『翻訳できない世界のことば』

『翻訳できない世界のことば』

2016/5/6 seren arbazard

新聞の広告を見て購入。新書的なものかと思っていたら、絵本のような本だった。絵と文の優しい感じとこの手の本が持つ独特な紙の香りが好印象。プレゼントに向いてそう。スウェーデン語のmångata(モーンガータ)「水面に映った道のように見える月明かり」という単語がとても綺麗と感じた。アルカは月そのものを呼び表す語はたくさんあるけど、こういう発想はなかった。スウェーデン出身のフルミネアがmångataにあたる言葉を作ることもなかった。日本語もいくつか載っている。「ぼけっと」とか「侘び寂び」とか。「ぼけっとしていた」の「ぼけっと」は外国人には珍しく見えるのだなぁと思った。なお一応言語学をやっている身として言わせていただくと、「ぼけっと」は形容詞になっているが、副詞です……。

人工言語学事典記事:【オリザニン】

人工言語学事典記事:【オリザニン】

2016/3/29 seren arbazard

カテゴリー:査定

2016年現在、世界を支配しているのは事実上白人であり、国際語は英語である。
非白人で英語ネイティブでない人の功績はたとえ白人より先に発明なり発見なり創作していたとしても、しばしば後から見つけた白人の功績のみが評価され、そっちが歴史に残ることがままある。

例えばビタミンB1はチアミンのことであるが、チアミン自体は日本人の鈴木梅太郎が世界で初めて発見し、チアミンより先にオリザニンと名づけている。
彼は誰よりも早くオリザニンを発見したのに後続のチアミンに手柄を持って行かれて、どれだけ悔しかったろう。もし鈴木がアメリカ人だったら、VB1はオリザニンと呼ばれていたはずだ。

今教科書に載っている世界史は所詮「コーカソイドとその周りの人の歴史」でしかない。
あくまで今の世界の主人公は白人で、日本人が日本語で歴史に名を残すのは難しい。

アルカも『紫苑の書』も『言語学少女とバベルの塔』も『魔法堂ルシアン』も人工言語学さえもやがてオリザニンになってしまうだろう。
我々の成してきたことは世界史から弾かれてしまうのだ。ただ白人でなく英語のネイティブでないというだけのことで。

人工言語学事典記事:【造語年】

人工言語学事典記事:【造語年】

2016/3/29 seren arbazard

カテゴリー:語彙、変遷

これは記事というより経験による警告である。
メル暦のような固有の暦で単語の造語年を書く人工言語屋がいるが、やめておいたほうがいい。西暦でやったほうがいい。周りの人やビギナーはもちろん、自分自身も一生その暦で生きる保証がないので後で困るからだ。
あと、造語年を書くとき、できれば年月日まで細かく書いたほうがいい。幻日みたいに一年単位だと長過ぎて、自言語の歴史を振り返るときに困るからだ。20xx/xx/xxのように書くのを勧める。
「紫亞数」のようなのもやめたほうがいい。AとBの単語のどちらが古いかは一目瞭然だが、それが何年何月何日なのか、計算しないとわからないからだ。
ARTであっても西暦に準拠しておいたほうが無難である。
セレンはメル暦を使って年単位で幻日辞典を書いたことを大変後悔している。

AIを使って人工言語を作る小説など

2016/3/29 seren arbazard

「球を投げるように速く」というのはよく考えるとおかしい。「投げられた球のように速く」のほうが論理的だ。しかし日本語としては前者のほうが自然。なぜだろう。

『アルカの書』の後になるが『REL』という小説を書く。2091年の日本人がAIを使ってRELを作るという内容だ。タイトルは仮題だ。『REL』を詳細に書くにあたって、アナログ人力とデジタル人力時代の人工言語学が必要なので、必然的に『アルカの書』の後になる。

2016/5/30 seren arbazard 追記

『REL』という小説は『アルカの書』に吸収合併します。『アルカの書』は6/6現在ノート140p分ぐらいになっていますが、まだシーンは1991/7/19と7/27が終わっただけです。
アルカの書はぜひ完成させたいです。遺作になると思うから。

人工言語学事典記事:【保険の「など」】

人工言語学事典記事:【保険の「など」】

2016/3/29 seren arbazard

カテゴリー:表現

日本人は物事を並べて例示する際、「A、B、Cなど」のように「など」をつけることが多い。「など」は英語ではand so onだが、英語文を見ているといちいちand so onをつけることは少ない。
日本語の「など」は「A、B、Cしか思いつかなかったけど、万一Dがあって、そのことを後で指摘されて糾弾されたらやだなとか、逆にあとあとDという都合の良いものが出てきたらサクッと取り入れたいな」という心理から、保険として付けられることが多い。
日本語の考え方は「全列挙」で、漏れがないか気にする。英語やアルカの考え方は「例示」で、だから”like A, B”のように使われ、and so onをいちいち付ける必要がない。
アルカもt, k, x, s wenとするよりova t, k, x, sとするほうが自然である。
日本語と英語の表現法の違いを知らないから日本人はand so onを使いまくり、ネイティブから「変な言葉遣いだな」と思われる。
自然な英語を身につけるには表現法も必要なのだが人工言語はおろか自然言語の教育現場でも表現法を微細に説明することはほとんどない。

人工言語学事典記事:【人工言語屋は自分の発音できる音を自言語に与える傾向】

人工言語学事典記事:【人工言語屋は自分の発音できる音を自言語に与える傾向】

2016/3/29 seren arbazard

カテゴリー:音論

人工言語屋は自分の発音できる音を自言語に与える傾向がある。大抵の人工言語はユーザーが作者一人のみである。作者は、ユーザーの鑑とならねばならないから、自言語の発音が完璧でなければならない。なので普通は自分の母語が持つ音を自言語に与える。母語になくても語学や音声学の習得に拠って発音可能になった音は使用されやすい。
たとえば日本語には[ɹ]がないが、日本の人工言語屋はふつう教養があるので英語の[l][ɹ]などの音声が使われることはままある。
フランス語のrの音やイタリア語のふるえ音[r]なども、これらの言語が有名であることから入りやすい。

その理屈で言えば中国語のそり舌音も採用されやすそうだが、少なくとも日本の人工言語では[l]に比べて[ʂ]はほとんど使われない。中国は日本に近いし話者も多いのにそり舌音はあまり使われない。思えばセレンの母校の学習院の文学部にも、日英仏独文はあったが、中文科は無かった。過去の欧米至上主義の名残で中国語の音声は日本ではあまり採用されないのではないか。

人工言語学事典記事:【自然言語で頻度の高い音は人工言語でも頻度が高い傾向】

人工言語学事典記事:【自然言語で頻度の高い音は人工言語でも頻度が高い傾向】

2016/3/29 seren arbazard

カテゴリー:音論

自然言語で頻度の高い音は人工言語でも頻度が高い傾向がある。特にNATやSHAで顕著。
[t]や[m]を持つ自然言語は多いが、人工言語も普通そうである。[a]を持たない自然言語はないが、人工言語も大抵そうである。逆に入破音を持つ自然言語は少ないが、やはりこれは人工言語においても珍しい。
古アルカは入破音が一つだけあったが、制で滅んでいる。

人工言語屋はAUXでなくとも自分の人工言語を誰かが使ってくれることを大抵期待している。そのとき、自言語がレアな音ばかり使っていたら、他人に使ってもらえる可能性が低くなる。そして何より第一に、レアな音ばかり使うと自らが使いづらい。これが恐らくこの傾向の原因であろう。

人工言語学事典記事:【演劇より生活 】

人工言語学事典記事:【演劇より生活 】

2016/3/29 seren arbazard

カテゴリー:音論

〈俳優制限〉で短編映画『魔法堂ルシアン』が『紫苑の書』ほど受け入れられなかったと述べたが、もしかしたら人工言語屋にとっては台本のある映画よりも日常会話を自然と人工言語でしている動画のほうがインパクトがあったのかもしれない。
セレンとしては普段の生活を録音してupしてそれが何になると考えていたので、ルシアンをわざわざ撮影したのだが、生活音のほうがいいのならセレンとリディア、セレンとネイティブのルシアの話している音声をupしたほうが良かったかもしれない。

2013の時点でセレンが持っていたアルカの会話を録音したデータの中で音声を再生できた最も古いのは、2005頃にセレンとエスタとパルサーが”tu et to?”というゲームをしていたときのものだ。この時代はまだスマホが無いので、ICレコーダーで録った。
3人のうち1人があるものについて当時の中期制アルカで説明する。残る2人はその説明を聞いて何のことを言っているのか単語を当てるというゲームだ。国語辞典ないし百科事典的知識をアルカで言えないと成立しないゲームなので、人工言語を使った遊びとしては極めてレベルが高い。

アルカを身内以外に公開しない方針は2005年にセレンが破るまでリディアもエスタもみな一様に持っていたし、セレンのネット進出後も身内は誰ひとりとして協力しないという方針だった。
しかもこの遊びを録音したときはまだセレンすらネット進出をしていない時代だ。なのでなんでわざわざこんなものを録ったかというと、世間に対する公開とかではなく、単に「後で聞いてみたら二度笑えるぞ」という下らない理由だった。

セレンがネットに進出してから身内はupされるかもという不安で、セレンに録音や撮影をさせないよう圧力をかけていたが、当然セレンはこっそり時折会話を録音していた。
アルカでの会話をupしたほうがルシアンより人工言語屋の心を動かしたのではと考えると、何のために大金をつぎ込んで映画を作ったのかわからなくなる。

注。アルカの会話を録音したもので最も古いのはセレンも使っていた留守番電話のテープである。この電話はバグなのか仕様なのか、録音モードにしたまま電話をすると会話の内容を取ることができた。
このやり方を2つの機種で行った。1994のセレンとフゥシカ(中2)とリディア(小4)らの幼少期の声がわかるのだが、電話機の買い替えとともにこのテープを再生できなくなってしまい、やがてテープもどこかへ行ってしまった。

>TL ~2016/5/15

seren arbazard

2016/3/3
>人工言語カタログ
アルカが載ってるね。トキポナより先に来るっていいのかな?なんにせよ載せてもらってとてもありがたいです。

2016/3/3
声優で一番好きな声は花澤香菜さん。歌手で一番好きな声はやくしまるえつこさん。女の子の声が可愛く聞こえるよう設計されたアルカで歌ったり喋ったりしたら可愛いんだろな。

2016/3/29
>そぶろさん
メル暦とフランス革命暦は関係がありません。
メンツが28人という中途半端な数ですっきりしてなかったんですが、7×4=28と365/28=13(+1)というのを利用し、メル暦ができました。そのメンバの名をそのまま月日に当てただけで、特にひねりはないです。もしメンバが29人とかだったら成立しなかったと思うとぞっとしますね。
メル暦ができる前にラルドゥラの秘密をバラしてた場合もメル暦は成立しなかったと思います。ホラーですね。

2016/3/29
もういっそのことゲス乙女の川谷さんには痴漢冤罪で捕まってもらって、♪「私じゃない、私じゃないの~!」って歌って欲しい。

2016/5/2
>ソーダさん
álsabでもalsábでも分かりますよ。アクサン考によるとálsabなんですが、人によって接頭辞にはアクサンが付きにくいという風潮があったのでalsábという人もいました。造語したてはalsábと言い、やがてそれが本来派生語であるというのが忘れられた頃にアクサン考に従ってálsabになる傾向がありました。というかこれ、アルカ論に載せるべき記事ですね。niasさん、すみませんがダ-デアル体でこの一連のことをHPのアルカ論内に記事立て願いまする…。m(_ _)m

2016/5/15
>ソーダさん
アルカのパングラムは私とniasさんがかつて考えましたが挫折しました。

人工言語学事典記事:【俳優制限】

人工言語学事典記事:【俳優制限】

2016/3/29 seren arbazard

カテゴリー:音論

人工言語が文字で書かれている内は、その人工言語がどのような音声を使用しようと構わない。しかしその人工言語を喋る段階になると、喋る人がその言語の音声を発音できなければならない。
人工言語屋は普通少なくとも自分は発音できる音を選ぶ。そしてそのユーザーはしばしば彼らの母語にその音がなくてもその人工言語を喋れる。というのも人工言語屋や人工言語クラスタは一般に言語学や語学の教養があるためである。

人工言語界内で人工言語を使っている内は良いのだが、もしその人工言語が商用として採用されたりしてアニメ化やドラマ化や映画化やラジオ化など、音声を伴うメディアになった場合、しばしばまずいことになる。というのも、人工言語屋は俳優でも声優でもないのでプロの仕事ができず、アフレコ要員にすらなれない。逆に演技のプロは当たり前だがその人工言語を話せないので、その人工言語の音を正確に発音できない。
そういう理由で、映像化やラジオ化に関して人工言語は俳優の出せる音という制限を受ける。これを〈俳優制限〉とする。
2016年初頭の時点のドスラク語のWikipediaの日本語版では、ドスラク語は「俳優が発音しやすく学びやすい」という制約のもとに制作されたとある。俳優に音声のレベルから習得させ、アクセントやイントネーションまで完璧に真似させるのはかなり難しい。
ドスラク語はアメリカの『ゲーム・オブ・スローンズ』というファンタジードラマで使われた人工言語である。ファンタジー世界なのに現実のアメリカ人俳優が学びやすい音を選ぶという現実的な制約を受け入れている。映像やCGは素人目にも凄さがわかるので頑張るが、人工言語は素人目にはわからないので妥協する。こんなに金と時間をかけてすごい映像を作っているのだから言語の部分もきちんと俳優を教育して、音声もアクセントもイントネーションもしっかり訓練させればよいが、見えない部分には金をかけないということなのか、映像と人工言語の出来がチグハグになっている。『ラストサムライ』で渡辺謙の英語が良かったという評価を読んだことがある。『WASABI』でジャン・レノと共演した広末涼子のフランス語も日本人にしては良く出来ていたし、本人も2016に日曜シネマテークというラジオで「未だに台詞を覚えている。とても練習した」と述べた上で長尺の台詞を披露していて見事だった。自然言語はネイティブがいるので下手だと馬鹿にされるから、俳優もスタッフも頑張る。一方、人工言語は誰にも指摘されないので俳優を人工言語に合わせるのでなく人工言語を俳優に合わせる。こういう俳優の音という制限を映像化された人工言語は受ける。

セレンもまたこの問題に直面したことがある。ひとつは渡辺しまの『エスとエフ』という漫画に登場するパラディス語の制作を依頼されたことだ。このときはセレンもドスラキ語の作者のピーターソンと同じくこの漫画がもし売れてアニメ化された時に声優が困らないようという配慮のもと、日本人に発音しやすい音のシステムを組み上げた。
こうすると日本の声優の発音できる音という制約を受けてしまい、宇宙人の言葉っぽくなくなるが、それでも良いかと渡辺氏に問うたところ、構わないということなので踏み切った。あれはドスラク語と同様ご都合主義な商用言語であった。

もうひとつはセレンがアルカで制作した短編映画の『魔法堂ルシアン』である。主人公を演じるセレンは子役の経験があるからいいとして、物語のストーリー上、10歳ぐらいのアルカの話せる俳優が必要だったのだが、そういう女児が知り合いにいなかった。
アルカは女性は音素としては英語と日本語を話せれば問題ない。配役上、少女は黄色人種でなければならなかったので、英語が話せる日本人の少女を探した。
しかし2012年当時の日本では英語はふつう中1、12歳になってから習うものだし、発音もきちんと教えない。10歳で日本語・英語両方喋れる俳優の手配は難しかった。しかも日本語・英語両方話せるとしても、アルカ独特のリズムやイントネーションがあり、これも再現するとなるとほぼ絶望的だった。なのでシナリオ上は日本語に良く似た凪霧というカルディアの人工言語を母語とする少女ということにして、セレンはアルバザードの正しいアルカを、少女には方言のアルカを使ってもらうことにした。ところがこの少女がすごかった。

セレンは予めmp3に少女の台詞を標準語のアルカで吹き込み、その音訳をアルファベットとカタカナにしてtxtとともに少女に渡した。最悪、カタカナ発音でも良いと考えていた。ところが少女は音声とかのレベルでなく、セレンが吹き込んだ台詞をまるでオウムが人の言葉を真似るようにアクセントやイントネーションまで一緒にまるごと覚えて収録現場に来たのだ。当のセレンは台詞を暗記しておらずアドリブを入れて喋っていたのに、少女は全て暗記していた。もちろんところどころ発音の至らないところもあったが、彼女はすごかった。

こうして『魔法堂ルシアン』は「俳優の使える音がその人工言語を映像化やラジオ化したときの限界」という壁を破った世界初の例となった。それどころかそもそも人工言語のみで作られた映画(動画でなく)自体、これが世界初であった。しかし『紫苑の書』ほどその特長や新規性が世間からも人工言語屋からも評価されなかった。