カルディアの創世記

2015/11/4 seren arbazard

最初にarkadiaにarmaがあった。アルカディアが2つに分かれ、ユマナとカルディアという世界ができた。ユマナは正物質の世界で、カルディアは反物質の世界である。viidはカルディアに偏在した。アルマは2つに分かれ、それぞれの世界へ行った。ユマナに行ったほうをseren[sɛɹɛn]といい、カルディアに行ったほうをrydia[ɹɪdɪa]という。serenは1991/7/19日本時間20:00に、地球にいた1981/2/4生のある少年の体に入った。この少年は後に[θeɹɛn]と呼ばれ、2001にseren arbazard[sɛɹɛn aɹbazaɹd]と呼ばれるようになる。一方、カルディアのrydiaはarte[aɹtɛ]とも呼ばれるようになる。

アルテはセレンをカルディアに転生させ、融合し、酷似した星をカルディアで探し、faal系の第三惑星のatolasを見つけた。カルディアの終末から64,989,112年前にrydiaはエルトとサールに分かれた。二人はアトラスで一公転ごとに一日逢瀬をするようになった。この頃、アトラスではrydiaの読み通り、後に人へと進化する霊長類がいた。
二人はその霊長類そのものにはならず、彼らを参考により知的に進化させた形態をとった。この霊長類は終末から約20万年前にはホモサピエンスに進化していたが、これは終末から6400万年前に二人がデザインした形態に酷似していた。
二人が終末から約6400万年前に定めた形態を霊人型という。なお、終末から約20万年前にヒトへと進化したホモサピエンスは生じてまもなく二人の子孫であるユーマの一族がもたらした病原菌により滅んだ。
rd時代になるとrydiaが仕組んだ通り、メルティアとヴァンガルディにより、ユマナからセレンがカルディアに召喚された。双界間にある異界の門をくぐる際に、物質の正反は逆転する。

Reallangについて再考

2015/11/4 seren arbazard

ReallangはREA(Real Language)とREL(Realistic Language)がある。REAについては既に述べたもので、制作不可能で、例はない。一方、世界の成り立ちからできるだけ定義し、ある星に知的生命体が生まれ、彼らが言語を生み出すところ、またそれ以降の歴史までをできるだけ定義した人工言語のことをRELという。

すると必然的にRELは+PRI(アプリオリ)であり、+PRIな人工世界を持っていることになる。NATURALは±PRIで、±IMGである。現実の自然言語のような人工言語をNATと呼ぶにすぎない。したがってREL⊂NATという式ができる。またRELはArtlangの下位区分である。
アルカや凪霧はNAT→RELに変化した言語で、これから私が作るfiilia語などは初めからRELとして作られる。

◆RELとREAの違い

作り方の過程は同じ。REAはその過程のすべての要素を定義(シミュレート)する必要がある。RELは+Tで-A(非恣意)であることはREAと同じだが、世界のすべての要素は定義しなくてよく、設定に矛盾が出ない範囲で出来るだけ現実的であるかのように精巧に作られ定義される。
喩えるなら、REAが写真なら、RELは精巧な写実主義の絵である。

ミュルカルムについて

2015/10/12 seren arbazard

宇宙は広いので知的生命体がいる星もあろう。環境が地球に似ない星の知的生命体もいるだろう。アトラスについては、ヴァンガルディやメルティアが、ユーマの一族に最も良く似た種と文明のある星から人を召喚した。それがセレンや紫苑だった。なのでアトラスは地球に似ている。彼らはたくさんある知的生命体のいる星々から最もアトラスに似た星を選んだ。アトラスに似ている星がある確率はとても低いが、それを補うほどたくさんの候補となる星があったため、地球は彼らより発見され、選ばれた。

このことをdkのミュルカルムに補足してください。

Reallangの実現性について

2015/10/12 seren arbazard

私がネット・本屋なしに、かつ非ニート状態でREL∧T(辻褄が合う)を作れるかと言ったら、工数的に無理ですね。アルカにせよそれよりも小さな世界にせよ。
そして細かいハウツーは「Wiki読んでどうぞ」になる。なので細かくないハウツー、つまりガイドブック――即ち、REL∧Tをやるならこういうとこ考察しないと無理よ――的な本が要るんだろうな。そしてそのハウツーは人工言語学の一翼にすぎない。

そしてそういうガイドブックなら人工言語学の一つとしてここでも書けるなと判断した。

2015/11/4

Reallang(REA)はたとえ一万人集まっても作れない。世界の全てをシミュレートするなど工数が膨大すぎる。人類は明日の天気すら100%正確に予報できない。日本の面積など地球の1%にも満たないのに、その天気を予想するのに全世界の気象データを使っている。
そこまでやっても100%は当たらない。なのにどうして世界ができて言葉ができるまでの歴史をリアルに作れようか。

サイト移転しました。

nias記

2013/5頃に暫定ミラーとして http://conlang.echo.jp を設置して2年半になりました。
このたび http://conlinguistics.org に移転し、公式サイトとして運営していくことになりました。
構成や内容は今のところ特に変更しておらず、古いリンクもそのままリダイレクトされるようにしていますが、conlang.echo.jpにリンクしてくださっている方は折を見て新アドレスに変更していただけると幸いです。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

移転に際し表示できないページとかあるかもしれません。その際はご報告いただけると幸いです……

アルカの語彙は多くない

2015/10/9 seren arbazard

アルカの語彙が万超えしていて凄いとかツイで言われているのを見ます。
過程を見てもらえてないなと残念に思います。
単に語彙を作っていくなら、数年で万くらい行けるものです。アルカももし1991年から単にコツコツ一人で作り上げていたら今頃10万近くの語彙があったでしょう。
アルカ史を見れば分かるのですが、古、制も12000~15000、新生で2万。なぜこんなに伸びてないかというと、実用を通して既存の語をチューンアップしているからです。何度も改定してきたからです。
その過程抜きに2万で凄いと言われると悲しい。単に作るだけなら24年でとっくに10万は行っていたでしょうから。

アーモンドチョコレートの考察

2015/10/7 seren arbazard

『ジーニアス和英辞典第3版』をアルカに訳していこうという作業をしていた私は、p1ですぐ手が止まってしまった。「アーモンド」の用例として「アーモンドチョコレート」(an almond chocolate)というのが載っていた。和英というのは日本語話者が英語で言いたいと思うであろうことを載せた本であるか、紙の辞書では紙面の都合があるため、日本語話者が引きそうにないと思われるものは捨象される。

ここで私はふと考えた。「アーモンドって何と組み合わせて食べるものなのかなぁ」と。
日本で34年過ごしてきた私の経験では、アーモンドはくるみやカシューナッツやマカダミアナッツとのアソート木の実として袋詰で売られていたり、給食にも出たアーモンドフィッシュと言って小魚とアーモンドを混ぜた小袋、そしてコンビニなどでも頻繁に見かけるアーモンドチョコレート、この3つくらいしか日常生活でアーモンドを頻繁に見ることはない。
多くの日本人にとっても、アソート木の実やアーモンドフィッシュは馴染み深いだろう。それでもこの中で最も見かけるのはやはりスーパーやコンビニで見かけるアーモンドチョコレートであろうと思う。おそらくジーニアス和英の編集者や執筆者も同じように検討して、アーモンドチョコレートのみを用例にしたのだろう。

さて、ここからが人工言語学者としての疑問。言語学者にはない視点。
つまり、「あれ?アルカにおいてもアーモンドはチョコレートと組み合わせるのが最もポピュラーで、辞書に載せるべきなのか」と。アルカの場合は、カルディア特にアルバザードの文化や風土が背景にある。
日本人にとってアーモンドチョコレートが用例になるほどだったとしても、もしアルバザードにおいてアーモンドフィッシュのほうがよく見られるのなら、dkにおいてはアーモンドチョコレートではなくアーモンドフィッシュを用例として立てたほうがいいのではないかと思ったのだ。というのもdkはカルディアを反映しているので、つまり迂闊にdkにアーモンドチョコレートを載せるとカルディアにもアーモンドチョコレートがあると誤解されるので。
これは一部の工学言語以外のすべての人工言語においても重要な疑問ではなかろうか。そしてもしアーモンドチョコレートがアルバザードでも最も一般的としても、果たしてアーモンドチョコレートをアルカに訳してdkに載せて良いのだろうかというさらなる疑問が起こった。つまり、本当にアルバザードにはアーモンドチョコレートがあるのかということである。
サイコロカレンダーのように、その世界or国に無いとして、捨象するか、最低でも[ユマナ]タグを付けるべきものではないか。大らかな人の目から見ればアーモンドチョコレートはどこにでもあると考えるかもしれない。では本当にアーモンドチョコレートはどの世界にも当たり前にあるものだろうか。それについて私は考えた。

まず、アーモンドはバラ科の高木で、西アジア原産である。BC8000頃にはギリシャで食べられており、BC3000頃には地中海東部で栽培されていた。ところがアーモンドの野生種はアミグダリンが含まれ、これが体内でシアン系毒物になるため、有毒である。つまり、本来アーモンドが食用として栽培されていない可能性がある。我々の世界では、突然変異として無毒なアーモンドが人に発見され、その種が後に栽培されたため、たまたまアーモンドはある。しかし、本来有毒なアーモンドがどの世界でも栽培されているかは怪しい。この世界では上述の通りBC8000頃ギリシャで食べられており、それは考古学だけでなく、言語学的にも語源的な裏付けがあり、almondを遡るとギリシャ語のαμυγδαλήまでは特定可能であり、これは考古学上の推論と合致する。
一方チョコレートは17世紀のナワトル語のxocoatlまで遡れる。xococは苦いという意味で、atlは飲み物という意味で、ネイティブアメリカンの間では薬用などとして飲食されていた。少なくともこの時点では現在の我々が想像する甘いお菓子ではなかった。チョコレートの原料はカカオであり、カカオは中南米原産のアオギリ科の高木である。
アーモンドを持つヨーロッパ人がカカオに出会ったのは16世紀のことである。以上から、アーモンドチョコレートができるには、まず本来有毒なアーモンドの中から無毒なものを栽培し、かつカカオがあった新大陸に行き、さらにそこから甘いチョコレートを製造し、かつそれらを組み合わせなければならない。BC8000のアーモンドから16世紀以降のチョコレート、この要素が集まるまで9500年ほど掛かっている。21世紀の日本人がコンビニで当たり前にアーモンドチョコレートを買い、アーモンドとの組み合わせと言ったらフィッシュやナッツよりチョコレートだなと判定し、ジーニアス和英辞典第3版にアーモンドチョコレートという用例が立つまでに実に1万年の時間がかかっているのである。こうした歴史的な事情を勘案すれば、カルディアないしアルバザードにおけるアルカにおいて、その辞書であるdkにアーモンドチョコレートを載せるのは当然のことなのだろうか?と疑問に思ったわけである。

さて、人工言語作者諸兄に問う。言語というのは積み重ねてきた歴史を反映しているので、あなたの人工言語に日本語や英語に当たり前にあるものを何も考えずに取り入れるのは、果たして妥当だろうか、辻褄が合うだろうか?言語というのは世界の上に乗っている。世界は文化、風土、歴史からなる。世界を欠く人工言語は一部の工学言語にしか無い。それ以外の人工言語を作る人工言語作者は、一つの語、一つの項目、一つの用例を書くにも、検討が必要で、このアーモンドチョコレートが教えてくれる教訓を常に意識すべきではないだろうか。
ちなみにアーモンドチョコレートのもう一つの深さを言うと、この語はアーモンドについてギリシャ語から英語にまで引き継がれ、日本語にも外来語として入り、チョコレートについてはナワトル語から英語を経て日本語に入っている。言葉の歴史の複雑さも眼を見張るべきである。

RELはもちろんのことNATにおいても、いかに一つの人工言語を作るだけでは不十分かということを痛感させられる。人工言語を作るということは世界を作ることなのだなということが身に沁みた。

RELの作り方をまとめるべきか

2015/9/30頃 seren arbazard

俗幻を書いていて思ったこと。
アルカの用例や語法を書くと思うのは、ムショは外国語記載禁止なので、an tiia tiなら「私 あいする あなた」のようにノートに書いているのだが、この日本語を使った用例の書き方をしていると、アルカというのはできるだけ脱文化、脱成句、脱認知化した言い回しが多いなということに気づかされる。
これは結局28ヶ国からなるアシェットの連中と意思疎通するための結果なわけだが、アルカを日本語に直訳するほど、アルカは汎用性のある言い方(話法)を好むなと思った、その上でアルカにはアルカなりの固有な語法や話法や成句があり、1つの独創的な言語となっている。

さて、アルカをREL化しようとして俗幻などの作業をしてると、アルカは1つの言語でしかなく、もはやそれを使う国際的な集団は解散しており、使い道のない汎用性のない言語を作ることに意義はあるのかという悩みにぶつかる。
しかし意義がないわけではなく、RELは人類が今まで一度も作ったことのない人工言語なので、それを実現するという点では意義はある。しかし、それより意義のあることで自分ができることであれば、そちらを優先すべきではとも思う。たとえば、RELの一例を作るより、RELを含んだあらゆる人工言語の作り方をまとめる方が後世の人工言語屋にとって便利で汎用性があり、意義がより大きいのではと思う。
NATを作る分には「言語学書読んでどうぞ」の一言で済むが、RELとなると人工世界製作から始めないとならないし、世界の全てに詳しくなければならない。世界の全ての中には当然人工世界製作に不要な部分もあれば、人工世界を組み立てるのに必要な知識もある。するとRELを作る人には「世界の全てを学んでどうぞ」とはいえない。だって世界の全てなんか会得できないから、寿命的に。
となるとRELのときはNATのときのような突き放しができない。RELをやる人には「世界の組み立て方」から教えなければならない。またREL以外の、特に工学言語については、言語学を学んでも何の役にも立たないので、これらについてもHow To本を作る必要がある。

というわけで、人工言語の作り方を05~13のときより強化し、RELにも新たに対応できるようにしないといけない。
で、そうやって人工言語全般のつくり方について考えるほうが、単品のアルカをやるより意義があると思う。とはいえ理論だけでは机上の空論なので、実際にアルカでRELを作ってみる実験もしなければならない。
ただ私の余命や病によるソルベ制限、収監されていることなどを考えると、私はせいぜい下地を作るか枠組みを作るかで終わりそうであり、サクラダファミリアのようにバトンタッチできる後世の人材や現在の協力者がいないと、できる量には制限があるなとは思う。考えてみればウィルキンスの真正文字もグループ研究で、ザメンホフにも協力者がいて、一人で全部やるというのは人として無理なんだろうなとも思うが、現実問題を別に人工言語なんかなくても困らないわけで、当然一人で研究するしかないのかなとも思う。

まぁ、なんにせよ、牛歩でも歴史は私たちの手によって進んではいます。「着実、勤勉、自主」。高校で習った校訓のままに。

カルディアのREL化試案

2015/9/26 seren arbazard

カルディアをRELにするため、アプリオリ性を高めてユマナと異なった宇宙にします。とはいえセレンがrdで転生できなきゃ物語が成立しない(紫苑も同様)ので、地球と似た環境の宇宙を選びます。ユマナだけでなく複数の宇宙が物理学的に存在し、各宇宙にものすごい数の銀河があるのだとしたら、どこかの宇宙のどこかの銀河に太陽系や地球に似た環境がある確率は高い。
ヴァンガルディやメルティアはアトラスに似たこの地球を選んで紫苑やセレンを召喚したことになる。
ただ、あらゆる要素がユマナの太陽系とまったく同じであるというのはいくら宇宙が無限にあったとしても、ご都合主義的である。そこで、カルディアはカルディアなりのオリジナルな宇宙にする必要性が出てくる。例えば太陽系では惑星は8つだが、カルディアではfaal系は9つの惑星を持つといった違いがある。また、xeltと月の大きさや距離も地球とは異なる。アトラスの大きさも公転・自転周期も地球と異なる。たとえばうるう秒の挿入時期などは地球とアトラスで異なる(とはいえセレンや紫苑が生存できる程度の差に抑える必要がある)。当然暦なども少し変わる。

カルディアとユマナは双子宇宙という根本は変えない(これはリディアの絶対譲れない部分だろうから)。
ユマナは正物質の世界で、カルディアは反物質の世界。神話というかこれらの2つの世界は、元は1つだったという説にする。もともとユマナとカルディアは1つの世界で、これをarkadiaと呼ぶ。存在していたのは太極図のようなデザインの球体で、これをacma t’arkadiaという。この白と黒はそれぞれrydiaとserenという名であり、この2つは1つの存在として結びついていた。彼らが分離したとき、正物質の世界であるユマナが生まれ、反物質の世界であるカルディアが生まれ、セレンはユマナに、リディアはカルディアに行った。この分離の際、viidはリディアに偏在し、かくしてヴィードの無い世界とある世界に分かれた。この分離のとき2つの世界ではビッグバンが起こっている。

セレンとリディアは対(つがい)の神で、分離したリディアはエーステが変わり、そのエーステはcukitefausvirtes(ルキテファウスヴィルテス)であった。2つの世界の差異は片方はセレンがいて片方はリディアがいるということ。そしてカルディアにヴィードがあったということのみ。
スタートラインにおけるこの小さな差がバタフライエフェクトを生じ、2つの世界はアシンメトリックに各々別な形として発達していった。なので、たとえばdefansはデネブの幻名だが、defansとデネブは位置や大きさが互いに異なる。あくまでdefansはデネブの相当物にすぎない。地球から見えてもアトラスからは見えない星もあるし、その逆も然り。
これがfial以前の創世記。イルムスにも追記してください。
なお、このルキテファウスヴィルテスがアルマ・エ・カルディア、すなわちいわゆるアルマである。ちなみにユマナに行ったセレンのエーステ(真名)はユマナにヴィードがないため、不明である。

アトラスと地球の最たる差はパンゲアの形や大きさで、ゆえに大陸の形が異なる。時代的にはたとえばアトラスには日本にあたる島国はなく、海面の下である。地球では700万年前に人類がアフリカで生じ、100万年前頃までにはユーラシアへ渡っている。一方アトラスではljから見て600万年前頃(以下、smでsa mel=メル歴前の略)にヒトが生まれているが、20万年前にはユーマの一族との衝突により、滅んでいる。滅んだ要因は北ファベルで家畜を養い定住していた牧畜民となっていたユーマの一族が持っていた天然痘などの病原菌である。

エルトとサールの形質。
アルマは男神(エルト)と女神(サール)に分かれたが、sm6500万~sm100万頃にかけて、フィーリア島での逢瀬に好都合なよう、自らのDNAを書き換え、形質を変えている。彼らは知的生命体であり、アトラスに生じていた中で最も知的だった霊長類をモデルに、ヒト型に形質を変えている。彼らの死体から生じた12柱の神々もヒト型の形質を引き継ぎ、それはユーマの一族も同様であった。ホモサピエンス(ヒト)との違いは、寿命の長さ、ユニス(神睡)の有無、その他ヒトにはないxitan(紫丹)を作り蓄える紫孔の有無などで、つまり喉頭の仕組みなど、様々な部分でヒトと異なっていた。
ヒトとアテンのDNAは似てはいるが異なり、ヒトとチンパンジーが交配できないのと同じで、アテンとヒトも交配できなかった。ちなみに紫孔というのはサールが作った器官で、アテンの喉にある。ここには紫丹がたまる。紫丹は口臭を主とする匂いの元を集めた玉のことで、これを作ることでアテンは会話やセックスに際し、口腔や胃腸によほどの病がない限りは、不快な臭いを相手に感じさせない。エルトとサールがヒト型の形質を取った際、サールは愛するエルトとのコミュニケーションツールとして言語を作った。それは口を使って行う手段だったため、愛するエルトに不快感を感じさせないよう、紫孔を作った。たまった紫丹は毎朝吐き捨てればよい。エルトもまたサールに不快感を与えぬよう、紫孔を作った。彼らの形質は霊長類をモデルにしているが、それより遥かに進化していて、現代の地球のヒトよりも進化している。彼らやその子らはヒトより美しく、健康で、強く、長生きであった。しかし、ユーマの一族は世代交代を重ねるごとに土着の風土に適応し、紫孔を失うなど、地球におけるヒトに近づいていき、徐々に神性を失っていった。
なお、エルトとサールは霊長類をモデルに形質を作ったことで、その形質を維持するためのカロリーや栄養を必要とすることになった。したがってその子らも同様に栄養を必要とする。神々はフィーリア島で狩猟採集をして暮らし、ガルヴェーユに追放されたユーマの一族もそうしていたが、北ファベルに入ったユーマの一族は農耕を開始し、家畜も作った。
アトラス外、つまり宇宙や別の惑星で暮らす悪魔たちも親であるエルトやサールの影響を受け、多くはヒト型に形質を安定させたが、アトラス以外の星で十分なカロリーを提供してくれる星はなかったため、内臓は退化し、ヴィードを錬金術によってブドウ糖やタンパク質などに変えることで形質を維持していた。つまり悪魔は神を上回るヴィードにより、自給自足を体内で行えたということである。ertとsaarの一族にはそこまでのviidはなかったため、狩猟採集生活を余儀なくされたのである。


今回はここまで。こういう感じで、「もしこの世界が正物質の世界で、それに相対する反物質の世界があったとしたら?」とか「もし現実と違って神や魔法が実在する世界があったら世界はどんな風になってた?」「そしてそこで暮らす人々の言語はどのようであり、その中からいかにして国際語たる人工言語アルカが生まれ、普及していったのか」といった、人工世界と人工言語学上の考察をしていき、「人類初のReallangの制作」という人工世界、人工言語上の実験ができないかと模索しています。

現状のアルカはアシェットやクレールという100人未満の小集団造語者によって作られたシェア言語のNATでしかない。それはそれで新しかったが、この方向性の伸び代はもう見当たらない。何事も行き詰まったらオワコンになるだけ。そして自然淘汰されるだけ。アルカがウイルスのように生き延びるにはミューテーションというブレークスルーをしないと無理。それで、reallangの方向性というのを考えています。