人工言語とピジン

2016/3/27 seren arbazard

セバの『接触言語 ピジン語とクレオール語』読みました。
2章が面白かったかな。古アルカが本の通りの進化を概ねしていて、人工言語とピジンには共通点があるのでは?と思いました。意外だったのは、人工言語学の作業階梯における語法以右の問題をセバすら取り上げていなかった件です。語法や表現法が人々の間で異なるのは異民族間でコミュる以上、人工言語でもピジンでも問題になるはずなのですが……。古アルカでは90sに既に問題になっていたのに。
セバを読んだら今度は言語の起源について知りたくなりました。もちろんシャバで読んだことはありますが、私が知りたいのは。クンクン説とかそういうプリミティブなことではなく、なぜSVOやSOVという語順のバリエーションが生まれたかとかです。語彙同様統語もまた恣意的とでも?そうは思えない。恣意的ならSVOとSOVで9割を占めるわけがない。なぜ言語の類型はあんなに多様なのかが知りたい。
RELについて考えたとき、一体何がとある人工言語をSVOたらしめたのか、隣国や文化、風土、歴史などからその人工言語がその類型であらざるをえない理由があったはず。単に民族の気まぐれでその人工言語がその類型になったとは思えない。それを知りたいが、niasさんはどう思いますか?私はバタフライもカオスも含め、微分していけばすべての出来事はライプニッツの因果律があって、なにか原因がある。その結果があり、その因果の累積でカオスも起こると考えています。なので日本語がSOVなのも英語がSVOなのも歴史的必然とは思うが、ではどの要素、どの出来事が日本語のSOVや英語のSVOを決めたのか、そういうことを知りたいが、どう思いますか。またそのような資料はありますか?

アルカは小さな世界だと思う。30カ国くらいあって少人数で人工言語をSHAしたので、上のようなことを世界規模でなく個人規模でやったものだと思う。だから小さな世界。アルカの分析がこの問題の答えの一部を明らかにするかもしれません。

史料『アルカ』

2016/3/18 seren arbazard

アルカの書を書くために2003に書いた『アルカ』を読んでいます。ちゃんと読み直すのは初めてか久しぶり。これ、とても良い史料。『制定語彙系幻字』より遥かに良い。赤アンクノットの語彙とエクスプローダーに加え音象徴も書いてあって、「セレン△!」と思った。

『アルカ』

p31の「高水準制定語彙」は1998で、制定語彙が濡れたのは2002だから、油性インクを使ったのは「制定語彙の雨の失敗を活かして」ではない。

ドスラキについて

2016/3/11 seren arbazard

先日Wikpediaとドスラキをディスったけど、Wikipediaはともかくとして、ドスラキが載るのは当然ということを知った。ここはテレビも何もないのでヤンマガを買ってるのだが、14号の表4にゲームオブスローンズの広告があって、私はこれってただの洋ゲーか何かとそのSS小説なのかな?って認識をしてて(なぜならネットがないから)、6000万部売れた本でかつドラマもヒットって、そりゃドスラキ載るわと思った。CGが凄いだろうから、世界観もすごく細かく描写されてるんだろうな。なら言語も素人騙しのいい加減なものでは釣り合いが取れないだろうなと思った。
でもドスラキのPetersonの本には語法とかまでは述べられてなく、人工言語的にはVerdurianレベルかなと残念に思う。釣り合いが取れない。IPBEだ。

小説を読むのがすごく苦手

2016/3/7 seren arbazard

私は小説を読むのがすごく苦手です。漫画みたいに絵で説明してくれないとキャラや場所を把握できないからです。自分の書く小説に基本登場人物が少ないのは理解しやすいからかも。ドラマや映画やアニメも苦手です。自分のペースでなく話が進むので。私は漫画の気に入ったシーンをじーっと色んなアングルから60秒ぐらい見ていたりする癖があるのですが、アニメだと難しい。ページを遡って読みなおすことも多いけど、漫画は遡りやすいけどアニメのシークバーは使いにくい。シュタゲや弟切草は好きだったのでノベルゲーは多分いけます。

アルカの書について

2016/3/7 seren arbazard

紫苑の書を書いたのが2006なので、10年経ったことになる。去年から紫苑2的なものを書きたくて試行錯誤してる。私の代表作は今後何をしても紫苑であり、あれ以上に耳目を集めるのは私の力では無理だと思う。でも生き延びた以上は何かしたい。それで紫苑2的なものを考えていた。今考えているのは、『アルカの書』というタイトルで、「四半世紀かけて人工言語を作った人々」というサブタイで、キャッチコピーは「登場人物が作中で人工言語を作る小説」だ。紫苑は異世界に言って人工言語を学ぶという点が画期的だったけど、今回は読んでる間に人工言語ができあがるというのが特徴となる。紫苑のときもそうだったが、まぁニッチである。でも、そういう小説があったら人工言語史的には面白そうかなと思った。このコンセプトで、JK4人ぐらい集めて「架空言語創作部」とか作らせてその中で人工言語を一本作ってみようかとも考えたが、そういうフィクション言語より、現実の自分たちの人生のほうがよっぽど物語として面白いのではと考えた。
付け焼き刃の人工言語を作中で作るより、25年かけて実体験をベースにしたフィクションのほうが面白いと思った。ちなみに、なぜノンフィクションにしないのかというと、単に史料が足りないからだ。

ミロク統治下における経済的格差の扱い

2016/3/7 seren arbazard

格差があることは問題じゃない。ビル・ゲイツはいてもよい。ただし貧困がいてはならない。一部の金持ち、残りは皆中流という格差社会なら歓迎する。一方既得権益については「自分の力でのし上がった者は良い。ただその親族のうち貢献してない奴や特に二世、てめーはダメだ」と思ってる。それがミロク革命。
だから紫苑の書のアルシェには義兄弟のサラがいた。もしアルシェが愚鈍だったとき、養子のサラが跡を継げるように。

今後の作業手順

2016/3/3 seren arbazard

『アルカの書』を書きつつ、都度人工言語学の記事を書き、dkの語法欄などを拡充していきます。『アルカの書』を書くにあたって下調べが必要です。それには日幻と、前に頼み申した「造語者と造語年別単語リスト」がまず要りますのでよしなに。面倒くさい案件で申し訳ないです……

アルカの書はフィクションとして書く

2016/3/3 seren arbazard

アルカの書、史料がない。時代が多いし、アナログ資料やPCに移行してからのデータは2013に母に廃棄されたし、ネットにupした一部の史料しかないので、ノンフィクションは無理だね。なので実体験を元にしたフィクションとして書くよ。「ちびまる子ちゃん」みたいな感じだね。母語の異なる人々が四半世紀かけて人工言語作るとどういうふうに言語が作られるか。人工言語をみんなで作るとどんなことが起こるか。事実は小説より奇なりという人生だったから、自分の人生そのものがひとつの物語になる。オチがムショるとか、我ながら波乱万丈。

アルカディア

2016/2/28 seren arbazard

アルカはNATです。2015にRELについて考えました。2016に【世界の沼】に気付き、[LIM,SHA]としてのアルカは一体どのようなものだろうかと疑問に思いました。仮にこれをユマナのアルカという意味で幽幻とします。幽幻において共有される人工世界を仮にアルカディアとします。カルディアとアルカディアの違いについて述べます。カルディアは異世界です。FTでIMGです。アルカディアは現実にある形のない人工世界です。REAです。アルカのユーザーが共有している実体を伴わない想定上の人工世界です。
アルカディアは人工世界なので文化、風土、歴史を持ちます。メンバー(アルカの作者やユーザー)が自分or自分たちにとって必要と考えた概念はアルカで名が付けられ、アルカディアに持ち込み(import)されます。図にするとこんな感じです。
Image
例えばセレンは日本育ちなので布団というものが必要だと思い、これをアルカにしてアルカディアに持ち込むとします。一方リディアはベッド、メルは2ch、niasはノベルゲーなど、自分(たち)にとって必要な概念を取り込むとします。
※これはあくまで喩え話で、実際にmokt(ベッド)などを造語したのはセレンです。

セレンは寝具が布団だけでなくベッドもあるということを知っています。なので他のメンバーや自分のためにベッドも持ち込むことがあります。するとメンバーの中でベッド派と布団派が生じます。このときセレン(ら)はアルカディアにおいてどちらが無標かなどといったことを論議ないし考察し、moktの文化欄が出来上がります。これが[LIM,SHA]な幽幻における文化になります。一方、メンバーは自分の架空のアバターをアルカディア内に置き、住む場所を決めます。アルカディアの地図はカルディアのそれと同じで、ユーザーのアバターは自分にとって最も住み心地の良い場所に住みます。住む場所によって布団が無標だったり、有標だったりします。例えばあるバザードではベッドが無標で、凪国では布団が無標というように。こうして架空の形のない風土が生じます。カルディアにおいてはイルムスが歴史ですが、アルカディアにおいてはメンバーのアルカの活動歴がその世界の歴史になります。こうして文化、風土、歴史が生じ、アルカディアは人工世界として成立します。人工世界は普通、異世界や宇宙にある地球と離れた星として作られます。カルディアは異世界物です。一方アルカディアは人工世界ですが、現実にあるのが特徴です。「現実にある」といっても有形ではなく、メンバーが共有する設定上の世界です。幽幻における造語は、「私達の共有世界に××が必要だから世界に××を持ち込む(import)」という風になされます。アルカのメンバーは1980年代以降生まれが多いので、計算尺(looza)という語は本質的に必要ありません。対数尺や計算尺の歴史なしに電卓の存在はありえないわけですが、メンバーにとってその歴史はいらず、現に必要である電卓のみについて考えれば十分ということになり、LIM感が出ます。conworldingに過ぎることなくconlangingに集中できます。

[LIM,SHA]な人工言語をアルカで考えると、こういう感じでしょうか。精巧なconworldは世の中にたくさんあって、カルディアより上質なものがあります。というかconworldって大抵小集団ではまともに作れず、ゲームや映画会社に質も量も勝てないんですよね。ハリポタもUSJとかあるし、設定資料のすごい細かいのとかあるし、到底勝てない。カルディアやフォルメアがUSJ上にコンテンツを作ってもらえる未来が見えない。アメリカ相手に竹槍で特攻するようなもん。でもアプローチを変えると戦える。アメリカが未だにテロやゲリラを倒せないのと同じ。conworldをRELで作ると物量で勝てないけど、LIM,SHAとかだとやってける、的な。LIM,SHAのメリットって、conlangingに集中できるだけでなく、少し現実から離れた芸術的な使途とか、特定の相手と世界観を共有できるとかもあると思います。私とリディア、私と紗智枝。この2つの関係において、アルカは二人の言葉で、外界との断絶、結束力強化になっていましたし、元々私にとってアルカってそのためのものですし。あと異世界とか別の星とかいう人工世界って食傷気味だけど、現実の人が現実上に形のない世界を作って共有して自らのアバターを住ますという言語観は比較的珍しいかなと。niasさんの意見も聞かせてください。

アルカを中途半端なRELにするかLIM,SHAを極めるかの二択。今までの私のやってきたことは前者だが、性格的には極めるのが好きなので後者かとも。どっちにするか決まらんとアルカの作業ができないです。
つーか、人工世界を企業に投げて自分は人工言語のみやってREL作るのがそりゃ理想なんだが、何百億という金がかかるから無理!LIM,SHAはリディアとの世界を実現できるという点で魅力的でもある。それ、アルカの本質だったよね……。
なんていうか、RELは「異世界に行く」感じで、LIM,SHAは「異世界が来る」感じ。この感覚伝えるのが難しいけど。

アルカとSHAとLIM

2016/2/24 seren arbazard

先日TLで鮎川さんが、「アルカの動きがなくて心配」と言っていた件について。ここのとこ人工言語学の概論づくりに忙しかったので、アルカは止まっていました。アルカの作業を『アルカの書』と人工言語学と平行して再開します。
具体的には幻日初版のレベル4以降の校正、文化欄修正、語法欄強化、語法以右の作業など、辞書を中心とした作業になります。

鮎川さんたちの、凪霧からマレットに遡ってフィーリアまで戻り、そこから下ってアルバレンまで降りていくという壮大なプロジェクトは素直にすごいと思います。これからも見守りたいと思います。

初代に始まり先代が企画して私らが作ってオンラインユーザーが引き継いだという意味でアルカはSHAです。

ときに、人工世界についてですが、カルディアを作りこんでカルディア系人工言語をREL化するという考えと、conlangingに集中して人工世界はあえておさえてアルカをLIMとして進化させるかで意見が分かれると思います。あくまで私の意見ですが、去年の10月の段階では私は前者よりで、多分Rosenfelderの”Conlangers Lexipedia”もそのベクトルにあると思いますが、〈世界の沼〉に足を絡めとられそうになって、「conlangerであり続けるためにはどうすればよいか?」と考え、〈LIM〉を考えましたが、RELとLIMのどちらにアルカを振るべきか迷います。

NAT系の人工言語をやってるconlangerやconlinguistは似たようなステップを踏んでいくように見えます。NAT→REL→LIMという過程がそれです。RosenfelderはLanguage Construction KitとPlanet Construction KitでNATに行き、Conlangers LexipediaでNATとRELの間を渡っている途中です。conlinguistの考えることは皆似ていて、みな同じようなことを考え、同じような過程を経て、同じような道を進みます。ドスラキのPetersonやLanguage Creation Societyも似たようなもののようです。
NATを突き詰めるとRELを思いつきます。そして「RELは現実的に作りきれん」という問題に気づいてNATに戻るかRELを腹に抱えたまま停滞します。そこをコペルニクス的転回で、「そもそも自分はconlangerなんだから、人工言語に必要な分の人口世界しか作る必要ないよね」と割り切ることで山を超えてLIMに軟着陸します。で、このLIMの考えは、以外にもNAT以前の初心者のレベルの人がよく思いつくことなのです。必死こいて作業して考えぬいた結果、一番最初に思っていた「勘」が「合ってた」ことを理解します。アルカに山型理論というのがありますが、dkに載っているので見てもらうと、これは典型的な例だなと分かります。

LIMの考え自体はビギナーでも思いつくのですが、NAT方向に突き進んでいくと一周回ってLIMに戻るまで難儀です。SHAも考え自体は単純で、日本もグモソとかありましたので、別に私が名付けたのはともかく考えだしたものではないのですが、SHAは人を集めなきゃいけないし、その中間はある程度有能でないと駄目ですし、すぐに辞められても困るので、なかなか実現しないから、アルカのような成長した実例があまりないのですよね……。