより少しだけ近道できる。俺はいつもこの公園を利用してショートカットするが、なにぶん今日は荷物が一杯で、公園の端の柵をくぐったり飛び越えたりといったことは不可能に思えた。だから長野公園を左にして歩き、交差点を越えた。その交差点から20mほどのところ、右側にホワイトハイムという文字どおり白いマンションがある。そこがウチの仮住まいだ。なぜ仮住まいかというと、話は簡単だ。ウチは元々駅の反対側、西友がある側の上新井という所に青い屋根瓦の一軒家を持っていたのだが、5学年下の弟が大きくなるにつれ、もう少し広い家が必要だということになり、その家を売って隣駅の狭山ヶ丘に新しい家を建てる予定で、新しい家が建つまでの間、一時的にこのマンションに住んでいるからだ。
 ウチの大人たちにとって誤算だったのは、新しい家の竣工が予想以上に遅れていることだ。祖母はこの狭苦しい3DKのマンションを心よく思っておらず、最近はひたすら不動産屋にクレームをつけて職人たちの尻を叩かせている。大工の機嫌を損ねて突貫工事のあげく欠陥住宅を作られたら元も子もないというハト派の母の主張も、祖母の耳には届いていないようだ。
 家に帰ると玄関に荷物を乱暴に放り捨てつつ祖母のところにいった。ところが祖母は申し訳なさそうに「買えなかった」と言った。朝一で行けば絶対買えると思っていた俺は風船が萎むように気が抜けてしまった。
 祖母の言うところをまとめるとこうだ。まず小手指にはメルヘンランドというおもちゃ屋とその前の西友しかゲーム屋がない2ドラゴンというゲーム屋もこの頃既に西友の横にあったかもしれない。私はここに入り浸っていた。大学生アルバイト2人がいつもいて、こっちは向こうを「オッサン」と呼び、向こうはこっちを「ひまわり」と呼んでいた。私が劇団ひまわりにいたからだ。私は1991年12月23日に狭山ヶ丘に引っ越してしまうので、引っ越し以降バーコードバトラーのスーファミソフトを買いにいったことしかない。『超魔界村』が出た少し後でこの店に行かなくなった。7月19日から12月23日の間、ドラゴンがあった確率は高い。ちなみにドラゴンは狭山ヶ丘にもあったが、桃太郎に改名された。。祖母は依頼通りメルヘンランドに行ってくれた。しかしFF4を欲しがっている少年は俺だけではなく、かつ子供のおもちゃを買う為にわざわざ開店前に並んでくれる優しい大人がいるのもウチの家庭だけではなかったようだ。今朝開店前から店先に並ぶ大人はたくさんいた。その需要の大きさに比べ、メルヘンランドが供給できたFF4はたったの5本だった。買えなかった祖母は西友にも行ってくれたが、ここの供給もやはり5本。上新井小学校の生徒は約千人。男女半々だとしても500人の男子がいる。更に中高生のゲーマーも加えれば、小手指という小さな町ですら数百本の需要があるハズだ。それに対しこの町が供給できたのはわずか10本だった。
祖母に「わざわざ行ってくれてありがとね」と言った俺はその足で友だちに電話し、「手に入らなかったので今日は遊ぶのやめよう。ごめん」と断った。
昼飯を終えた俺は幼稚園の年長だった弟の世話をする為、弟と一緒にゲームを始めるものの、心の奥には「やっぱFF4やりたかったなぁ。メルヘンに5本しかないなんて……。店員は次回また仕入れると言ってたそうだけど、手に入るのはずっと先だろうな」という思いがぐるぐるしている。
 夕飯を終え、8時少し前になった。あいにく夏休みの宿題を早めに終わらせておくというような真面目な子供ではない為、またゲームでもするかと、弟と共同の部屋に行こうとする。そこでふとファンタオレンジが飲みたくなった。うちの親はお菓子は人並みに買ってくるが(そもそも彼らも食べるので)、ジュースにはかなり厳しい。祖母に至ってはコーラを飲むと骨が溶けると本気で信じていて、母も父も基本ジュースを買ってくれない。買ってくれるとしたら主に外出先でだ。ところが小5になってから少し規制がゆるくなった。きっかけは少し前に親戚のおじとおばが遊びに来たことだ。小うるさい俺と弟を体よく追い払う為、母は小銭を渡してこれでジュースを買って飲んでなさいと言った。そのとき俺はファンタオレンジを買ったのだが、小さい頃からコーラ>ファンタグレープ>ファンタオレンジというカーストを自分の中で確立していた俺にとってその選択は全くの気まぐれと言ってよかった。ところが数年ぶりに飲んだファンタオレンジがことのほかうまかった。それで最近の俺はファンタオレンジにハマっていて、しばしば母にせがんでジュース代をもらうようになっている。小さい頃はあんなにジュースを買ってくれなかった親がどうして柔和な路線に切り替えたかは分からないが、おそらく親はジュースは発育に悪いと真剣に考えていたのだろう。しかし俺はもう小5になった。もうそんなに小さくないという自覚がある。だから親もたまにならという形で小遣いをくれるようになったのだろう。
 俺は小さい頃からやたら場所にこだわる。あんなことがあったとかこんなことがあったとか、記憶は基本場所記憶と紐付けられている。つまり、何らかの出来事が起こった場合、季節や服はめったに覚えていないのに、その出来事がどこで起こったのかという場所だけは事細かく覚える。例えばある会話をしたのを覚えている場合、その会話をどこでしたかということも覚えているということだ。そしてお気に入りの場所ができると何の用もないのにしばしば思い出を確認するかのようにそこを訪れる。俺にはそういう猫のような癖がある。ジュースを買うのもそうで、お気に入りの自販機ができるとたとえ その自販機のある場所が遠回りであろうと、わざわざそこまで行く。
 夜8時前、小遣いを握りしめ、マンションの階段を降りる。左に折れて最初の交差点で左折。次の交差点までまっすぐ歩くと信号がある。横断歩道を渡った先は24時間制ではないファミリーマート。その横断歩道は渡らず、この交差点をまた左折。そこから15mほど歩いた左手に自販機がある。コカコーラ社のものだ。ここでファンタオレンジを食後に買うのが最近の俺のトレンドだ。
 コインを入れてボタンを押すとゴトンと欲しいものが落ちてくる。なんて便利で単純な機械なのだろう。帰ろうとしてファミリーマートの交差点を右折してマンションへ向かった。

   [ + ]

1. この頃は学校は休日でない時代なので、終業式はこの翌日かもしれない。
2. ドラゴンというゲーム屋もこの頃既に西友の横にあったかもしれない。私はここに入り浸っていた。大学生アルバイト2人がいつもいて、こっちは向こうを「オッサン」と呼び、向こうはこっちを「ひまわり」と呼んでいた。私が劇団ひまわりにいたからだ。私は1991年12月23日に狭山ヶ丘に引っ越してしまうので、引っ越し以降バーコードバトラーのスーファミソフトを買いにいったことしかない。『超魔界村』が出た少し後でこの店に行かなくなった。7月19日から12月23日の間、ドラゴンがあった確率は高い。ちなみにドラゴンは狭山ヶ丘にもあったが、桃太郎に改名された。

なぜ人工言語は機能するのか

なぜ人工言語は機能するのか

2016/4/8 seren arbazard

なぜ人工言語は機能(人とコミュニケーションできる)のか?人工言語屋は本当に言語を作ったといえるだろうか。
自然言語の細かい目に見えない仕組みを人工言語に無自覚に流用しているからどの人工言語もまじめに作ったものであればちゃんと機能するのではないか。音、文法、語彙、それとせいぜい文化、風土、歴史、まれに語法も。これらも含め、作業階梯の全てにおいて人工言語は土台となる部分(それは人工言語屋も自覚できていない)は自然言語の土台を借りてきていないか。土台まるごと自然言語で、とりわけ音や文法や語彙のような氷山の一角を中心にコネコネして「人工言語作りました!」って、その言語本当に人工言語か?自然言語こねただけじゃね?目に見えない部分のシステムを解き明かして土台の部分から作らないと言語を作ったなんて言えないんじゃないか?アプリオリとかアポステリオリとか以前に、言語の土台の部分まるごと自然言語から無自覚にパクっといて「言語作りました!」って言っていいのか?既にできあがっているショートケーキの苺の位置をずらしただけで「私、ケーキを作りました!」つったら殴られるだろ?言語学自体がまだ言語の仕組みを解き明かしていないのだから、人工言語の土台部分に人はまだ手を加えられないんじゃないか。アルカ含め、あらゆる人工言語は苺の位置をずらしただけの言語ではないか。スポンジや各種レイヤーまで作るには、言語学を用いて人工言語学を立てた上で人工言語学に基づいて作らないとダメではないか。今の言語学ではまだ情報不足だ。

おそらく未来の翻訳技術は、「この書き手は何がいいたいのか」を考えた上で、文意を理解し、日本語→英語とか英語→日本語にするだろう。つまり人間がやるのと同じ要領だ。というか機械翻訳を満足にやるにはAIが「この人は何を言いたいのか」を理解しないとダメだ。そういうAIを作る過程で人の言語の本質とかを解き明かすかもしれないし、人が人を育てて言語を習得させるのと同じで、言語のシステムそのものを考えなくてもAIにコミュニケーションや読解をさせる方法を取るかもしれない。まぁ多分後者で、そしたら言語学はAI時代になってもまだ言語の本質を解き明かせないことになる。

いずれにせよ私は私が生きてる時代で構築できる人工言語学を今の言語学を元に組み上げねばならない。つまり、結論を言うと、「言語学から人工言語学を立てないといつまでもconlangingはショートケーキの苺の位置をずらすだけの作業でしかないということである。

人工言語学辞典記事:【新参が入らないまま小集団に使われた人工言語は屈折を起こしやすい】

人工言語学辞典記事:【新参が入らないまま小集団に使われた人工言語は屈折を起こしやすい】

2016/4/2 seren arbazard

カテゴリー:形態

タイトルの通り。
人工言語は膠着語と孤立語が多く、屈折語や抱合語は少ない。欧米の自然言語は概ね屈折語なのにエスペラントのように人工言語屋も屈折を捨てる傾向にある。屈折が無意味で覚えづらいということを欧米人も感じているようだ。
アルカも屈折は元々しなかった。しかし新規ユーザーが入ってこないまま人工言語を使い続けると「よく使うフレーズは一語にしてまとめてしまえ。皆もツーカーだから分かるだろ」という意識が芽生え、屈折が生じる。古アルカでは「私の」を意味するe anが[æn]になった。[ɛ an]といちいち発音するのが面倒くさいからだ。アルシェがアシェットになって2001年ごろに制アルカでソーンという大量のお客さんが入ってきたことで[æn]のようなものは一旦消えたが、2008年頃に新生アルカができた前後から代詞やその所有格を中心に屈折が爆発的に増えた。t’が生まれたことで「私の」はt’anになったが、tanは「も」という意味で使われていたし、半角スペースかアポストロフィを打つのが面倒ということで、所有格のantができた。シフトキーを押すぐらいなら語形が長いほうがマシとユーザーに判断された。結果、新生アルカの代詞は複数形やら所有格やらで複雑になり、新参の増加の邪魔になった。しかしe an よりant, e tiよりtiil, e tyuよりtuanのほうが位相を表現できて間違いのリスクも減ることから、屈折に慣れてしまった古参のユーザーはすかりそっちのほうが便利と感じ、ネイティブたちが代詞を習得した2010年代前半の段階でもはや変更が不可能になった。英語のI, my, me, mineなどもエスペラントの代名詞と比べると不規則で覚えづらいが、実際覚えてしまうとエスペラントより英語のほうが使いやすい。結局は「慣れたユーザーらが規則的だけどよく使う部分をより楽に言えるように不規則にする」心理がタイトルの通りの事態を引き起こす。だからそこに不慣れな新参が入ることで「楽な不規則」が広まったり作られたりするのを抑制する。ピジンに屈折語が少ないのも似たような理由と思われる。
アルカも俗化以前はアシェットが活発に色々な位相を使っていたが、新生の時点でネットユーザーはほとんどan系列とnon系列しか使っていなかった。そのまま俗はアシェットに比べ新参であるネットユーザーが引き継いだため、事実上俗では豊富な代詞が減った。つまりその分だけ屈折する語が減った。

格組、『言語学大辞典第6巻』

格組

2016/5/28 seren arbazard

格組はアルカの用語で、結合価のことです。人工言語屋的に結合価でいいと思います。

『言語学大辞典6巻』

2016/5/28 seren arbazard

言語学大辞典6巻はあまり使えませんでした。15年くらい前とおととしあたりに2度読み通した結果、そう感じました。明解言語学辞典はこの6巻をコンパクトにして加筆修正したものなので、これもあまり使えませんでした。国語学や漢文に妙に力が入っていたり、言語学一般で使われる単語が意外にも載っていなかったりして、詳しいのか雑なのか微妙な出来だからです。例えば「山田文法」は見出し語になっているのに接置詞が索引にすらなく、側置詞で引かなければならなかったりする。Oxford言語学辞典という辞書があったと思うんですが、あれはわりとよく使っていたような覚えがあります。薄いくせに高いけど。

『アルカの書』〈序文〉

『アルカの書』

2016年5月21日(土)
seren arbazard

序文

 これは作中で登場人物が人工言語を作る小説です。
 私は作中で登場人物が人工言語を学ぶ小説を書いたことがあります。それは『紫苑の書』と言い、10年前、2006年に書いてネットに公開したものです。異世界ファンタジー小説を読んで、「異世界なのに日本語が通じるのはおかしい」と考えた1994年(中2)の私は、翻訳魔法やアイテムで言語の問題をうやむやにしてしまうご都合主義に疑問を持って、「もし異世界に行って言語が通じなかったらどうなるんだろう」と考えました。「そうなったら主人公はまずその世界の言語を覚えるところから始めないといけないんだろうな」と思いつつ、「まぁ誰かしらそういう小説を書いているだろう」と無根拠に推量したまま大人になりました。
 しかしその後ネットの普及に伴ない調べたところ、2005年になってもまだ誰もそういう面倒臭く売れそうにない小説を書いたことがないということを知りました。そこで、「ではそういう小説――つまり作中で登場人物が異世界の言葉を覚えたり、異世界の文化や風土に適応していく小説を書いてみよう」と思い立ち、2006年に『紫苑の書』を書きました。
 ファンタジー小説の中で人工言語が出てくることはトールキンの『指輪物語』以前からありましたが、主人公が人工言語を学習することで物語が進む小説はこれが初めてでした。登場人物は全員人工言語で話して彼らのコトバは翻訳されません。なので読者は主人公と一緒に人工言語を学ばないと読了できません。『紫苑の書』を可能にした本格的な人工言語や人工世界を作るには何年何十年もの時間がかかり、小説の素材としては費用対効果が悪すぎるからそれまで誰もそういう小説を書いたことがなかったのでしょう。
 その後『紫苑の書』は2011年に書籍になり、2013年にマンガになりました。どちらも売り切れましたが、「人工言語学研究会」というHPにて無料でpdf版をお読み頂けます。

 さて現在2016年5月21日(土)です。『紫苑の書』から10年が経ちました。「10年の節目に『紫苑の書2』的なものを書きたいな」と2015年頃から考えてあれこれとアイディアを出し、作っては没にして書いては消してを繰り返し、「今度は作中で登場人物が人工言語を学ぶのではなく作るってのはどうだ?」というところに行きつきました。
 『紫苑の書』で主人公が覚えたのは私が友人たちと1991年から作り続けていた人工言語アルカだったのですが、この人工言語アルカを学ぶ視点から作る視点にシフトしていきつつ、人工言語アルカそのものからは離れないというところで『紫苑の書2』としてふさわしいだろうと考え、この『アルカの書』という小説を書くに至りました。

 『アルカの書』は最初、ノンフィクションで書く予定でした。アルカは1991年から2016年現在まで四半世紀に渡って作られている人工言語ですが、それを作ってきたのは30ヶ国以上の少年少女と大人たちです。
 母語や文化の異なる人々を集めるとふつうはピジンという言語ができます。商取引などで言語の異なる複数の人々が接触した場合、文法や音が簡略化され、語彙も限られたものしか使わないような言葉で人々は緊急避難的に意思疎通しようとしますが、そういう言語をピジンといいます。
 アルカも1991年の時点では日本語や英語などのピジンでしたが、意図的に徐々に人工言語化していきました。90年代は内々でやっていたのですが、2005年に私がネットで公開したことで知名度が上がっていき、2013年に最盛期を迎えました。
 しかしアルカの完全な崩壊はもはや人工言語屋たちが許しませんでした。人工言語屋たちは自分たちでアルカを復活させ、2016年現在までアルカは生存し、おかげさまでどうにか四半世紀という節目を迎えることができました。

 『アルカの書』の構想を立てた際に、アルカの四半世紀をそのまま書けばノンフィクションとしてドラマティックだと思いました。しかし最大の壁が立ちはだかりました。私が2013年に持っていたアルカの史料はHDDと自宅の押入れのアナログ物品のみなのですが、2013年に処分されました。アルカの歴史を書こうにも、2005年から2013年にネットにアップした少しの資料しかありません。ノンフィクションの方向でプロットを立てていた私は、これは難しいと断念しました。
 そこで私は「覚えていない部分や史料のないところはフィクションとして書いてしまい、半フィクションにしてしまおう」と考えたのですが、アルカの面白さはリアリティにあるので、フィクションという体のよい「嘘」を入れることに抵抗があり、これも頓挫しました。フィクションでやるならノンフィクションの分からない部分を穴埋めするような中途半端なやり方ではなく、いっそアルカをゼロから作り直したほうがよいです。
 「ではアルカから離して全く関係ない人工言語を作中で作ったらどうか」とも考えました。例えば女子高生4人が「架空言語創作部」とかいって部活で人工言語を作るとか、そういうラノベ的な感じのものです。しかし人工言語の面白味というのはその言語の体系を作っていくことももちろんですが、できあがっていく過程、大げさにいえば歴史にもあります。もしかしたらアルカのことを何も知らない人には女子高生4人が日常の中で人工言語を作るほうが面白いかもしれませんし、仮にこれを商用ベースで出版社が出すと言ったら、私は売り上げを考えてアルカよりも女子高生の人工言語を取ります。その方がまだ市井の人々や人工言語ビギナーには無難でマシだからです。でも人工言語を長くやってきた者が身にまとうあの感覚、「言語とはすなわち積み重ねであり、その製作過程にこそ深い味わいや人の思いが込められている」という感覚を知っている人間としては、どうしても歴史を持った現実の人工言語の方に興味をそそられるのです。

 さて、ノンフィクションでもなくフィクションとノンフィクションの混ぜこぜでもなくアルカから離れもしないとすると、どんな人工言語小説になるのでしょうか。それがこの物語です。アルカを知らない人にとっては人が人工言語を作る小説という点が純粋に魅力的でしょう。「作中で登場人物が人工言語を作る」というテーマ自体が『紫苑の書』のテーマと同じくシンプルで分かりやすくキャッチーだからです。もっとも、いずれも人口に膾炙するほどではないと思いますが。
 一方、アルカを知っている人にとっては読めばなおさらなるほどとなることでしょう。「あー、現実のアルカ史がここでこう活きるのね」といった感じで。もしこれがノンフィクションなら2013年に何が起こって2016年に何が起こるかといったストーリーラインやオチが最初からバレてしまうのですが、『アルカの書』はアルカを知れば知るほど面白く、必ずしも現実のアルカの歴史通りに話が進まないミステリーを楽しめます。
 あぁ、言いそびれたが、僕はセレン――セレン=アルバザードといいます。

 ときに、私は1999年か2000年に幼馴染に4冊の本を書くことを約束しました。そのうち3冊は書きましたが、残るひとつが『俺論』という自伝でした。自分がいつまでアルカをやるか、あるいはいつまで生きるか、そのタイミングが分からないので、書こう書こうと思っては断念してきました。それに、年をとるにつれ、「誰も俺なんかの自伝に興味を持たないだろ」という現実の方が見えてきて書かなかったのもあります。ところが私はアルカを作ったという点においては特殊な人間で、人工言語屋にとっては私とアルカの歴史を知るのはひょっとしたら何かの為になるかもしれないと思い、今回この『アルカの書』では主人公が自分ということもあって、自伝的要素を盛り込みまして、これを以って『俺論』の代わりとさせて頂きたいと思います。

2016/6/10 seren arbazard 一部修正

人工言語学会に質問「なぜ人工言語を指向性で分類しているのですか?」

人工言語学会に質問「なぜ人工言語を指向性で分類しているのですか?」

2016/5/16 seren arbazard

人工言語学会に質問があります。なぜ人工言語を指向性で分類しているのですか?「作者がどういうつもりで作っているか、あるいは何を目指しているか」より「現実にその人工言語が何であるか」を元に分類しない理由が知りたいです。本人はAUXのつもりでも現実はARTと見なされる場合があったとしたら、作者の指向性と現実が食い違って問題にならないのでしょうか。モユネさんとniasさんにご回答願います。私は指向性は無視して、現実的にどういう人工言語であるかを元に分類しているし、そのためのタグを作っています。あと複数人で作っているアルカのような人工言語は各作者の指向性が異なるんですが、そういう場合はモユネではどうタグ付けするのですか。