人工言語学事典記事:【改訂(revision)】

2015/11/15 seren arbarzard

【改訂(revision)】
人工言語野人工世界の内容ががらりと変わること。記録に残る範囲では、1990年代にセレンがアルカの作業中にこの述語を造語している(cf.『アルカ』)。その後、2015にデネブがこの現象を「ガラリ」と再造語した。
改訂を抑制する主な要素はその人工言語の年令とユーザー数である。若い言語ほど改訂が起きやすい。ユーザーの多い言語は改訂されにくい。改訂には覚え直しが伴う。覚え直しは作者本人にとってもデメリットだが、作者以外にとってはなおさら迷惑である。そのため、ユーザーが多いほど改訂は拒まれやすい。
改訂には人工言語の分化や派閥の分化というリスクがある。改訂についてこなかったユーザーが元の人工言語を使い、改訂者がそこから分化した人工言語を使うリスクがある。また、言語の分化とまでは行かないものの、派閥の分化になるリスクがある。アルカは2008までにユーザーのエンナ=ヴァジョを契機として改訂され、改訂した側としなかった側に派閥が分かれたが、2008にセレンにより統合された。
リスクがあるのになぜ改訂は起こるのか。ひとつは、リスクをとっても作者が人工言語の仕様を変えたいと思う場合。たとえば対格言語を作っていたが、活格言語や能格言語に興味を持って仕様を変更するなど。これは若くユーザーの少ない人工言語に起こりやすい。ひとつは、人工言語を運用していく中でユーザーが不便を感じて変える場合。これは実用的な変化で、使用実績の多い言語に多い。上述の通り、アルカは2008にユーザーのエンナ=ヴァジョを契機として改訂された。
人工言語には改訂を許すものと許さないものがある。ザメンホフはエスペラントの改訂を許さなかった。そのため、エスペラントの派生言語が多く生まれた。

人工言語学事典記事:【エゴ化(selfize)】

11/15 seren arbazard

【エゴ化(selfize)】
自分の人工言語や自分の個人的な嗜好や価値観が反映されること。REAを除く全ての人工言語に起こるが、特にARTに多い。その嗜好や価値観がマジョリティの口に膾炙すれば、その人工言語の普及において作者はより有利な立場に立つ。そしてこれは裏も然りである。
カルディアにおいてセーラー服は学生服だが、これはセレンの嗜好を反映したものである。異なる世界で地球と同じくセーラー服が学生服になる可能性は極めて低い。
エスペラントの接中辞-in-はザメンホフの「男性が無標で女性が有標」という価値観を反映している。19世紀でなければAUXとして許されなかったと思料される。
作者個人の嗜好や価値観はその作者の個人的な性格だけでなく、生育環境や時代のパラダイムに拠っても左右される。例えばどんな性格の人であれ、2015現在の日本人ならほとんど「大麻の所持→犯罪→悪いこと」という価値観を持っているが、これは日本で大麻の所持が違法だからであり、合法な国ではこのような価値観を人々は持たない。このように、性格だけでなく環境も価値観を左右する。

人工言語の生存率(調査依頼)

2015/11/8 seren arbazard

日本の人工言語について史料はありますか?人工言語の5年生存率、10年生存率などを人工言語学の一環で調べたいのです。君が入る前、2005年頃~2015までの人工言語とその作者と生存してるか否かを知りたいです。こういうのソーダさんが得意そうですが、若い人なので昔のことは知らないですよね……。Kakisさんが協力してくれるとも思えないし。
ただ日本の人工言語のリスト化っていうのは普通に価値がありそうなんですが。


日本の人工言語について知りたいので、各人工言語のサイトの資料を刷っていただけませんか。なんで人って人工言語作るんだろう。みんなどんな感じの人工言語作ってるんだろうとかいろいろ気になる。特に私みたいに人がやってたのに影響されて非自発的に人工言語を始めた人からすると、どうしてみんなは自力で自分の着想で人工言語を作ろうと思ったんだろうとか気になります。創作的遊戯以外に、哲学、あるいは精神疾患としての面も人工言語にはあるよなと思っています。特に私に関しては完全に精神疾患の面がありました。

人工言語事典の拡張とその意義

2015/11/8 seren arbazard

REAの不可能性やRELやNATの中途半端さ、不完全性に気づき、SHAという分類素性を見つけた後、私は00年代に始め、2011にまた再考してそれから4年停滞させていた人工言語事典を、人工言語学の一環として研究することにした。
人工言語学は言語学の一種だが、人工言語にしか見られない事象も多い。言語学辞典だけでは不十分である。人工言語にしかない事象や、言語学にあっても人工言語学的には扱いや振る舞いが異なる概念について収録しようと考えた。

どういうことを収録するか、例を挙げる。1991以降に作られた人工言語の多くは「ソノシート」にあたる言葉を持たない。同じく2010年代に作られた人工言語の語彙に「MD」が入ることは少ない。これは、その人工言語の作者の生きた時代、作者の生活に身近でなく、造語する必要がなかったか、単に作者がそのものを知らなかったかが理由である。
作者の生きた時代まで生き残っていれば、そのものがどのくらい古く作られたものであっても語彙に入る確率は高い。例えば「振り子時計」は1654にオランダでできたが、これは古い洋風な家には残っているし、私の小手指の生家にもあったので、2015現在の人工言語の語彙に入る可能性は十分にある。一方「八分儀」は1730にイギリスでできたので振り子時計より新しいにもかかわらず、その後の技術の進化とともに不要になり、現代ではほぼ全く使われていない。そのため、八分儀を持たない現在の人工言語は多いと思われるし、実際そうである。「計算尺」も同様で、電卓が普及する前は人工言語をやるような知的クラスタの家庭にはもしかしたらあったかもしれないし、家になかったとしてもその存在はもちろん知っていて、その利便性も理解していたはずで、昔の人工言語の語彙に入った可能性が高い。しかし計算尺は電卓により急速に絶滅していったので、昨今の中高生でこれを知るものは少なく、自然と彼らの人工言語に採用されない概念となる。
アルカは異世界における架空の歴史についても考察していたので、2013より前の時点で計算尺は造語されていたが、このような人工言語は少ない。人工言語の語彙を見ていると、だいたいいつぐらいの時代にその人工言語が作られたかがわかる。「MD」のように極端に短い間に流行って廃れたものなどは特にその人工言語の年代を測定するのに役立つ。また、これらの語彙はその人工言語がどのくらいの長きに渡って作られてきたかを推定するにも役立つ。つまり人工言語の語彙は考古学のように、特定の人工言語の作成年代や使用年代を測定するという目的で使うことができる。
こういう年代測定は古代から現代まで続く自然言語には使えない。自然言語は歴史の地層が欠けることなく続いている。ある時期の語彙のみ作られるという現象は起きない。OEDや日本国語大辞典を読めばここ1000年以上の歴史が欠けることなく書いてあるので、語彙を見ても英語や日本語がいつ制作されたかわからない(というかこれらは自然言語なので「作られた時期」という概念自体がナンセンス)。一方、数年~数十年しか製作期間を持たない人工言語については、語彙を見ることで製作年代や使用年代が測定できる。こういったことは自然言語にはなく人工言語にしかない。そのため、人工言語学にしか論じられない技術ないし概念がある。そこに自然言語学と人工言語学の違いがあり、人工言語学のレーゾンデートルがある。

と、このような人工言語特有の現象ないし「言語学的視点では捉えられない人工言語的な概念」を集めたものが人工言語事典である。人工言語事典は人工言語学の一環として研究される。

ここ一年、niasとやりとりをし、自分のやるべきことが何か分からず悩み続けた。いろいろ案を出したものの、どれも意義を感じられず、潰えた。
REAのように不可能と分かったり、RELやNATのように中途半端と分かって諦めたものもある。この事典が自分が生き延びた意義になってくれれば良いが。

(追記)
ちなみに、今当たり前に存在し造語される語が、未来ではその存在すら知られず造語されない可能性がある。スマホの登場により腕時計は徐々にアンティークになっていっている。30年後、腕時計が「当然造語すべき語」かというと、少し怪しい。アナログ時計も怪しく、未来ではデジタルのみが一般人の間では生き残っている可能性がある。日本人は幼い子供以外はほぼ必ずアナログ時計が読めるが、未来では読めないほうが普通かもしれない。腕時計もまた時代指標の一つである。

アルカの人工言語学的価値について考えなおす

2015/11/8 seren arbazard

REAは不可能で、RELとNATは造形に関して中途半端。この結論が出て、「さてアルカに何の意味があったのかな?」と悩んだ。中途半端なものは作りたくない。RELもNATも作り込みやリアリティ、つまり造形に関して中途半端だ。そう分かってしまったのにアルカを価値あるものとして見なすのは少なくとも私には無理だし、REL化しようという意欲も失せた。となるとアルカに捧げた24年間とは何だったのかと思い悩む。時間だけはひたすらある世界で考え続けた。

そこでひとつの人工言語分類上の素性に気づいた。
SHA(Shared background)である。
ある人工言語を-IMG(つまり現実)で2人以上の人が使い、そのユーザー間が同じ価値観を共有する場合、+SHAとなる。アルカには二面性があって、カルディアでは、つまりIMGではNATをでAUXで-PRIだが、現実にはNATでARTでPRIでSHAである。どちらが歴史的に見て先かといえば後者、すなわち-IMGのほうである。
アルカは1991からリーザ、リディア、セレンらにより作られ、1994までに古参と呼ばれる10余名のユーザーにより作られるようになった。このユーザーが多国籍だったため、共通の価値観が必要となった。特定のユーザーの価値観に合わせるのは不公平なので、私たちはPRIな価値観を作り出した。それが後にカルディアとしてスピンオフする。2005~2013の間はむしろアルカはカルディアの中のIMGとしての人工言語という側面のほうが強かった。

PRIな価値観を共有した時点でアルカはSHAとなった。私は2005~2013の間にSHAとしてのアルカには興味を失い、IMG上のNATとしてアルカを高めようとしたが、2015にReallangの考察により、NATやRELの中途半端さやRELの不可能性にぶつかり、IMG上のアルカにも興味を失った。それから振り返ってみると、人工言語学としてはSHAとしてのアルカのほうが分析対象として貴重でかつ面白いと感じた。

Reallangの限界

2015/11/8 seren arbazard

Mark RosenfelderのThe Planet Construction Kitを娑婆ぶりに読みました。こいついつもそうなんだけど、「誰でも知ってるよな」という当たり前の知識を、世界を作るために必要な分野分「現実ではこうなってますよ」と言ってるだけ。広く浅く。そして「なぜ地球でそうなっているのか」については説明しない。「トールキンのホビットがじゃがいもを食べていたが、じゃがいもは新大陸のものなので悩みどころ」と言う。じゃがいもが新大陸産なのはconworlderなら誰でも知ってる。なのでそんなことを今更指摘しても意味ないし、conlangerはじゃがいもについて書くときRosenfelderでなくWikipediaを見ればいい。

conworlderが知りたいのは、「自分の世界にはどういう理由でどの地域にじゃがいもがあるべきかないべきか」であって、それには答えない。「中学生が読みそうな雑学本の知識をひたすらまとめました」って感じで、「それでこの本使って実際にconworldをリアルに作るにはどうすればいいの?」ってなる。
でも結局conworldなんて広いし、「なぜ○○は××なのか」をあらゆる分野で考察して作るなんて無理だ。例えば宇宙や脳の仕組みだってまだ解明されてないのに、どうやって世界の全てを作れと。その点で、こういうハウツー本は意味ないし中途半端だし、個人で十分には書ききれないだろうなと思った。

世界について突き詰めようとするとキリがない。しかし人工言語を突き詰めて作ろうとするといずれは世界が必要になる。なぜなら言語は世界の上に乗っているから。
結局「NATやReallang系の人工言語って見果てぬ夢で、国際語と同じく無理なんだな」って理解した。するとArtlangのうちNATやReallangは欠格するので、それ以外、つまり芸術を志向するクレリカみたいな言語にArtlangの意義はあるのかと思うが、そもそも言語はアートなのかというと万人にとってはそうでもないという現実があり、悩ましい。

惑星アトラスの方針

nias注:以下の方針は12月時点で反故にされたものであり、参考のため遺した。

2015/11/4 seren arbazard

ここまでで、世界→宇宙→星(atolas)までは決まった。次は大陸図だけど、これはもう地図がある。プレートとか地図におかしい所があれば直すため、指摘して欲しい。アルカ派の人や架空地図クラスタに。なのでtwitterとかでも呼びかけて欲しい。

大陸が決まったら、次は生物地理学。どの動植物がいつどこにいたか考える。これについてwikipedia以上の資料をください。
つまりエルトとサールが逢瀬を始めた6400万年前にいた植物と動物を教えて下さい。
次に、フィーリア島にあったろう動植物について教えて下さい。彼らは狩猟採集をしていたが、どんなものを食べていたか決める必要がある。私はイチゴやブルーベリー、リンゴの野生種とかウサギなどの肉と考えているが、6400万年前に苺やブルーベリーやリンゴの野生種があったか気になる。その辺りを考察したいので資料願います。このとき彼らが食べていたものは最初期のフィーリア語の語彙に入っているはずです。とりま11,12月はその辺りについて考察しましょう。
フィーリア語の最初の語彙は何だったのかについて。

それが終わったらユーマが生まれ、テームスが生じる辺りまでわりと一気に駒を進めます。ただ、カルディアに関しては大陸の配置が地球にかなり似ているので、パンゲアも似ていたわけだから、動植物の分布は地球とほぼ同じになるのではとも。だとしても6400万年前にいたのはどんな動植物か調べないと、フィーリア語の語彙を決められない。
ただ、ユルトとサールは普段は宇宙にいるのだから、後の悪魔と同じくカロリーを自足できるので、逢瀬の際は1500~2200kcalも取らず、美食的に木の実などを食べていたと考えるのが自然かも。二人は普段は白黒の球体だから。考えるべきはユーマが生まれて以降の、霊人型に固定される。彼らはアトラスでカロリーを必要としたアテンだ。彼らは105万147年前、つまりartemの時代の生物だから、食事の問題が深刻になるのは105万年前から。したがって105万年前のatolasの動植物について調べれば十分ではないかとも思える。
いずれにしてもコメントと資料願います。フィーリア語の語彙はおそらくかなり少ない。少なくともartemにになるまでは。artemになってから爆発的に語彙が大きくなったはず。

P.S. あ、ブルーベリーはダメだ。北米原産で地球でも15世紀以降で、フィーリアになさそう。あ、イチゴも南米原産だし、確か栽培は中~近世だったから。……何?じゃあオークの実とか?

REAとRELの違い

2015/11/4 seren arbazard

作り方の過程は同じ。REAのはその世界の全ての要素を定義(シミュレート)する必要がある。RELは+Tで-A(非恣意)であることはREAはと同じとされ、世界の全ての要素は定義しなくてよく、設定に矛盾が出ない範囲でできるだけ現実であるかのように精巧に作られ定義される。喩えるなら、REAが写真なら、RELは精巧な写実主義の絵である。

結論ありき

2015/11/4 seren arbazard

言語を使う知的生命は地球以外にもいるだろう。しかしヒトと同じ形態で、となると可能性は低い。しかし世界が事実上無限に広がっているなら、アトラスのような星もあると私は考えるし、無いと物語が成立しない。
niasはヒトと同じ構造の生命が生じる可能性はほぼ皆無と述べ、それゆえ人間が喋るような言語の発生する環境をゴールにするのはご都合主義ではないかと述べた。それについて私は「ご都合主義」というより「結論ありき」に近いと考えた。

現実に私というヒトがいて、これがカルディアに渡ってリディアと恋に落ちるというのが物語の核であり大前提であるので、そこは動かせない。
結果が先に来ている場合、その結果を生み出すための過程や理由を探すしかない。カルディアの場合、セレンが生存できる環境をカルディア内に見出さねばならない。その環境がありえる確率は低いとniasは述べるわけだが、世界は事実上無限に広いので、カルディアのどこかにはアトラスがあってもおかしくないと私は考えた。というより、ある方の可能性に賭けるしかなかった。そうでないと物語が破綻するからだ。

アトラスがカルディアに存在することだけでは足りない。セレンはアトラスの食品を消化吸収でき、生存を維持できなければならない。しかし互いに異なる2つの星の土着の食品を同じ動物が食べて生存を維持していける確率は絶望的に低い。
なので最終的には世界の広さによる候補の多さと、セレンを転生させるために、セレンに逢うためにカルディアでアトラスを探しだしたrydiaの不屈の恋心に任せるのみである。
ユマナとカルディアは元は一つで、あるとき分化した異なる世界線に過ぎないという考えは単純で理解しやすいし、niasもこれならありえると考える。私だってそれでカルディアがアプリオリになれるならそれで行きたい。しかしそれだとどうしてもアポステリオリになってしまう。別にアプリオリが良くてアポステリオリが悪いという話でなく、アルカが世界初のRELであるために人口世界がアプリオリでなければならないというだけのことである。

なお、もしセレンという制約がなく、ヒト型以外の生命によるRELを作れるとして、私がそれをやるかといえばやらない。子供の頃から宇宙人(というかヒト型以外の知的生命体)に興味がないからだ。

もし、カルディアをアプリオリにしつつセレンがユマナでもカルディアでも生きていける方法が上記以外に思いつくなら、教えてください。上の説明は確率的に見て奇跡が起こらないと成り立たず、その分リアリティに欠けるためです。
偶然アトラスが地球に似てたという偶然説は論外。かといってアポステリオリにできないため、地球と同じな星を見つけるまでrydiaが無限にトライしたという探索説で行くしかないかと思っている。「結論ありき」。かといってすべて地球と同じで霊人もヒトとすべて同じとなると、候補がいくら無限でも見つからなさそうなので、大同小異なレベル、つまり辛うじてセレンが行きていけるレベルの差なら容認する世界とする。

なぜカルディアの「創世記」はかくも複雑か

2015/11/4 seren arbazard

なぜカルディアの「創世記」はかくも複雑か。
それは言語も世界もアプリオリにし、かつセレン少年をユマナとカルディアに行ったり来たりさせるためである。

もしユマナとカルディアが物質の正反が違うだけの鏡像のような世界だったらカルディアはこの現実のアポステリオリになってしまう。もしある時点でユマナとカルディアという別々の世界線に分岐して行ったら、アトラスは地球のアポステリオリになってしまう。もしrydiaがユマナのセレン、つまりヒトを見てエルトとサールの形態として模倣したら、ユマナのヒトはアポステリオリな存在なので、エルトとサールに端を発する霊人型はアポステリオリになり、カルディアはアプリオリな要素のみでできていないことになってしまう。

アルカの特長は「言語も世界もアプリオリな史上初の人工言語」である。なのでカルディアにアプリオリの要素を入れられない。エルトとサールはユマナのヒトでなくアトラスの霊長類を基にデザインされていなければならない。
ユマナとカルディアは双子宇宙ではなく双子世界である。しかし互いに異なる世界であり、カルディアはアプリオリである。
知的生命体はヒト型以外にもありえるし、彼らが言語を作ることもありえる。つまりヒト型でない生命によるRELはありえる。しかしカルディアの場合はセレンの転生という条件があるため、カルディア内にある惑星アトラスが選ばれ、そこは地球に酷似していなければならなかった。気圧、気温、重力、大気組成など、どれを取ってもセレンの生存上地球と大きく異なってはならなかった。
セレンはカルディアに行って少女リディアと出会い、恋をし、悪魔を倒して世界を救わねばならない。そして最後にはユマナとカルディアを終末に導き、最初の状態(arma t’arkadia)に戻して永劫回帰せねばならない。

このカルディアという世界のレゾンデートルはserenとrydiaの恋物語にある。セレンがカルディアに行ってリディアと結ばれるために双界はある。その大前提を崩すとカルディアやアルカのレゾンデートルがなくなってしまう。